岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・社会・歴史について考える

すき透る稚魚は群れつつ泳ぎおり 森の泉の澄む水の中

2010年11月21日 23時59分59秒 | 岩田亨の作品紹介
「夜の林檎」所収。

 奥日光の光徳牧場の近くに幅100メートル・長さ1000メートルほどの白く細長い砂地がある。その砂地の延長線上は戦場ヶ原の北側に隣接する樹林帯のハイキングコースだが、その先に池がある。池と言っても、森の中に直径30メートルほど、深さ20メートルほどのあながポッカリあいたようなもので、その底のほうに水がたまっているのである。地形が特殊なので、水際には近づけない。まるで地の底まで達するかと思うほどの大きな穴である。泉門池(いずみやどのいけ)と、これまた不思議な名をしている。

 集中豪雨があると、砂地・ハイキングコース・泉門池全体が冠水する。おそらく女峰山の伏流水が流れているのだろう。この一帯を女体に模した伝説があるらしいが、地元の人しか知らない。なんだか艶めかしい話のようで、僕の知人がこっそり教えてもらったそうだが、僕には詳しく話してもらえなかった。不思議な一帯だ。

 その砂地のほぼ中央に湧水があって沼をなしている。湧水地点は沼の底の砂が動くのでハッキリ確認できる。だが初めは沼の中央の水面が断続的に揺れるように見えただけだった。

 ミズスマシかアメンボか小形の魚がいるのかと思った。それにしては水面の動き方が、おかしい。そこで沼の底をみると底の砂が動き、湧水地点であることがわかったのである。

 ミズスマシはいなかった。アメンボもいなかった。湧水地点の付近に何かの稚魚が泳いでいるのが見えた。それでも水は澄み切っていたし、水深も数メートルまではなさそうだった。沼底の砂は濁りなき色をしており、水中は全てが透明感にあふれていた。

 砂地の周囲は森林で、その濃い緑と沼の透明感のコントラストが印象的だった。その印象が、この一首で十分表現できているかどうか。今ならもっと違う表現をするかもしれないが、この時点(2003年)では精一杯の表現だった。

 下の句に「・・・の・・・の・・・・・の」と畳みかけたのもこの頃の傾向のひとつだった。





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