・五月は喪服の季節といへり新緑の駅舎出づればまぶしき真昼
「尾崎左永子八十八歌」所収。2015年段階の自信作。
「五月」「喪服」とはだれが言ったのだろう。僕の知る範囲では「五月は夏用の喪服への衣替え」作者はそこからイメージしたのだろうか。和服を着こなしていた作者だからそのあたりに敏感だったのだろう。
上の句の暗いイメージから下の句は転じて明るいイメージになる。作者はこれを「起承転結」の「転」といい、「序破急」の「破」という。イメージの転換である。
そして「個別具体的な駅名・喪服の種類」は「捨象」されている。佐太郎の言う「表現の限定」、作者の言う「言葉の削ぎ落し」。
この抜けるように、明るいイメージは斎藤茂吉・佐藤佐太郎にはない。
ここが作者の独自性だ。