岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

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齊藤茂吉31歳:ははそはの母を詠う

2010年02月16日 22時36分13秒 | 斎藤茂吉の短歌を読む
・山ゆゑに笹竹の子を食ひにけりははそはの母よははそはの母よ・

 「赤光」所収。59首からなる連作「死にたまふ母」の最後の一首である。

 先ず語句の説明から。

 「ははそは」は母にかかる枕詞。本来はブナ科の落葉樹。「ハハソハ」でその木の葉を指す。対して父にかかる枕詞は「ちちのみ」。「ちちの実」の意で、「ちち」はイチジクもしくはイチョウ。両方とも音韻の面から枕詞となったと考えられる。万葉集では「ははそはの母、ちちのみの父」と一対で使われた。(西郷信綱「斎藤茂吉」)

 「笹竹の子」は山形の山中でとれる「筍」。山形県の赤湯温泉でも名物のひとつであるが、「竹の子」という語は母と子を連想させる。(片桐顕智「斎藤茂吉」)

 さて茂吉の工夫だが、一読してわかるのは下の句。「ははそはの母よ」のリフレインである。しかも8音8音。字余りの連続である。しかし気になるどころか、絶唱として伝わってくる。字余りを上手く使うと、思いもよらぬ効果を出すとともに、字余りであることが目立たない。このことは実作の上から実感しているが、万葉集の志貴皇子の「石ばしる垂水・・・」の一首の4句。「萌えいづる春に」がいい例となろう。

 さらに「ははそはの母」を呼び掛けにして、「ちちのみの父」と分離して、単独で使っているところ。これも茂吉の工夫であろう。

 「山ゆゑに」もこの場合不可欠である。山形県の山間部の名産である。「死にたまふ母」の一連の終わり近くは、母の葬儀を終えて山形県の酢川温泉に投留していた作者である。むかし母と食べたであろう「筍」を食べて亡き母を偲んでいる。また茂吉の母は、東北の「都会」であった仙台にさえ出かけたことがなかった。医者である茂吉にとって、「都会ならもっといい医者も病院もあったのに」という思いもあっただろう。だからこそ「山ゆゑに」なのである。

 塚本邦雄はこの「山ゆへに」の表現を称賛している。(「茂吉秀歌< 赤光・百首 >」)

 さらにもうひとつ。茂吉は「死にたまふ母」の連作の59首という数にこだわったふしがある。終わりにかけてやや息切れしている感が拭えないのと、「赤光」が版を重ねて作品の異動があるのに59首という数は変わらない。例えば「地獄極楽図」の一連は初版本では16首だったが、改版では11首に減らされているし、「死にたまふ母」のなかでも「みちのくの母の命を・・・」の一首は結句が改作されている。しかし59首という数は変わらない。ここに僕は茂吉の「こだわり」を感じるのである。

 そのこだわりの理由を今のところ僕は知らない。







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