・もみぢ葉の重きくれなゐ一木たち昼まへ晴れて昼すぎ曇る・
1947年(昭和22年)作。「帰潮」所収。
一読してわかり易い歌意だが、僕は往還から紅葉をみた歌と感じた。つまり「重きくれなゐ」すなわち鮮やかに紅葉した木の前を「昼前」に通り過ぎ、「昼すぎ」に同じ道を通って来たのである。
当時、佐太郎は本格的に著述業にたずさわっていたわけではない。自宅で過ごすことも多かっただろうから、あるいは「鮮やかな紅葉の一木」を自宅の窓から見ていたのかも知れぬ。
しかし、それはどちらでもよい。「昼まへ」と「昼すぎ」の時間の経過を「晴れ」と「曇り」という具象によって捉えているところに一首の特徴がある。
茂吉の作品には、立体感を感じさせるものが多い。「遠い」「近い」といった言葉を使ったもの、それらの言葉を使った造語も多い。
近代における写生を、「世界を遠近法でとらえる」と述べたのは佐佐木幸綱(「百年の船」あとがき)。齊藤茂吉を遠近感を出す名手とすれば、佐藤佐太郎は「時間を切り取る」ことに長けていたと言える。
また、鮮やかな紅葉を「重きくれなゐ」と表現したのも見逃せない。「重き」と表現することによって、「紅葉の深い色」が立ち現れる。「重き」は重量を測る言葉だが、それを色彩を形容する言葉として使ったのは詩的把握が働いているということに他ならない。
事実を事実のまま表現するだけでなく、それをもう一歩踏み込んで表現することが「写実歌」の秀歌の条件と言えるだろう。