この夏は様々な事が起こった。
尖閣諸島、竹島。領土問題が顕在化した夏であった。北方領土もこれにはいる。
又オリンピックの夏でもあった。メダルの獲得数を手に汗握って見ていた人も多かっただろう。
勿論、節電の夏でもあった。原子力発電所の事がこれだけクローズアップされた夏も近年なかった。
様々な事が起こったので当然、様々な事を考えさせられた。これらはブログの「身辺雑感」等に記事にしてきた。
僕の本分の短歌についても様々考えさせられた。そして僕なりの答えを得た。
1、短歌は文学である。文学であるからは「主題」がある。主題なき文学などありはしない。主題は文学の必要条件である。
2、主題は文学の必要条件だが充分条件とは限らない。主題に加えて表現力が求められる。そこには「写生・写実」「象徴」「表現の限定」などが含まれる。(「写生と写実」の答えは「カテゴリー:茂吉と佐太郎の歌論」に記事にしてある)
3、「写生・写実」だけが短歌ではない。短歌の表現方法は多様でいい。だが主題は欠かせない。
4、「象徴」とは「心の形」「普遍的」なものを表す具象的な物である。
5、短歌は1500年の歴史と伝統とを持っている。現代短歌は「定型の現代詩」だが、それと一見矛盾する歴史と伝統が、口語・文語の混合文体を可能にする。(僕の場合では必然化ならしめる。)
6、短歌は「新かな」を使うべきだ。「旧かな」は読めない文字になりつつある。このままでは短歌を「読む人」がいなくなり、やがて短歌を「詠む人」もいなくなるだろう。(このことの詳細は「カテゴリー:新かな:旧かな」で記事にしてある。)
これらの事は、この夏に考え始めたものではない。このブログを始めてから考え続けたことである。だが確信に近い結論を得たのは、この夏である。
以上の事は、ブログ、ツイッター、ミクシィ、フェイスブックを通して考えてきたことでもある。
この夏は僕の作歌活動の中でも忘れられない「夏」になるだろう。