春の嵐の歌 長澤一作の短歌 (最期の絶唱)
・吹き荒れし春の嵐は夜もすがら虚空を遠く過ぎつつあらん
『30周年記念 運河作品集』
先ずは歌意から。
「吹き荒れた春の嵐は、一晩中、虚空を過ぎているだろうか。」
この作品は、2013年の「運河の会」全国集会の研究会で提出されたものだった。「運河の会」は、創立30周年を迎え、全国集会は盛大に行われた。
個人的な話で恐縮だが、この全国集会の研究会で、長澤一作の指導を受けた。僕の提出した作品は、表現の甘いもので、厳しく批判された。
しかし、長澤はユーモアがあった。
「未熟だが見ているところはいい。ただ結句に問題があるな。表現も甘い。いいようで、欠点が多い。・・・・あまり言いすぎると、どんどん悪口になるから、この辺でやめておこう。(笑い)」
長澤一作の、添削指導を受けたことはない。だが、全国集会や、年末記念会では、折々言葉を掛けられた。
「現状に甘んじてはいけない。実験作を作りたまえ。それには歌論が必要だ。」「第一歌集『夜の林檎』まあ、第一歌集はあんなもんだろう。」
これらの言葉が、どれだけ励みになったかわからない。全国集会で、会員の前で、斎藤茂吉の研究発表の場も、与えられた。その時の覚書は、『斎藤茂吉と佐藤佐太郎』(「角川学芸出版」)に収録している。
さて掲出の一首。出席していた会員を呻らせた。語気が強い。歌柄が大きい。ダイナミックで、作者の宇宙観を示しているようだ。作品の主題、内容が深いのだ。
「『虚空』という言葉を、このように使った作品はかつてあるまい。どうだ。」
と長澤は豪快に笑いながら言った。
長澤は、車椅子に乗っていて、体は弱っていたが、気力は盛んだった。その夜のことだ。ホテルの食事を、喉に詰まらせて、救急車で、運ばれたのは。
末期の食道ガンだった。全国集会は、中止されなかったが、長澤の無事な姿はその日に見たのが最後となった。
辞世の句ではないが、掲出の一首は、長澤の遺作となった。死がそこまで近づいているのに、短歌に掛ける心は、鬼気迫るものがあった。僕もこういう気持ちで、短歌に向き合いたいと思う。