今回は、新型コロナに配慮してネット歌会となった。出詠13人、出詠歌13首。 僕の批評。「今一つ抒情を深めてはどうか」「心理的実感がある」「叙景の実感がある」 「流行歌になっていないか」「一字あけは必要か」「社会詠として実感がある」 「読みにくく音楽性を考えてはどうか」「言葉が混戦して考えすぎではないか」 「詰め込み過ぎで焦点を絞ってはどうか」「具 . . . 本文を読む
・破裂音に似て巨大なる鉄杭を打ち込むときに空気震(おのの)く「彩紅帖」所収。 都市詠である。地名と時間が捨象されている。佐藤佐太郎のいう「表現の限定」だ。 としの恐怖感に似た心情が「破裂音」「巨大なる鉄杭」「打ち込む」「震く」と四連発で象徴されている。 いずれも佐藤佐太郎の表現技法を引き継いでいるが、作風が佐太郎とはまるで異なる。尾崎左永子の独自性だ。 歌論や表現技法を引き継いで、独自性を出す . . . 本文を読む
・暗黒を犇めき迫る地下鉄の音の重積に圧されつつ佇(ま)つ 「彩紅帖」所収。 都市詠である。作者は離婚ののち自立すべく様々な仕事に従事した。「とにかく生活しなければならない」。女性の職域が極端に狭い1960年代から70年代までは、女性が働くのは様々な困難を伴っただろう。現代以上に。 作者がボーボワールに傾倒したのもこの時期。「子育てをほっぱらかしてボーボワールの講演を聞きに行った」とは作者の弁。 だ . . . 本文を読む
・帆走を終へたる舟が春光を畳むごとくに帆をおろしをり 「春雪ふたたび」所収。 場所を明記していない。捨象されているのだ。帆船であるのはわかる。これはおそらく、江の島のヨットハーバー、あるいは横浜市のみなとみらい。どちらでも良い。帆船が帆を畳む一瞬に焦点をあてているのだ。 不思議なもので、「個別具体的なもの」を捨象すると情感が増す。佐藤佐太郎は「表現の限定」といい、尾崎左永子は「余剰に切り落とし」と . . . 本文を読む
・落日を送る岬の夕凪に聴こゆ万騎疾走のおと「春雪ふたたび」所収。 地名は捨象されているが、これは稲村ケ崎の故事を素材とした作品。鎌倉時代の再末期。鎌倉をせめあぐんだ新田義貞は、切通を攻めずに海岸沿いから鎌倉に攻めいった。 稲村ケ崎の浜辺に、日本刀を投入し、引き潮を祈った。潮が一瞬引いて、新田軍は鎌倉に突入。「太平記」の記述だが、歴史的事実の真偽より、これを素材にして作品化した作者には脱帽。「NHK . . . 本文を読む
・夜の運河なめらにしてそこに水ありと知らるるほどの明るさ 「夕霧峠」所収。 作者はこの歌集で「釈超空賞」を受賞した。選者を担当していた「NHK歌壇」でも「選者の一首」と紹介されていたから、かなりの自信作だろう。当時作者は「運河の会」の運営委員をしていた。「運河の会だから運河を詠むのではないけれど」とコメントしていた。 「夜の運河」は美しい。都会の運河の水は濁っているが、ネオンサイン、ビルの窓からさ . . . 本文を読む
・年を経て相逢ふことのもしあらば語る言葉も美しからん「さるびあ街」所収。 離婚した相手を想定した作品。「NHK歌壇」で作者は「あの頃は甘かったのよ」と発言していたが、正直な発言と思う。 離婚は悲しい、苦しい、精神的打撃を受ける。作者は、学生結婚に失敗したが、相当に悩み、苦しんだはずだ。 そういう「離別」を、このように美しく詠えたらと思う。 尾崎左永子の代表作のひとつだ。 . . . 本文を読む
2014年6月に「集団的自衛権の行使容認の閣議決定」がなされた。ほとんどの憲法学者の反対を無視して。安倍内閣は内閣法制局の長官の首をすげかえての暴挙だった。明らかな日本国憲法無視・立憲主義の破壊だった。2015年8月19日。「集団的自衛権を行使」する法整備「安保関連法」が強行採決された。数万、時には10万以上の市民が国会議事堂を囲む中で。東京新聞は、これを「2015年安保」と呼んだ。安倍元首相の . . . 本文を読む
・悲しみの余韻のごとくつばひろき帽子が白く遠ざかりゆく 「春雪ふたたび」所収。 相手は誰か詠みこまれていない、別れた場所も詠みこまれていない。「悲しみ」だけに焦点が当てられ、他は「捨象されている」。「悲しみが際立つ」。 悲しみの象徴。「白き帽子」。心を形にしている。その帽子が「遠ざかりゆく」。これが余韻だ。 ただ「遠ざかりゆく」ではなく「白く遠ざかりゆく」がいい。なかなか思い切った表現だ . . . 本文を読む
安全保障が国政の焦点になっています。憲法の明文改憲の問題は中国脅威論を巡って安全保障の問題に由来します。「憲法九条を守れ」などというと「お花畑」「平和ボケ」などと揶揄されます。私は明文改憲を主張する人たちこそ「平和ボケ」だと思います。 . . . 本文を読む
・死滅せし海苔のたぐひの漂はん干潟の沖は日をたたへゐる「彩紅帖」所収。「浦安周辺」と題する連作の一首。一首でも独立性がある。「短歌が一首でも鑑賞できるように」という作者の矜持だ。都市化が進み荒廃してゆく干潟を詠んだ。「死滅せし海苔のたぐひ」がそれを象徴している。「海藻類と表現せずに、海苔のたぐひ」と表現したのが絶妙だ。 都市化が進む1960年代。批判的な目を通して下の句の美しい表現で締めくくってい . . . 本文を読む