海杉ブログ 木材を中心に書き残したいことを投稿します

日々、気づいた事、エクステリアウッドのテクニックを書き綴ります。やりたい時、書きたい時だけ、疲れるので笑笑

猫に鈴

2007年06月07日 23時27分25秒 | 日向木の芽会
「猫に鈴」

良いアイデアだけど誰がやるのかという時に使う言葉だが、まちづくりで話をしているとよく出くわす。

肝心なところが抜けているのだ。

そのポイントを押さえないと「絵に描いた餅」であり、「猫に小判」かもしれない。

私が目指すまちづくりの基本は、まず、自分がする。小さな実績を確実に自分のものにする。その小さな実績を踏まえて次なるステップへ挑戦する。失敗もするだろう。良かれと思って行なった好意が逆に仇になることもある。それを恐れずに自分が始める事だ。

新しいことを始めるにあたって、何かを期待する必要はない。自分が行なうことで「経験」と言う誰も得られないノウハウが身に付く。

初めてのことでも簡単だ。勇気を持って自分が一歩踏み出す。

ただバカの一つ覚えに漫然とはじめてもダメだ。じっくり考え、回りに迷惑にならないかを確かめる必要がある。自分の周りの大切な人、自分と行動を共にしている同志などははじめから頭に入れておかないと初めての一歩は安易に行なってはいけない。

年金問題

2007年06月06日 20時18分03秒 | 経済・社会
あとからあとから問題が噴出してくる年金問題は、何処で決着を付けるのだろう?
「政府のつくる年金は、あてにできない」と考えている。
年金というなの税金で意味のない投資を平気でしているところという認識だ。以前、マスコミは年金で作るホテルやリゾート施設の問題を突いていたが、年金がもらえなくなるストーリーをうまく描けなかったと思う。

年金問題を論ずる前に少子化と人口減少の歯止め策を講じなければならない。年金の運用もしっかり見据えて情報を公開しないとならないだろう。日本の年金ビックマネーが何処に動くか注目されるところだ。

年金が人口増加の手段に使われるならありがたいことなのだが・・・。

政府の年金をあてにできないとするならば、どうするのか?

私は、家族だと思っている。自分の家族で助け合いながら生活ができるようにする。今は、非現実的かもしれないが、家族が助けあう基本をもう一度見直していきたい。

現代社会のシステムの綻びを何が埋めるのか年金問題は、生きるための知恵をもう一度考えろ赤の他人に頼るなと言っているのかもしれない。

野党やマスコミもっと別な追及をすべきなのかもしれない。

風土

2007年06月03日 13時30分48秒 | まちづくり・ボランティア
「よそもんに何がわかる!」

ちょっと生意気なことをあるHPに掲示板に書き込んでしまいました。

以下コメント

まちづくりに関わっていると。この手の話は、よくあることらしいです。

そこで「風土」という言葉を使って説明する人がいました。「風土」は、その土地の人だけでできるのではなく、風の人(よそから来る人)と融合してできるのだと・・・。

ここまでは、皆さんどこかで聞いた話だと思います。

この話を読んで、私は、風の人がどのような動きをしなければならないのかを考えていました。

「見えないけれど、見える」「見えないけれど、感じる」です。

ここまで

このコメントでは私が何が言いたいのかわからないと想います。

まちづくりのポイントは、よその人に自分たちのまちを知ってもらうか。というところに尽きます。

そのために自分たちのまちはどんなまちであるか知らなければなりません。知るためのエネルギーを惜しんでいてはならないのです。まちづくりをしようと決意した住んでいる人の義務のようなものです。

自分たちだけでまちづくりが成り立ち、成功とするならば、まちづくりは必要ありません。そんなことはありえないからです。

「地産地消」と言う言葉を私が嫌いな言葉だということは、このことなのです。

「よそもんに何がわかる!」は、確かによそもんには、きつい言葉です。立場、考え方は違ってもそのまちを想う気持ちは同じであると理解しないで「よそもんに何がわかる!」を連発すると誰も寄り付かなくなるのが見えてしまうのです。

維新のとき尊皇攘夷を唱えた若者たちが、世界を情勢を知り、列国の植民地支配からの手を阻むために富国強兵を実践した。外国人技術者を招きいれ、欧米のあらゆるものをモノマネといわれながらも学んだ。日本人ならわかるはずです。

風と呼ばれる人もまちづくりでは、日本人ですからどのように振舞わなければならないのかも知らなくではなりません。

風の人は、その土地の「木ーマン」を見つけることです。

風は目に見えませんが、「木」が枝を揺らすことを見ることによって風が吹いていることがわかるのです。

「木ーマン」の見つけ方は別の機会に・・。




山は宝

2007年06月02日 20時32分10秒 | 地元のこと
最近、宮日新聞に「山は宝」企画特集が一面を飾っている。

さて、一応、連載記事の体裁を整えているが、ニュースソースが少なすぎるなあ。この手の記事では、今問題になる概要が多くの人に伝われば成功なのだろうが、もう少し突っ込んで欲しい。

この連載で一番必要なのは、原木の適正価格の提示だろう。取材すればするほど深みに嵌るだろうけど・・・。

「山は宝」とした時点で林業者よりになってしまうことに気づくはずだ!
「杉は宝」の方がしっくりいくのに・・・。

かわいそうだから答えを用意しておくと。
私が思う適正な価格は、原木の平均単価を最低でも22000円にするべきだ。再造林だけでなく、山の整備にもコストを支払わなければならなくなってきている。苦しいだろうが補助金はもうないと覚悟しなければならない。

今、国民は、林業行政を相当不信に思っている。

信じられない多額の税金が林業行政で使われ、林業に直接有効な手段となっていない。地方が大手の企業の集金の場になっている。地方が退職した官僚をも養っている構図が今回浮き彫りになった形だ。

一端リセットしてゼロからスタートするとすばらしい財産が生まれるはずだ。

時代は国産材であるし、杉が世界にでる重要な木材であることを林業者や製材業者は知らない。


原稿

2007年06月02日 14時27分16秒 | まちづくり・ボランティア
近頃、妙に文章を書く時間が増えた。

手軽に書くブログは、ほんの数分で書けるのだが、出版物・印刷物となるとちょっと事情が変わる。

多くの人に読まれるものだし、手から手へ渡っていくことを考えると変なことは書けないなあ。

今回もまちづくりがテーマの文章で、まあ、原稿料をもらわない文章だからアマチュアなのです。その辺は、勘弁してくださいな。

あとで、「読みましたよ」と言われるとありがたいやら恥ずかしいやらで・・・。言いたいことの10分の1も書いていない文章で本当に私の真意が伝わったかどうかも怪しいのですが?(

大学のときコンクリート学の教授に「もっと高校の教科書を読みなさい」「小学生にわかるレベルで専門が話せれば大学教授になれる」と言われました。

今でも私の部屋の本棚には高校の教科書が並んでいます。

専門家が専門の人たちに説明や話をするのは簡単で意思の疎通もできるでしょうが、専門分野を小学生に理解させるには、現実問題並大抵の知識ではできないと思います。

大学教授を目指すのではありませんが、自分の仕事を自分の子どもたちにうまく伝えるには、どうすればいいのか、近頃考えます。自分の子どもに親が残せるものは何なのか?

ウエブでは、力が入っていなかった文章書きにこと出版となると力が入ってしまうのは、多分、そのせいでしょう。