早朝の雨の後は気温が下降する一方で、寒~い大晦日になった本日のやんばるです。
最高気温は20℃でしたが、これを記録したのは午前三時のこと…。
明日も寒い一日になりそうで、元日っぽい感じになりそうです。
陽光はたっぷりみたいですので、体感はそんなに寒くないかもしれませんけど。
明後日以降はまた平年並みかそれ以上に暖かい日が続きそうです。
風はやや強めの北。曇り。
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ときは天正18年(1590年)11月14日の夜、独眼竜として知られる戦国武将の伊達政宗が、家臣の伊達成実・片倉小十郎・茂庭綱元を呼びます。そして前年に秀吉に会津領を没収されたことを恨み、一揆勢と通じて秀吉の家臣である蒲生氏郷を挟撃すると打ち明けます。ところがこの企みが蒲生氏郷に伝わってしまい、氏郷によって秀吉に訴えられ、政宗は秀吉に呼び出されます。政宗はもちろん否定しますが、氏郷は証拠があると言って、政宗が書いた一揆勢宛ての書状を出します。そこには政宗が一揆勢を密かに援助することを約束する文章と、政宗の鶺鴒の花押が書き記されていました。秀吉から糾明を受けた政宗は、しかし鶺鴒の花押の目には必ず針で穴を開けているが、これにはない。だからこの書状は偽物です。と釈明します。確かに政宗が書いた他の公の書状には、鶺鴒の花押に穴が開いていました。結局政宗はこの件で責任を問われることはありませんでした。
これは、かなり昔に見た大河ドラマの独眼竜政宗で印象に残ってるシーンの一つです。というのも、いやいや、やばい文書には穴開けてないだけじゃん。これで秀吉納得しちゃっていいの? と思ったから。まあでも今から思うと、秀吉は当然クロだと知ってたはずですね。知った上で、こういう言い訳をちゃんと用意している政宗という男は使えると、思ったのかもしれませんね。
ここに出てくる『花押』とは、証明の代わりに使われる記号・符号のことです。日本では平安時代中期から使用され始め、江戸時代まで盛んに用いられたのだとか。
初めは署名を極端に形様化したものでしたが、戦国時代に著しく多様化し、必ずしも実名を元に作成されなくなったのだそう。政宗の花押も鳥のセキレイを図案化したものでした。
公式な文書には必ず花押が墨で記されていました。権威や権力のある人が与える許可や保証のことを『お墨付き』と呼ぶのはこの花押に由来しているのだそうです。
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さて…
〈チョウチョウウオ科チョウチョウウオ属スミツキトノサマダイ Chaetodon plebeius 19年11月18日 沖縄島新里〉
画像は幼魚。
殿様のお墨付きならぬ、お墨付きの殿様…。
学名種小名は『平民の、普通の』の意。
いずれの海域でも生息数が多いことに由来しているそうですが、殿様なのに平民ってどこか不思議な感じがしたりも…。