日常

個ではなく全体を観る

2015-08-24 02:12:39 | 考え
国立競技場の問題、そしてオリンピックのロゴ問題・・・・。

個人攻撃をする報道ばかりなのが気になる。
個人のせいにするよりも、そういうことが起こり得ない場づくりや環境づくりの方が大事だと思う。



破壊のエネルギーと創造のエネルギーは等価なもので、それは向かう矛先の違い。目指すべきレイヤーの違い。
破壊と創造が等価であることを、神話は神のメタファーで紡いでいる。

個人を批判するエネルギーを少し削減して、その余ったエネルギーを場作りや創造の方向へ使っていく方がいいのだと思う。



人間は誰もが間違いをする。弱い存在でもある。場や環境に影響を受ける。
だからこそ、周囲や環境の場づくりこそが大事だ。

気持ちのいい場所や気持ちのいいシステムの中では、気持ちのいい仕事が生まれていき、気持ちのいい社会が作られていく。



 

一般的に、悪い問題が起きた時ばかり取りあげられ、特殊ないいことが起きた時だけが取り上げられる。

ただ、そもそも何の問題も起きず、緩やかな振幅で淡々と円滑に進んでいる場の方が自分はすごいと思う。
それは、欠かさず場づくりをしている、ということだから。
植物を育てる時も、人の体を見る時も、まったく同じことが言える。


大きな事故で奇跡的に生還した人もすごいし、大きな病気から奇跡的に生還した人もすごい。
けれども、そもそも事故に遭ったことがない人の方がもっとすごいし、そもそも病気になったことがない人の方がもっとすごい。
当たり前すぎると盲点になり、何故か取り上げられない。
良くも悪くも特殊事例ばかりが取り扱われ、そこから普遍的な法則を導き出すのはそもそも無理がある。




間違いが起きた時、個人を標的にしてうっぷん晴らしをするよりも、そういうことが起こりにくい環境作り、場づくりの方を前向きに考えていきたい。
何か現象が顕在化してくる前に、何段階も防ぐ手段はあったはずだ。それが機能しなかったということの方が問題だろう。


木が倒れた時、最後にその木を押した人を指さして<お前が木を倒したんだ>と、個人のせいにするのは違うと思う。
その木が倒れる予兆はなかったか、事前に察知して環境や場を整備できなかったのか、そういうことの方が大事だろう。
失敗をしてしまった人は、その人なりに反省していることを、ただただ信じればいい。



部分を見るのではなく全体を見る。コンステレーションを見る。
コンステレーションとは、ひとつの星ではなく、星座の配置全体のこと。
コンステレーションを見れば、たいていはうまくできていて、起きるべき時に物事は起きている。
心理学者の河合隼雄先生が、人生をかけて教えてくれたのはそのことだったのではないだろうか。


個人のせいにしていると、この世界には勇気をくじかれたばかりの人が増える。それは健全な社会とは思えない。


病気が起きた時、臓器だけを見るのではなく、人の体全体を見る。
人を含む環境全体を見る。
Zoom Outし、Zoom Inする。
部分にとらわれず、それを構成している場全体を見る。
疑うことより信じることに重心を置く。


自然や宇宙は数百億年前から何も変わらない。
森羅万象。花鳥風月。雪月花。木火土金水・・・・。

人間の考え方が変われば、この世界と人間との関係性が変わり、時代は次のステップへとうつるだろう。

それまで、この自然や宇宙という女神は、人類に振り向いてはくれない。