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八ヶ岳にて、地方創成プロジェクトの一環として、芸術と医療に関わる集まりをした。
芸術と医療とは密接につながっている。
演劇と伝統芸能(能楽)を背骨にして、医療との接点を共有する場にした。
自分の中で、芸術と医療、古代ギリシアと古代日本、神殿と神社、魂とねむり、オリンピックと祭り、地方と都市、非西洋医学と西洋医学・・・すべてがつながっている。
八ヶ岳の金生遺跡周辺にいった。
そこは縄文(JOMON)の世界であり、耳をすませば色んなことが得られる情報場のようなところだった。
わたしたちの世界の深層には、縄文世界がある。
それは浅い意識の層に対する深い意識の層のようなもの。
浅い場所は、必ず深い場所が支えている。
→
●写真:八ヶ岳 金生遺跡周辺 縄文(JOMON)
■
芸術と医療に関して。
ミヒャエルエンデより。
-------------
「音楽に理解はいらない。そこには体験しかない。
シェークスピアの芝居を見に行ったとする、そのときもです。
私は決して利口になって帰るわけではありません。何事かを体験したんです。すべての芸術に言えることです。
本物の芸術では、人は教訓など受けないものです。
前より利口になったわけではない。より豊かになったのです。
私の中の何かが健康になったのです。秩序がもたらされたのです。
およそ現代文学で見落とされてしまうのは、
芸術が何よりも治癒の課題を負っている、という点です。」
-------------
子安 美知子『エンデと語る―作品・半生・世界観 (朝日選書,1986)』
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<参考>
○たましいと芸術(2015-11-30)
■
芸術や医療で起きる魂のプロセスは、すべて深層意識で起こるプロセス。
表層意識だけで生きていると「よくわからない」が、それは理性で把握できない、脳が合理化できない、ということでもある。
意識には階層構造がある。
******************
「深層意識はそれ自体多層構造を持っている。
現代の言語学は、表層世界の下に潜む「無意識的下部構造」の強力な働きを認める点でユングの分析心理学と一致しており、
「深層意識は象徴を構造化する器官なのであって、粗大な物質的世界がここで神話と詩の象徴的世界に変成する」とする。」
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A:表層意識
M:「想像的」イマージュの場所。B領域で成立した元型はこのM領域で様々なイマージュとして生起し、経験的事物に象徴的意義を賦与したり、存在世界を一つの象徴的世界として体験させるといった独特の機能を発揮する。
B:言語アラヤ識領域。意味的「種子」(ビージャ)が「種子」特有の潜勢性において隠在する場所であり、ユングのいわゆる集団的無意識あるいは文化的無意識の領域に当たる。元型成立の場所。
C:B領域に近づくにつれて次第に意識化への胎動を見せる無意識領域。Bに近接する部分は宋代中国の「易」哲学的に言えば「無極にして太極」の「太極」的側面
Z:「意識のゼロ・ポイント」
******************
井筒俊彦「意識と本質」より
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<参考>
○「伝播する井筒俊彦」(2014-11-08)
能楽は最初から深層意識のプロセスへ焦点を当てていた。
表面上の時代がいかに変化しようと深層では変わらないものを、静かに伝統技術として受け渡してきた。
死が生を、死者が生者を支えているように、深い意識は浅い意識を支えている。
■
いのちの歴史は多様性と調和の歴史。
からだはそうして変化してきた。細胞は神経細胞に分化し、神経細胞は寄り集まりネットワークを作り、脳も分化し(前脳・中脳・後脳・脊髄、末梢神経、、、)、同時に意識の構造も分化した。
意識はひとつの大海から、浅い層から深い層までグラデーションに分かれ、生は浅い意識の層の現実として分かれていき、死は深い層の現実として分かれて行った。
それは専門分化の歴史でもあるが、同時に調和・協力する歴史でもあった。
○ひとのからだ(2015-05-23)
○イルカやクジラやジュゴンやマナティー(2015-11-20)
■
ものごとの本質はコミュニケーションであり、ダイアログ。
意識の浅い層と深い層は、対話して交流をすることが必要だ。
いまの社会は、浅い層だけで構成されていて、だからこそ脆く、時の流れに共鳴することができない。
言語は、かなり最近生まれてきたものだ。言語よりも非言語のやりとりのほうが歴史は長い。
言語を発する前の、意識の変化に、体の細胞の変化に丁寧に注意を向ける。
意識の深い層にはいのちの根源が「たましい」として控えていて、そこでは常に調和の光を発光している。そこに触れれば、おのずから全体は整う。
それは「夢」として、日々眠る時にその一端を垣間見ている。
この世界の神秘劇は、通常の意識では把握できない秘密の劇場として幕をあけている。
眠りの意識で日々を生きれば、その神秘劇には毎日参入できる。
役者として、脇役として、脚本家として、観客として、劇場として。
■
意識の深い層に、真珠のような硬い貝に包まれ保護された「たましい」へと到達するのが芸術の深い役割であり、医療の深い役割。
童話でも演劇でも絵画でもいい。それはすべて通過する門だから。
アートはゲート。
その水源から芸術も医療も生まれ続けて、違う水路を通りこの世界へ噴出し、それぞれが役割を果たすためにこの世界へ責任もって生まれてきたのだ。
レオナルド・ダ・ヴィンチ (Leonardo da Vinci)
『芸術の科学と、科学の芸術を研究せよ』
「レオナルド・ダ・ヴィンチの手記」(岩波文庫)
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○写真:八ヶ岳 金生遺跡周辺 縄文(JOMON)より
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芸術と医療とは密接につながっている。
演劇と伝統芸能(能楽)を背骨にして、医療との接点を共有する場にした。
自分の中で、芸術と医療、古代ギリシアと古代日本、神殿と神社、魂とねむり、オリンピックと祭り、地方と都市、非西洋医学と西洋医学・・・すべてがつながっている。
八ヶ岳の金生遺跡周辺にいった。
そこは縄文(JOMON)の世界であり、耳をすませば色んなことが得られる情報場のようなところだった。
わたしたちの世界の深層には、縄文世界がある。
それは浅い意識の層に対する深い意識の層のようなもの。
浅い場所は、必ず深い場所が支えている。
→
●写真:八ヶ岳 金生遺跡周辺 縄文(JOMON)
■
芸術と医療に関して。
ミヒャエルエンデより。
-------------
「音楽に理解はいらない。そこには体験しかない。
シェークスピアの芝居を見に行ったとする、そのときもです。
私は決して利口になって帰るわけではありません。何事かを体験したんです。すべての芸術に言えることです。
本物の芸術では、人は教訓など受けないものです。
前より利口になったわけではない。より豊かになったのです。
私の中の何かが健康になったのです。秩序がもたらされたのです。
およそ現代文学で見落とされてしまうのは、
芸術が何よりも治癒の課題を負っている、という点です。」
-------------
子安 美知子『エンデと語る―作品・半生・世界観 (朝日選書,1986)』
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○たましいと芸術(2015-11-30)
■
芸術や医療で起きる魂のプロセスは、すべて深層意識で起こるプロセス。
表層意識だけで生きていると「よくわからない」が、それは理性で把握できない、脳が合理化できない、ということでもある。
意識には階層構造がある。
******************
「深層意識はそれ自体多層構造を持っている。
現代の言語学は、表層世界の下に潜む「無意識的下部構造」の強力な働きを認める点でユングの分析心理学と一致しており、
「深層意識は象徴を構造化する器官なのであって、粗大な物質的世界がここで神話と詩の象徴的世界に変成する」とする。」
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A:表層意識
M:「想像的」イマージュの場所。B領域で成立した元型はこのM領域で様々なイマージュとして生起し、経験的事物に象徴的意義を賦与したり、存在世界を一つの象徴的世界として体験させるといった独特の機能を発揮する。
B:言語アラヤ識領域。意味的「種子」(ビージャ)が「種子」特有の潜勢性において隠在する場所であり、ユングのいわゆる集団的無意識あるいは文化的無意識の領域に当たる。元型成立の場所。
C:B領域に近づくにつれて次第に意識化への胎動を見せる無意識領域。Bに近接する部分は宋代中国の「易」哲学的に言えば「無極にして太極」の「太極」的側面
Z:「意識のゼロ・ポイント」
******************
井筒俊彦「意識と本質」より
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○「伝播する井筒俊彦」(2014-11-08)
能楽は最初から深層意識のプロセスへ焦点を当てていた。
表面上の時代がいかに変化しようと深層では変わらないものを、静かに伝統技術として受け渡してきた。
死が生を、死者が生者を支えているように、深い意識は浅い意識を支えている。
■
いのちの歴史は多様性と調和の歴史。
からだはそうして変化してきた。細胞は神経細胞に分化し、神経細胞は寄り集まりネットワークを作り、脳も分化し(前脳・中脳・後脳・脊髄、末梢神経、、、)、同時に意識の構造も分化した。
意識はひとつの大海から、浅い層から深い層までグラデーションに分かれ、生は浅い意識の層の現実として分かれていき、死は深い層の現実として分かれて行った。
それは専門分化の歴史でもあるが、同時に調和・協力する歴史でもあった。
○ひとのからだ(2015-05-23)
○イルカやクジラやジュゴンやマナティー(2015-11-20)
■
ものごとの本質はコミュニケーションであり、ダイアログ。
意識の浅い層と深い層は、対話して交流をすることが必要だ。
いまの社会は、浅い層だけで構成されていて、だからこそ脆く、時の流れに共鳴することができない。
言語は、かなり最近生まれてきたものだ。言語よりも非言語のやりとりのほうが歴史は長い。
言語を発する前の、意識の変化に、体の細胞の変化に丁寧に注意を向ける。
意識の深い層にはいのちの根源が「たましい」として控えていて、そこでは常に調和の光を発光している。そこに触れれば、おのずから全体は整う。
それは「夢」として、日々眠る時にその一端を垣間見ている。
この世界の神秘劇は、通常の意識では把握できない秘密の劇場として幕をあけている。
眠りの意識で日々を生きれば、その神秘劇には毎日参入できる。
役者として、脇役として、脚本家として、観客として、劇場として。
■
意識の深い層に、真珠のような硬い貝に包まれ保護された「たましい」へと到達するのが芸術の深い役割であり、医療の深い役割。
童話でも演劇でも絵画でもいい。それはすべて通過する門だから。
アートはゲート。
その水源から芸術も医療も生まれ続けて、違う水路を通りこの世界へ噴出し、それぞれが役割を果たすためにこの世界へ責任もって生まれてきたのだ。
レオナルド・ダ・ヴィンチ (Leonardo da Vinci)
『芸術の科学と、科学の芸術を研究せよ』
「レオナルド・ダ・ヴィンチの手記」(岩波文庫)
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○写真:八ヶ岳 金生遺跡周辺 縄文(JOMON)より
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かけてきた時間が関わっているのを
感じました。
能や舞踏のゆっくりとした動きには、
一歩歩くうちに一万年を生きるのだと
思います。
だからその動きを見た時に、脳みその変な場所が刺激されて動く。
縄文土器って変なものですよね。
観ているとすごく、変な気持ちになって集中してしまいます。土偶とか見てると時間が経つのも忘れます。
関係ないけど、エクスプロージョンっていう人たちが踊っている「本能寺の変」っていうダンス動画、面白いですよ☆
ぬーっと動くところとバッと動くところが見事で、何度観ても飽きません。おすすめ☆
縄文友の会会長さんですもんね!(^^
意識の深さに、かける時間が関わる、というのはまさしくそうですね。
都市のように外の世界の動きが速いと、内的時間もそれにつられて速くなり、意識の表層で情報処理するようになるのでしょうね。そうなると、やはりなんだか浅くて安定感が無い。それが不安にもつながる。
エクスプロージョンのダンスもそうですが、こういう予測不能の動きっていうのは、予測と制御(ああすればこうなる)を通常の仕事としている脳にとっても、活性化になるんでしょうね!