日常

狂言ござる乃座54th 国立能楽堂

2016-11-07 11:17:07 | 芸術
10月20日木曜は国立能楽堂にて「狂言ござる乃座54th」を見に行きました。
野村萬斎さん主催の、狂言だけの会です。1987年から続いています。

狂言ござる乃座 - 万作の会
万作の会


●萩大名(出演:野村萬斎・中村修一・高野和憲)
●連歌盗人(出演:野村萬斎・石田幸雄・野村万作)
●首引(出演:深田博治・飯田豪・内藤連・月崎晴夫・金澤桂舟・中村修一・岡聡史)

いづれも面白かった!

言葉もわかりやすく現代にも通じるユーモアが満載(=萬斎)。
ユーモアというより、滑稽という言葉が適切だろう。
人間の滑稽を描くために、その底に深い人間愛があるのを感じる。人間の業もすべて受け入れた人間賛歌。

動きの型、台詞の型、舞の型、謡いの型、、、
「型」という形で古代の身体言語が真空パックされているので、タイムスリップした気になる。安定感や信頼感の母体となる。

能は死者の鎮魂が主になっている神事に近い演目だが、人間は緊張だけでは耐えられない。体も硬くなる。
だからこそ、狂言や笑い、という形で体を弛緩させてゆるくさせてリラックスさせる。
それは陰と陽、陽と陰のように互いを相補的に支えあいながら存在しているもの。
人間への深い理解に基づいてそうした番組が組まれていたこと自体に感動する。

空間で体感し体験する、ということが本当に重要だと思う。
狂言のあらすじを知的に理解することが本質なのではなくて、人間の善も悪も含めた全体性を、笑いと大きな包容力で包みこんでいくこと。それを体験として体に刻む。

声もマイクや機械を通さず、生の声が空気を振動させて全身の皮膚へ振動として伝わる身体感覚。
こういう感覚は、インスタントなものではなく長く余韻として記憶として残る。
脳が記憶するのではなく、からだ全体が記憶媒体になるようなものです。


今回、萬斎さんからのご依頼を受けて、萬斎さんや古典芸能への敬意を込めた文章を寄せました。MANSAI解体新書のご縁です。

10月23日(日)の狂言ござる乃座54th(国立能楽堂)、11月5日(土)の狂言ござる乃座 in KYOTO 11th(金剛能楽堂)でもこの文章を使っていただけるとのことで、嬉しい限りです。
文章を寄せるとき、あまり知的な作業にならないよう注意しながら、能・狂言、萬斎さん、古典芸能への愛を核として、そこからぶれないように注意します。

自分の中から出てくるものをじっと待って、待って待って待ち続けて、深い場所から沸き起こってくる言葉を金魚すくいのように救い上げると、自分が最も信頼できる自分らしい文章になるものです。素直な気持ちで書きました。


<参考>
20160730 『MANSAI 解体新書 その弐拾六』(2016-05-26)
渦と場(2016-08-03)


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いのちを受け継ぎながら

萬斎さんとは、『MANSAI解体新書 その弐拾六』(世田谷パブリックシアター)にて、ギタリストの大友良英さんと一緒に共演させていただきました。
その瞬間にしか生まれない場が立ち上がり、素晴らしい会でした。
萬斎さんという果てしなく深く広い器の中で、出演者は触媒となり、お客さんも含めた場全体が化学反応を起こしていました。

舞台は、あたまで知的に理解するためのものではなく、からだ全ての細胞で感じ、豊かになるために行くものだと思います。
質の高い芸術により、いのち本来の全体性や調和が取り戻されます。
だからこそ、舞台などの空間芸術には極めて医療的な側面があります。現代医学が見落としていることです。

自分はそうした観点からも芸術を愛し、古典芸能への深い敬意を持ち、能楽の稽古に励んでいます(観世流梅若派能楽師 井上和幸先生)。


萬斎さんは野村家の長男として狂言師を受け継ぐ傍ら、世田谷パブリックシアター芸術監督もされ、ゴジラにもなり、ご活躍は多岐にわたります。
萬斎さんは、芸能が持つ可能性を信じ、受け取った全てを広い視野で次の世代に受け渡そうとされていると思います。
「みずから」受け継ぐ強い覚悟と、「おのずから」の流れ。そのあわいの力を萬斎さんの存在から感じます。

ギリシャのエピダウロスに、紀元前4世紀に作られた古代円形劇場(世界文化遺産)がありますが、そこはギリシャ神話に登場する医療と健康の神(アスクレピオス)の聖地でもあります。この地に足を運んだとき、総合的な医療施設だと思いました。
劇場以外にも、温泉場、神殿が広く配置され、心や体の全体性を取り戻すため、芸術や温泉を含めた心身の総合的なケアが行われていたのです。神殿には眠る場所もあり、そこで見る夢にはアスクレピオスが現れ、眠りや夢見体験そのものが人間の全体性を回復する聖地でした。

日本では、能楽や狂言や神楽など、伝統芸能や祭りの形で先人の技や思いは伝わっています。日本人は、文字で情報を伝えるのではなく、身体言語としてからだで一人一人に伝えていく手段をとりました。
なぜなら、からだは嘘をつけないからです。
身体言語は「型」として伝承され、美へと変換され、能や狂言として体験します。
型は体の自然に沿った調和的なからだの在り方でもあり、伝統芸能ではたたずまいだけ(そこにいるだけ)で美しいのです。
筋肉と骨、からだは対立せず、からだ全体が調和的だからこそ、年をとればとるほど、動きの質は深まり、美しさを増していくのです。
美は調和であり、いのちの原理そのものです。
伝統芸能は「いのち」を受け継ぎ、私たちを支えるいのちへと働きかけます。
日常と違う夢見の意識状態で舞台を体験することは、いのち、からだ、こころ全体の調和にもつながるのです。

萬斎さんをはじめ、日々の稽古で先人のいのちを伝える尊いお仕事をされている皆様が日本の霊性を深層で支えています。深い敬意を持っております。舞台にいつも感動しています。本当にありがとうございます。