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日常

文明への適応

2011-07-31 18:56:06 | 雑多
<1>.
7月16日から7月24日まで山で生活していました。
「2011年度涸沢登山」(2011-07-25)

山から下界におりてきたので、文明化社会に適応中です。なかなか適応できません。
全ての動きが速すぎます。眼が回りそうです。
ただ、そこは持ち前の適応能力で、それなりに順応してはいますが。


丸裸の自然から、時間をかけてここまで文明化された社会を作ったのは、ある意味で驚きでもありますよね。
水が普通に出たり、トイレで普通に流したり、外にでたら食べ物と飲み物が買えたり・・・・
やれやれ。

そんなこんなで、下山後1週間くらいで、身体も精神もやんわりと文明へ適応してきました。


ところで。
都市には直線がとにかく多いですね。自然の中は曲線が基本です。
世界観そのもののギャップを感じます。

文明から野生へ、野生から文明へ。
行ったり来たりしてます。



<2>.
ほんとうは映画を見たいのです。
ただ、いかんせん土日も緊急呼出し当番などがあり、映画館には行きにくい。
絵の展覧会とかは、電話がかかってきたら会場を出ればいいので楽なんですけどね。
映画は基本、人間缶詰状態ですから。


我が尊敬する松本人志の「さや侍」も見てません。きっとDVDで見ます。

あと、世界的な登山家、ラインホルト・メスナーの実際の登山を下敷きにした『ヒマラヤ/運命の山』 (監督:ヨゼフ・フィルスマイアー)というのも、8月6日から封切りです。
これは山の映像も満載。さすがに映画の大スクリーンで見たい!!


いま思い出しましたが、「岳」という映画も観に行ってないのでした。
この映画は、まさしく北アルプスの涸沢辺りが舞台なので、登山の前に行こうと思ってたはずなのに。

山をやってる人からは「山の現場からすると非現実的なシーンが多くて感情移入できなかった」というまずまずの評価だったので、これまたDVDで見ます。



<3>.
一部の方はご存じですが、とても仲良くしているお医者さんが本を出します。
ネットには値段もISBNも出版日までも出ています。(Amazonにはまだ出てないみたい。発売日決まったら出るのかな。)

だから、そろそろ公表してもいいでしょう。
7月発売はさすがに無理ですけど、8月中には本屋に出るのではないかと思います。

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「人は死なない ある臨床医による「力」と「永遠」をめぐる思索」
税込価格:\1470(本体:\1400)
出版社:バジリコ
ISBN:9784862381781
発行年月:201107
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なかなか衝撃的な本です。世界観変わります。
自分も校正には相当部分関わっているので(かなり原型がなくなるほど初稿と赴きが変わった)、興味ある人は是非買って下さい。
話題の書になるかもしれない。きっと、続刊が望まれ、続刊も刊行されるんじゃなかろうか。


<4>.
上記のY先生が精神世界やスピリチュアル系がお好きなので、自分も話題についていくためちょっとずつ読んでます。
確かに面白いんですよね。今までは自分の偏見があって、読んだこともないのに毛嫌いしてました。
いまは素直に読んでます。
もちろん、あたりもはずれもあります。
ただ、色んな意味で人間の奥深さを感じます。


青山にある、精神世界の専門店<ブッククラブ回>にも行ってきました。
ここは狭い店ですが、本の品ぞろえは確かにすごい。驚きました。
******ちなみに購入本******
○野口 晴哉「人間の探求」全生社(1974)
○野口晴哉「健康生活の原理」全生社(1976)
○柳田 国男「不幸なる芸術・笑の本願」岩波文庫(1979/10/16)
○ゲーテ「自然と象徴―自然科学論集」冨山房百科文庫(1982/3/22)
○ルパート シェルドレイク 「生命のニューサイエンス―形態形成場と行動の進化」工作舎(1986/3/20)
○梅原 賢一郎「カミの現象学―身体から見た日本文化論」角川叢書(2003/7/31)
○アリック バーソロミュー「自然は脈動する―ヴィクトル・シャウベルガーの驚くべき洞察」日本教文社 (2008/04)
○グレッグ・ブレイデン「イザヤ・エフェクト―古代の預言者と量子論をつなぐ「祈り」のテクノロジー」ナチュラルスピリット (2011/3/25)
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(自分を高めるための本代には遠慮しません。持って帰るの重かったけど。)


帰りには、南青山の「大江戸」という老舗のうなぎ屋へ。
お酒も飲まないので、普段の食費はほとんどかからない自分。
時にする贅沢は至福です。ちょい高めだけど確かにすごくおいしかったー。




・・・・・・・・

この世には自分が知らない世界が多いものです。
そのことを知るたびに愕然とします。
それこそ、「無知の知」(By.ソクラテス)の状態なのかもしれない。


どんなことにも、あまり偏見を持たず、ちゃんと本を読んだり調べたりして、ちゃんと自分の頭で考えたい。
自分にどういう風に応用できるのか、自分の中にどういう風に統合できるのか、そんなことにこそ興味があります。
切り捨てるのではなく、取り入れることに興味があります。


学習や読書は、自分の偏見を凝り固めるためのものではなくて、自分のありかたを検証するためのもの。精神を自由にさせるものだと思うのです。
そして、あらゆるものを受け入れていく。それが自分という人間の成長につながるのでしょう。
そういう風に、人間は変化して成長するために開かれている存在だと思います。それはいい方へも悪い方へも、どちらへも向いうるものです。
だからこそ、イイ本を読んで、自分にいい栄養を与える。
それが、ユングが言うところの<自我egoから自己selfへ>のプロセスになるのかもしれない。


だからこそ、学習や読書は世界が無限に広がります。

生きている以上、学ぶべきことは多い。
人生は長いようで短い。短いようで長い。
だから、あまり偏見を持たず、精神は常に自由にして生きていきたいものです。