昨日、印象深い患者さんが亡くなった。
以前、死生観に造詣がある知り合いの方に、「印象的な死があれば、覚えているうちに記録しておいた方がいい。」と言われたこともあるし、少し書きとめてみようかと思う。
その人(仮にUさんとする)は、病気が判明してからの付き合いではあるけれど、元気な時はさぞ綺麗な人だったことが分かる女性の患者さん。頭もよくセンスもよくオシャレで若い女性。
本人によると、旦那さんと婚約した直後に難治性のガンが見つかったとのこと。
そこからが全ての始まりで、ありとあらゆる難治性の病気が続々と見つかる。
教科書でもほとんど見たことがない病気ばかりで、あまりに珍しいので難病指定にさえなっていないものも多かった。
その数々の病気の中で、心臓の状態も極限に悪く、どの病院でもどうしようもないので、心臓の加療に関してさじを投げるような形で自分の病院に紹介されてきた。
あまりにも合併する病気が多くて、心臓だけがよくなっても改善は見込めなかったが、その頭脳明晰なUさんは心臓の治療を望んだ。
その時から、このUさんは自分の病院と関わることになる。
Uさんは、抗がん剤や放射線治療の影響で、表面にある静脈がほとんどない。
子供用の細い点滴針で指さないと点滴が取れない。
普通の患者さんでとれるような場所からは点滴がとれない。1時間近く探してもどこにも点滴がとれない。
苦肉の策として小指の脇から点滴をとったりもしたし、お腹の血管からも点滴をとった(普通お腹の血管は発達しないのだけれど、心臓の血流が悪すぎるせいで、側副血行路という形で、お腹の血管が発達していた)。
全身の血管をくまなく探した結果、普通の患者さんでは絶対にとらないような場所からもしょうがなく点滴ラインをとった。
細い針ではあるけれど、Uさんは針を刺す度に痛くて泣いた。
1mmでも手元がずれるとその静脈はダメになるし、何度も泣かせるわけにはいかないので、いつも一発勝負だった。自分が呼吸すると手元がずれるような気がしたので、いつも呼吸を止めて点滴をとっていたことを思い出す。
Uさんにも、「先生がいつも真剣な顔して点滴をとるから、私も思わず息止めちゃうよー。」と、笑って言われた。
自分は、Uさんの血管と相性が良かったのか、誰もが点滴を取るのを嫌がるUさんから点滴ラインをとることが得意だった。だから、Uさんの指名で点滴を取りに行くことが増えてきた。
Uさんは僕が主治医ではなく、別の女性の先生が主治医だったのだけど、点滴を頼まれた縁から、僕とUさんは話すようになった。
Uさんは色々な病気を持っていたけれど、最終的には「蛋白漏出性胃腸症」という病気が、全身管理の治療に難渋する原因になっていた。
この病気は、口から摂取した蛋白質が、腸から吸収されずに下痢として素通りして体外に出て行く。
口から摂取するものが意味をなさなくなっていた。
そのため、アルブミン製剤の点滴を、2日に1回くらいの頻度で直接血管の中に投与する。
アルブミン製剤は非常に効果な血液製剤であって、保険では月に5回ほどしか使用が認められていない。それ以上の使用は病院が負担することになる。(患者さんに負担させると治療費が月に何十万もかかる)
そういうのを適用外使用とか言うのだけど、そういう治療薬の使い方は病院の赤字を増すだけであるので、どの病院もやりたがらない。
Uさんはありとあらゆる治らない病気もたくさん持っていたので、色々な病院で通院治療を拒否され、最終的には心臓しか専門的に診ることができない自分の病院に通院することになっていた。
そして、自分の病院にアルブミン製剤を2日に1回点滴しに来ることになった。
ただ、適用外使用をせざるを得ないUさんの特殊な状況を記載して色々な特別枠申請を組み合わせ、常識的な値段の範囲で治療を受けることができた。
結果的には、自分の病院も患者さんも、金銭的にあまり負担がない状況で治療を受けることができた。
Uさんも、元気なときは自分で外車を運転して通院していた時もあった。
ただ、栄養素が何も吸収されないまま体外へ素通りしていくような病気なので、徐徐に筋肉や脂肪はなくなり、全身の骨の輪郭がそのまま体の輪郭になったような体形になっていった。
治らない病気ばかりなので、何が原因かも特定できないような状況で全身状態が悪くなり、ここ数年は入退院を繰り返していた。
僕はその度にUさんに会いに行き、何気ない会話をしに行った。
「先生!その靴クロックスでしょ?履きやすい?私もそれ買いに行こうかなぁー。」
Uさんも、ほとんど外に出て歩けないような筋肉であるのは分かっていたと思うけど、お洒落に敏感なので、そういう話題を話してくる。僕は病室から出るたびに涙が出たけれど、他の人には見られないようにしていた。
「先生!いつも手術着だけど、今日は学会だからネクタイしてるの?そのシャツとネクタイお洒落だねー。かっこいいよ。私が婚約する前だったら、先生にプロポーズしてるかなぁー。」
そんなお世辞や冗談を、Uさんは笑顔で話していた。
そんな元気なときもあった。
Uさんには、特殊な病気のために、特殊な色々な事が起きた。
いつも大変だったけど、ここ最近は誰が見ても、見た目にも悪くなっていた。
人間は骨があって、そこに内臓がついていて、それを血管や神経がつないでいて、そこに肉がついていて、そんな全体を皮膚で覆っている。それは頭では知っているし分かっているのだけど、肉(筋肉・脂肪)がない人を実際にあまり見ることがない。
ただ、Uさんはそういう人だった。
ここまで人間は生きることができるのかと思う、そんな人だった。
正確な描写はあえて避けるが、そういう外見だった。
逆に言えば、どんなに美しい人も、綺麗な人も、人間である以上、誰もがUさんの状況に反転する可能性があるとも思った。
人間が肉体と精神からできているとすれば、Uさんは精神で存在している人のように見えた。見た目とか、外見とか、そういう肉体にまつわるものを超えた存在として、自分には見えた。
「人は外見ではないよ、中身だよ。」「人を見た目で判断してはいけないよ。」と、巷でよく言うけれど、若い時はあまりそう思えなかった。
「ただの綺麗ごとだ」とか、「いい人に思われたいから言っているんだ」とか、天の邪鬼に思っていたときもあった。
ただ、医療に従事していると「人間の肉体は一時的な住み家のようなものだ」、「人は精神や心が、より大事であって、その人はそこにいるんだ」と、実体験として度々そう思うことがある。
以前Uさんの主治医だった女医さんは、今は病院を異動して別の病院で勤務していたのが、ほぼ1年ぶりに突然Uさんに会いに来た。
Uさんが「昔の主治医に会いたい」と看護師に言って、仲のいい看護師を経由して、ここに遊びに来たのだった。
昔の主治医が会いにきた日、僕もその女医さんと会うのも久しぶりだったし、Uさんも僕と会いたいと言っていたので、女医さんと僕は一緒にUさんの部屋に会いに行った。
少し見ない間に、Uさんは更に変わり果てた表情になっていた。
話していると、時々眼が上転した。
眼が上転したとは、その瞬間は脳に血液がまわっておらず、意識を失っているということを示している。一過性の脳虚血の状態が断続的に起きている。
朦朧とした意識の中で、Uさんは話していた。
Uさんは眼が見えなくなってきたと言った。
僕は、自分が傍にいるということをUさんに示すため、Uさんの手を握った。
Uさんの心臓は悪すぎる。
手を握ると、それだけで手は真っ青になり、血が通わない色になる。
心臓より高い位置で手を握ると、心臓には重力に反して血液を送る力がなくなっていて、すぐに手は真っ青になり、血が通わない色になる。
だから、手は握るというより、優しく触れるように、添えるように注意した。
血液が通うように、心臓より低い位置に手をもっていくように注意した。
Uさんは言った
「先生、4月から、別の病院に行くの?行かないで。」
「先生、会いに来てくれて、叫びたいくらい嬉しいよ。」
Uさんは僕を抱き締めようとしたが、全身の筋肉がないため、力なく覆いかぶさるような態勢になったけれど、それは彼女が抱きついて感謝を示しているサインだということは、痛いほど伝わった。
「先生、さびしい。」
「先生、もうほとんど何も見えない。」
話しながら時に眼が上転していた。死と生を行ったり来たりしているのが分かった。
僕は、目が上転して意識を失っていようが、もう何も見えないと言おうが、Uさんの顔を見た。
どういう表情をしているか、自分の記憶に残したいと、思った。
しっかりと、Uさんの顔を見て話さないといけないと、思った。
Uさんは生と死の両方にいることが見て取れた。
生と死は断絶されていて、デジタルに二つに分かれるように思われやすいが、死の直前の人を丁寧に見ていると分かることがある。
それは、死と生の両方の状態のようなものが間違いなく存在していて、死と生は断絶されたものではないということ。
黒と白の色があるとしたら、黒の絵具と白の絵具をランダムに混ぜた時の、そこで出てくる複雑な色合いのような、そんな色合いの人間の状態が存在するということ。
病室からの帰り際に
「先生、来てくれてありがとう。会えてよかった。」
と言われた。僕も、ほぼ同じことを返した。
僕は「明日も部屋に遊びに来るよ!また明日ね!」と言って部屋を出た。
その数時間後、彼女は亡くなった。
今思えば、あの会話は最後だった。
でも、自分には最後だったという実感は、ない。
なぜなら、Uさんの死ぬ間際、生と死を行ったりしているときに、しっかりと顔の表情を見たからだ。
自分の網膜と脳に、その像は焼きつけられ刻印されているので、目を瞑って思いだすだけで、その表情は鮮明に蘇る。
勿論、記憶は曖昧なものだから、時間の経過とともに徐徐にその像はピントがずれた、ぼやけた像になっていくのかもしれない。
でも、Uさんは、病気のために筋肉や脂肪がついたよく見かける平均的な肉体というものを持っておらず、精神だけで生きているような人だった。
そういう意味で、外見上の鮮明な像が浮かぶことは自分にはあまり大切なことではない。
Uさんが死んでしまったような感覚がないのは不思議だ。
というのも、死に顔は、まるで寝顔のようだったから。
僕が生きているうちに起きてこないだけで、単に寝ているだけなのかもしれないとさえ、思えた。
1日24時間のうち8時間寝るとすると、一日の3分の1は寝ている。30年生きてきたから、自分は10年寝ていた計算になる。
30年スパンで考えると、20年起き続け、10年寝続けることと同じようなものだ。
Uさんの表情は、そんなことと同じような表情に見えた。
Uさんは、僕がブログを持っていることすら知らないけど、僕がブログに書いたことを知ったら、きっと喜んでくれると思う。そういう人だったから。
そういう色んなことを考えたり思い出したりして、さっきも少し泣けてしまいました。
以前、死生観に造詣がある知り合いの方に、「印象的な死があれば、覚えているうちに記録しておいた方がいい。」と言われたこともあるし、少し書きとめてみようかと思う。
その人(仮にUさんとする)は、病気が判明してからの付き合いではあるけれど、元気な時はさぞ綺麗な人だったことが分かる女性の患者さん。頭もよくセンスもよくオシャレで若い女性。
本人によると、旦那さんと婚約した直後に難治性のガンが見つかったとのこと。
そこからが全ての始まりで、ありとあらゆる難治性の病気が続々と見つかる。
教科書でもほとんど見たことがない病気ばかりで、あまりに珍しいので難病指定にさえなっていないものも多かった。
その数々の病気の中で、心臓の状態も極限に悪く、どの病院でもどうしようもないので、心臓の加療に関してさじを投げるような形で自分の病院に紹介されてきた。
あまりにも合併する病気が多くて、心臓だけがよくなっても改善は見込めなかったが、その頭脳明晰なUさんは心臓の治療を望んだ。
その時から、このUさんは自分の病院と関わることになる。
Uさんは、抗がん剤や放射線治療の影響で、表面にある静脈がほとんどない。
子供用の細い点滴針で指さないと点滴が取れない。
普通の患者さんでとれるような場所からは点滴がとれない。1時間近く探してもどこにも点滴がとれない。
苦肉の策として小指の脇から点滴をとったりもしたし、お腹の血管からも点滴をとった(普通お腹の血管は発達しないのだけれど、心臓の血流が悪すぎるせいで、側副血行路という形で、お腹の血管が発達していた)。
全身の血管をくまなく探した結果、普通の患者さんでは絶対にとらないような場所からもしょうがなく点滴ラインをとった。
細い針ではあるけれど、Uさんは針を刺す度に痛くて泣いた。
1mmでも手元がずれるとその静脈はダメになるし、何度も泣かせるわけにはいかないので、いつも一発勝負だった。自分が呼吸すると手元がずれるような気がしたので、いつも呼吸を止めて点滴をとっていたことを思い出す。
Uさんにも、「先生がいつも真剣な顔して点滴をとるから、私も思わず息止めちゃうよー。」と、笑って言われた。
自分は、Uさんの血管と相性が良かったのか、誰もが点滴を取るのを嫌がるUさんから点滴ラインをとることが得意だった。だから、Uさんの指名で点滴を取りに行くことが増えてきた。
Uさんは僕が主治医ではなく、別の女性の先生が主治医だったのだけど、点滴を頼まれた縁から、僕とUさんは話すようになった。
Uさんは色々な病気を持っていたけれど、最終的には「蛋白漏出性胃腸症」という病気が、全身管理の治療に難渋する原因になっていた。
この病気は、口から摂取した蛋白質が、腸から吸収されずに下痢として素通りして体外に出て行く。
口から摂取するものが意味をなさなくなっていた。
そのため、アルブミン製剤の点滴を、2日に1回くらいの頻度で直接血管の中に投与する。
アルブミン製剤は非常に効果な血液製剤であって、保険では月に5回ほどしか使用が認められていない。それ以上の使用は病院が負担することになる。(患者さんに負担させると治療費が月に何十万もかかる)
そういうのを適用外使用とか言うのだけど、そういう治療薬の使い方は病院の赤字を増すだけであるので、どの病院もやりたがらない。
Uさんはありとあらゆる治らない病気もたくさん持っていたので、色々な病院で通院治療を拒否され、最終的には心臓しか専門的に診ることができない自分の病院に通院することになっていた。
そして、自分の病院にアルブミン製剤を2日に1回点滴しに来ることになった。
ただ、適用外使用をせざるを得ないUさんの特殊な状況を記載して色々な特別枠申請を組み合わせ、常識的な値段の範囲で治療を受けることができた。
結果的には、自分の病院も患者さんも、金銭的にあまり負担がない状況で治療を受けることができた。
Uさんも、元気なときは自分で外車を運転して通院していた時もあった。
ただ、栄養素が何も吸収されないまま体外へ素通りしていくような病気なので、徐徐に筋肉や脂肪はなくなり、全身の骨の輪郭がそのまま体の輪郭になったような体形になっていった。
治らない病気ばかりなので、何が原因かも特定できないような状況で全身状態が悪くなり、ここ数年は入退院を繰り返していた。
僕はその度にUさんに会いに行き、何気ない会話をしに行った。
「先生!その靴クロックスでしょ?履きやすい?私もそれ買いに行こうかなぁー。」
Uさんも、ほとんど外に出て歩けないような筋肉であるのは分かっていたと思うけど、お洒落に敏感なので、そういう話題を話してくる。僕は病室から出るたびに涙が出たけれど、他の人には見られないようにしていた。
「先生!いつも手術着だけど、今日は学会だからネクタイしてるの?そのシャツとネクタイお洒落だねー。かっこいいよ。私が婚約する前だったら、先生にプロポーズしてるかなぁー。」
そんなお世辞や冗談を、Uさんは笑顔で話していた。
そんな元気なときもあった。
Uさんには、特殊な病気のために、特殊な色々な事が起きた。
いつも大変だったけど、ここ最近は誰が見ても、見た目にも悪くなっていた。
人間は骨があって、そこに内臓がついていて、それを血管や神経がつないでいて、そこに肉がついていて、そんな全体を皮膚で覆っている。それは頭では知っているし分かっているのだけど、肉(筋肉・脂肪)がない人を実際にあまり見ることがない。
ただ、Uさんはそういう人だった。
ここまで人間は生きることができるのかと思う、そんな人だった。
正確な描写はあえて避けるが、そういう外見だった。
逆に言えば、どんなに美しい人も、綺麗な人も、人間である以上、誰もがUさんの状況に反転する可能性があるとも思った。
人間が肉体と精神からできているとすれば、Uさんは精神で存在している人のように見えた。見た目とか、外見とか、そういう肉体にまつわるものを超えた存在として、自分には見えた。
「人は外見ではないよ、中身だよ。」「人を見た目で判断してはいけないよ。」と、巷でよく言うけれど、若い時はあまりそう思えなかった。
「ただの綺麗ごとだ」とか、「いい人に思われたいから言っているんだ」とか、天の邪鬼に思っていたときもあった。
ただ、医療に従事していると「人間の肉体は一時的な住み家のようなものだ」、「人は精神や心が、より大事であって、その人はそこにいるんだ」と、実体験として度々そう思うことがある。
以前Uさんの主治医だった女医さんは、今は病院を異動して別の病院で勤務していたのが、ほぼ1年ぶりに突然Uさんに会いに来た。
Uさんが「昔の主治医に会いたい」と看護師に言って、仲のいい看護師を経由して、ここに遊びに来たのだった。
昔の主治医が会いにきた日、僕もその女医さんと会うのも久しぶりだったし、Uさんも僕と会いたいと言っていたので、女医さんと僕は一緒にUさんの部屋に会いに行った。
少し見ない間に、Uさんは更に変わり果てた表情になっていた。
話していると、時々眼が上転した。
眼が上転したとは、その瞬間は脳に血液がまわっておらず、意識を失っているということを示している。一過性の脳虚血の状態が断続的に起きている。
朦朧とした意識の中で、Uさんは話していた。
Uさんは眼が見えなくなってきたと言った。
僕は、自分が傍にいるということをUさんに示すため、Uさんの手を握った。
Uさんの心臓は悪すぎる。
手を握ると、それだけで手は真っ青になり、血が通わない色になる。
心臓より高い位置で手を握ると、心臓には重力に反して血液を送る力がなくなっていて、すぐに手は真っ青になり、血が通わない色になる。
だから、手は握るというより、優しく触れるように、添えるように注意した。
血液が通うように、心臓より低い位置に手をもっていくように注意した。
Uさんは言った
「先生、4月から、別の病院に行くの?行かないで。」
「先生、会いに来てくれて、叫びたいくらい嬉しいよ。」
Uさんは僕を抱き締めようとしたが、全身の筋肉がないため、力なく覆いかぶさるような態勢になったけれど、それは彼女が抱きついて感謝を示しているサインだということは、痛いほど伝わった。
「先生、さびしい。」
「先生、もうほとんど何も見えない。」
話しながら時に眼が上転していた。死と生を行ったり来たりしているのが分かった。
僕は、目が上転して意識を失っていようが、もう何も見えないと言おうが、Uさんの顔を見た。
どういう表情をしているか、自分の記憶に残したいと、思った。
しっかりと、Uさんの顔を見て話さないといけないと、思った。
Uさんは生と死の両方にいることが見て取れた。
生と死は断絶されていて、デジタルに二つに分かれるように思われやすいが、死の直前の人を丁寧に見ていると分かることがある。
それは、死と生の両方の状態のようなものが間違いなく存在していて、死と生は断絶されたものではないということ。
黒と白の色があるとしたら、黒の絵具と白の絵具をランダムに混ぜた時の、そこで出てくる複雑な色合いのような、そんな色合いの人間の状態が存在するということ。
病室からの帰り際に
「先生、来てくれてありがとう。会えてよかった。」
と言われた。僕も、ほぼ同じことを返した。
僕は「明日も部屋に遊びに来るよ!また明日ね!」と言って部屋を出た。
その数時間後、彼女は亡くなった。
今思えば、あの会話は最後だった。
でも、自分には最後だったという実感は、ない。
なぜなら、Uさんの死ぬ間際、生と死を行ったりしているときに、しっかりと顔の表情を見たからだ。
自分の網膜と脳に、その像は焼きつけられ刻印されているので、目を瞑って思いだすだけで、その表情は鮮明に蘇る。
勿論、記憶は曖昧なものだから、時間の経過とともに徐徐にその像はピントがずれた、ぼやけた像になっていくのかもしれない。
でも、Uさんは、病気のために筋肉や脂肪がついたよく見かける平均的な肉体というものを持っておらず、精神だけで生きているような人だった。
そういう意味で、外見上の鮮明な像が浮かぶことは自分にはあまり大切なことではない。
Uさんが死んでしまったような感覚がないのは不思議だ。
というのも、死に顔は、まるで寝顔のようだったから。
僕が生きているうちに起きてこないだけで、単に寝ているだけなのかもしれないとさえ、思えた。
1日24時間のうち8時間寝るとすると、一日の3分の1は寝ている。30年生きてきたから、自分は10年寝ていた計算になる。
30年スパンで考えると、20年起き続け、10年寝続けることと同じようなものだ。
Uさんの表情は、そんなことと同じような表情に見えた。
Uさんは、僕がブログを持っていることすら知らないけど、僕がブログに書いたことを知ったら、きっと喜んでくれると思う。そういう人だったから。
そういう色んなことを考えたり思い出したりして、さっきも少し泣けてしまいました。
すごい文章でした。
読んだ後、思わず背筋が伸びました。
印象的な生と死の間を目の当たりにして、それを普段から死や正に対して強い関心と思いをかけている蓄積があるからこそ紡ぎ出されたものだと思いました。
恐らく、ぼくはこのような体験をすることはほとんどないでしょう。
でも、いなば君が感じた100万分の1でも、追体験させてもらえたことを感謝します。
医師という仕事は尊いものですね。
このような言い方が正しいのかわからないけれど、彼女はきっといなば君の記憶に残って医師として、一人の人間として、生や死を深いところで考える力や感性をくれたんじゃないかと思いました。
それを文章にして読ませてもらったことで、接点が無かったはずのぼくも影響を受けています。
寝る前にちらっとよったら、あまりに引き込まれたし、忘れかけていた死というもの、生というものの存在にまた目が向きました。
イラストからも伝えたいことが視覚的に伝わってきました。書く、描く、発信するというのは、ほんとにすばらしいです。
ありがとう。
そしてご冥福を祈ります。
今回の絵のメッセージはきっと見るたびに違うインスピレーションをくれるのだろうけれど、今の私には「他者の精神、魂(といったらいいんだろうか・・・今自分の言い表したいことが、他の「言葉」で浮かばない!)が、自分の中に流れ込んできている様」に感じられます。伝わっていくもの。それはgeneとか血液とか身体的なものだけではなく、生き様、心のあり方、感性など、世の中にある見えないたくさんのメッセージ。それが影響しあって、伝わっていくのでしょうね。inspireは、in+spireであり、魂=息が吹き込まれることだから、本当に息が吹き込まれていく感じですね。いなばさんの今回のブログを読ませてもらって、私も彼女を知らないけれど、彼女の存在は私にとっても印象深いものになりました。本当に、心から心からご冥福をお祈りします。
一昨日、私の教えていた参加者(Kさん)の父親から電話があって、Kさんが病気で亡くなったことを知りました。Kさんは生徒といっても、中学校の英語の先生で、もう50歳くらいの方でした。とても熱心な方で、私たちの出版本を読んで感銘を受けてくれたようで、4年前くらいから一般の公開コースに来てくださっていました。お会いするのはいつも年に1回、3日間くらいだけれども、それでも自分達の印象に強く残るほどプラスのエネルギーをくださる、素晴らしい方でした。いつもKさんは自分の生徒のことを考え、「日本の英語教育を変えていくんだ!」とpassionateに語ってくださる方でした。いつもクラスの内容に喜んでくださり、丁寧にプラスのフィードバックをくださる方でした。プラスを周囲にも与え、他の参加者をプラスエネルギーで巻き込んでくださる方でした。その想いを強く感じていたからこそ、その訃報を耳にして、しばらく呆然と、ただ涙が流れていくのを感じるだけでした。もちろん基本的に参加してくださった方のほとんどを覚えているのだけど、Kさんはまた特別印象的な人でした。
ある意味では、私たちのコースに参加者が来たいと思わない限り、参加者と自分とが関わることはない。そういう意味では、他の人も含め、お会いしなければ/連絡が来なければ、生きているか死んでいるかすら分からない。でもそういった関係性の中でも、一回一回のコースを魂こめてこちらが教えていれば、互いの中に何かが残っていく。Kさんのお父様がお電話をくださったことで、それがより意識化されました。そう、いなばさんも大事にされている「一期一会」ですね。確かに無意識にその精神で教えてきたし、Kさんもそうだった。彼が人生をかけた「英語教育」。彼の伝えてくれたもの、inspirationをくれたものは、私の中に残っていく。
そして、これから行ってきます!
最近私の周りでも死を目にする事が増えています。
いなばさん書かれているとおり、人は精神によって決まる、のかもしれません。数ヶ月もすれば体の組成物も物理的には入れ替わるという話も読んだことがあります。何をもってその人だと決めるか。一貫して、触ったり見たりできる肉体をその手がかりにしがちですけれど。
結局、生きている間に「心に残るような引っ掛かり」や「つながり」の灯を、人との関係の中でいくつ点せるか、なのかもしれません。それが生きる、ってことなのかなと、最近考えてたりしています。
印象的なお話をありがとう。追体験することで、Uさんも、いなばさんも、もはや自分を構成する一部になった気がします。
魅力的なUさん、いなばさんに出会えてよかったですね。
そして、いなばさんも魅力的なUさんに出会えてよかったですね。
死というものについては時々ぼんやりと考えることがあります。
私の中にも、祖父や祖母、若くして行ってしまった親愛なる3人の友人、実際に出会い敬愛していた人たち、人間ではないけれど家族の一員であったペットなどなど、今はここにいない人たちの存在があります。
自分より先に行ってしまった人たち、そして自分も含めこれから行く人たちのことに思いをはせることがしばしばあります。(あえて逝くとは言いたくない…)
今の自分が感じていることは「生きるってことは、想い出だけが残っていくんだなぁ」と。
楽しく嬉しい想い出も辛く悲しい想い出も生きていく1ページ。
なので、ひとつひとつを大切に思いたい。
行ってしまった人たちの想い出は、思う人たちの心の中にいつまでも生きている。
読後、しばらく、時間が止まったように感じました。
やはり医師という仕事はすごいし、またすさまじいものだなと思いました。
「死」を考えることから、ぼくなどは普段、遠ざかるように、忙しさに隠れてしまうけれど、…医者は職業上、それができないんですね。
こうした貴重な話を聞かせてもらって、
やっぱり、自分を捉え直す機会になります。ちっぽけなことに愚痴ってたらバチが当たりますね。ホントにこうしたときに、生きてるだけで尊いし、自分はそんな貴重な時間の中で何ができるのかを、フト考えさせられました。がんばらねばならない。
僕はUさんとは3年近い長い付き合いなので、彼女への追悼というか、鎮魂と言うか、そういう祈りのような心境で書いたのですね。
文章にしたり、ネット上にアップしにくい事柄もいっぱいあって、それは、また皆さんと対面してお会いする機会があれば、その時にでもお話します。
Uさんは、本当に医学が扱う世界では極限の状態に近い女性で、実際色々な病院はサジを投げたわけですし(それは非難するつもりはなくて、普通はそうだと思う)、うちの病院は色んな縁でUさんの最期を担当させてもらうことになったわけで、それはほとんど偶然です。
>>>>>>>>>>>ShinK
夜中に書いて、すぐに返信のコメントをくれたようでありがとう!
職業上、確かに生と死を考えさせられることは多い。
でも、あまりにそういう機会が多いからこそ、医師とか看護士っていうのは、その感覚が麻痺してきて、鈍磨してきて、鈍感になってくることが多いのも事実。
仕事に埋没しすぎて、世界がそこで閉じられるとそういう状況に陥りやすい。
だから、自分は世界を開くことで、生や死がどんなに日常であっても、常にナイーブでありたいし、繊細でありたいと思っています。
確かに、Shin.K氏は、ここまで状態の悪い患者さんを見る事はないかもしれない。それは、病者が病院という閉じられた世界に閉じ込められているから。
生老病死。
この4つのプロセスを、僕はもっと世界に開くべきだと思っていて、それは自分の課題としてやろうと思っていることでもある。
今は、医療や医学が、専門性を隠れ蓑にして、生老病死を全て医学が抱え込んで、独占している。そして、そこで閉じようとしている。
Uさんのような人は、どんなに姿形がやせ細っていても、外に出たいといっていた。病院のような閉じられた世界だけで生きたいとは思っていなかった。
そういう病者や死者を見続けて、今後自分が果たせる役割があるとしたら、そういう風に<生老病死>を世界に開くことじゃないかとおもっているんですね。
それは街づくりかもしれない、芸術かもしれない。手段は何であってもいいんだけど、同じようなことを考えている人がいると、そこに場ができる。その場にいる人たちのスキルや技を、うまく組みあせると、そこで自ずからどういう手段をとっていくべきかが立ち上がってくると思っていますね。
このブログも、結果的には同じような役割を果たすのかもしれない。
こうやって、自分の拙い文章に、何かしらのものを受け取ってくれる人がいるわけだからね。
Shin.K氏が言うように、Uさんは僕の深いところに入ってきたんだと思う。表層的なところではなく、かなり深い層に入ってきて、色んなことを考える力を頂いた。だから、あまり死んでしまった感覚がないんだと思うね。
確かに会って話せないし、触れることも出来ないかもしれない。
でも、それが全てではない。
Shin.K氏とも上海と日本だし、昔のようにご飯食べたりコーヒーを飲みながら話せないかもしれない。
でも、それが全てではない。それと同じですね。
イラストからも、なんとなく感じてくれて嬉しいです!
何か意図や目的があるというより、受け手の人にザワメキが起こり、何か感じれば、それで十分!と思っていますし。
コメントありがとう!Uさんも喜びます。
>>>>>>>>>>>ともこさん
確かに、たくさんの「生」と「死」を見てしまいましたね。
人の顔や性格が全て違うのと同じで、死に様も全て違います。
ただ、死の間際というのは、その人の生が凝縮されたようなものが反映してくると思います。
愛して愛された人は、愛し愛されて死んでいる。
人を憎んで信じなかった人は、憎まれ信じられず死んでいる。
それは、ほとんど死が生の鏡のよう。
Uさんは、人や世界を愛していたので、人や世界に愛されていたと思える。
そういう不幸な病気になったこと、それは世界に愛されていないように一見思えてしまうけれど、彼女の死のプロセスや僕がそこで感じた事、そして感じた事をどういう風につなげていこうかと僕が考えている事、その産物の一つでもあるこのブログで、色んな人が色んなことを感じた事。ここまでUさんの思いや生き様が伝播するというのは、僕はすごいことだと思う。
Uさんの中に閉じられず伝播していっているから。それは、僕以外の医療スタッフも、色んな形で色んなものを自分の中に持って帰っていると思うのですね。
どんな地位や名誉を得た人でも、死に際に色んな人が会いにきて、寄り添って、色んなものを感じて持って帰るわけではないんですよね。
何を幸せとするか。
印象的な死は、色んなことを考えさせられます。
自分の中に色んな感情が駆け巡ります。
Uさんも生前は辛いことはいっぱいあったと思う。
何度絶望を感じたことか、何故私がこんな目にあわないといけないのかと、何万回も思ったと思う。
でも、僕が病室でUさんと話したときは、絶望の表情ではなかった。
生き仏のような顔だった。
生きているとか、死んでいるとか、そういうのを超えていると思いましたね。
肉体という仮の姿を超えて、彼女の精神や心そのものが、何か透けて見えるような、そんな感じとでも言えばいいのでしょうか。
死ぬとき、肉体はなくなるわけですし。
それを、仏教では形あるものを『色』と表現して、色即是空、空即是色。などと表現しているのかもしれない。
Shin.K氏と同様、ともこさんも、絵から感じてくれたみたいで嬉しい。
「inspire→in+spire→魂=息が吹き込まれる」っていうのは、流石言語のプロですね!僕も医療はプロの端くれですが、そうやってお互いの違う領域のスキルが組み合わせれて交じり合えるのは嬉しい。
医療は、人間を扱っている以上、絶対にそこだけで閉じられたら駄目なはずだから。
ともこさんの、死の話もとても興味深いです。そういうプラスのエネルギーが還流していたのは間違いないもので、その体験がともこさんに残っている限り、長期記憶として薄れてきたとしても、ともこさんの中には永遠に息づいているんでしょうね。血となり肉となると、もう記憶の底に沈殿して、意識すらしなくなるし、その意識すらしなくなるほど一体化した状態が、一番いい塩梅なのかもしれない。
「一期一会」という感覚は、死と対面すると意識せざるをえない概念です。
僕は、いつも一期一会だとおもって、今を大事に思いながら話すようにしています。
それが、死と対面してから、より鋭敏になった感覚かもしれない。
コメントありがとう!Uさんも喜びます。
mayuさんのブログにも、死を最近感じたことが書かれていましたね。
死って、そこにあっても、意識するかしないかで、見えたり見えにくくなることってあると思います。
たとえば、道端で蝉が死んでいたとして、それを死だと思うか、何も思わないか、その辺から自分にとっての死の問題は始まるのかもしれない。
心臓はものすごく早い経過で死ぬことが多いので、慣れすぎると、死を死と思わなくなることがあります。死はそこにあるのだけど、「死」として捉えられないというか。
そこで心を乱していると、なかなか現代のあくせく早く動いているスピードに置いていかれそうな錯覚に陥ってしまうからなんでしょう。
だから、自分が戒めているのは、医療従事者が陥りやすい、死を死と思わないような、鈍磨な方向に進むんではなく、最近は特に死に対してより鋭敏に感受性を磨こうと思っています。
mayuさんも同意されていましたけど、僕も精神(心、こころ)がかなり大事だと思います。ちょっと前に引用した、村上春樹の<高い壁と弱い卵>のエピソードも同じようなことを感じました。
実体が目に見えないものって、容易に疎かになりがちなので、意識して、目に見えないものを全身で、五感で感じる必要があるのかもしれないです。
mayuさんがおっしゃるような、『「心に残るような引っ掛かり」や「つながり」の灯を、人との関係の中でいくつ点せるか』というのは、僕も同感です!
仕事とか、目に見える形での業績とか、お金とか、地位とか、名誉とか・・・そういうのはその手段にすぎないんだと思いますね。それは手段であって、目的ではない。
そういう意味で、どんな立場の人にも、同様にチャンスは開かれているし、現に今も、自分の前にその道は開かれているのかもしれないし、自分がどういう方向に歩いて行くことを決めるか、単にそれだけのことなのかもしれないですよね。
追体験して、Uさんや僕を身近に感じてもらえたら嬉しいですね。ありがとうございます!
僕も嬉しいし、きっとUさんはもっと嬉しいと思う!
>>>>>>>>>>>>>>雨音様
雨音さんも、雨音さんにとっての死というもがありますよね。
それは個々人で全て違うし、全てがオリジナルなものですよね。唯一無二のもの。
僕も、人間ではなくても、動物とか、生きとし生きるもの全て同じだと思います。
昔、飼っていたウサギが死んでしまって、しばらく茫然自失とした体験があります。
そのときから、初めて人間以外の生物の死を、より身近なものとして切実に感じることができたと思っていますね。そういう意味では思い出深い経験でもあります。
「想い出」「思い出」って言う言葉、僕はかなり好きな言葉の一つです。
自分にはいろんな思い出があって、その思い出を時に今思い出しながら生きている。
自分が、自分を丸ごと全肯定できる人生って、いかに過去をいい思い出と感じることができるかにかかっていると思います。
イイとかワルイとか、そういう善悪の判断基準も、結局自分の中にあって、自分の心を反映している流動的なものではないかと。
だから、自分の今の心のありようが、過去も、今も、未来も、全ての輪郭を形作っていくような気がしますね。
だから、自分の心を磨いて、心のチリをはらって、アンテナの感度を上げるていくプロセスは大事なのかもしれない。
それが、自分の心のありようを方向付けることにつながりますし。
そして、それは自分ひとりで自己満足・自己完結するんじゃなくて、色んな他者と還流させていくものだとも思いますね。
雨音さんがおっしゃるように、そんな心の働きの結果、自分の思い出というものが作られて、その中に死んだ人たちを含めた過去のものが、永遠に現在の中に同時進行で同居していくのかもしれないです。
コメントありがとうございます!Uさんも喜びます。
>>>>>>>>>>>>>>>>>>Is氏
Is氏が言うように、わしも、自分を捉え直す機会になるんですよねー。
こういう現実を見た上で、結局は自分に返ってくる。ここで何を思うか、何を感じるか、全ては自分に委ねられているから。自由意志のようなものに。
生老病死を見ると、今生きているという状態は、とんでもなく奇跡的なもので、奇跡的なバランスで成立していることが分かります。同時に、自分もその場所にいてもおかしくない存在であることを痛感する。
何の因果か、何の因縁か、自分が立っている今の立ち位置というものを再認識してしまう。そこから、その立ち居地に立っているものが果たすべき、自分の役割のようなものが、自然に浮かび上がってくることがありますね。
Uさんの死を思い、死を弔うために、自分が何ができるか。
あまりに無力で、あまりに何もできなかった自分が、無理せずできること。それは自分のブログに書くことだと思ったのです。
そんな自分の拙い文章で、色々な人が何か熱のような、力のようなものを感じてくれたとしたら、それは純粋に嬉しい。
Is氏も、最近胃腸の調子がよくないようですけど、具合大丈夫ですか?そんな状態で、コメントもらって、ありがとう!Uさんを代弁して、感謝します。
コメントのコメント。
反応したところを。
>生老病死。
この4つのプロセスを、僕はもっと世界に開くべきだと思っていて、それは自分の課題としてやろうと思っていることでもある。
…Uさんのような人は、どんなに姿形がやせ細っていても、外に出たいといっていた。病院のような閉じられた世界だけで生きたいとは思っていなかった。
…それは街づくりかもしれない、芸術かもしれない。手段は何であってもいいんだけど、同じようなことを考えている人がいると、そこに場ができる。その場にいる人たちのスキルや技を、うまく組みあせると…
このあたり、すごく共感!
たぶん、僕らの世代は近代化の中で専門分化していったものを(その意味や利点を精査しつつ)、再統合していく時代にいるのだと思う。いなばさん的に言うと「部分と全体」ってやつ。
病や老がまちに偏在していく様子…ってなんだか、ぼくには決してネガティブな事じゃなく映る。ぼくのいる町なんかは歴史も古いし、観光客もいる。そこに車イス押したおじいさんおばあさんもいて、修学旅行生とかもいて、保育園の散歩の時間の子供とかいて、農作業で泥まみれの人もいて…、それはそれで楽しいんじゃないかと思う。がんばりすぎてない感じというか。自然というか。遠ざけすぎるから禁忌されることってあると思うから、小さい頃から隣にあればそれは自然なこととして捉えられる。(三世代同居から核家族化へとかってのも一端をになってるのかな?)
芸術も、けっして後生大事にガラスケースの中にしまっておくだけじゃなくて、日常の中にあって…そういえば岡本太郎もそんなこと言ってなかったっけ?彫刻に子供が遊んで壊れたら、また作ればいいみたいな?
…そいえば、東大の本郷キャンパスには、修学旅行生と保育園のお散歩さんはよくいましたね。おじいちゃんおばあちゃん…まあ、教授陣はそんなものか(笑)。
体調も回復。
いただいた身体を使い尽くそう!
心からの鎮魂の詩を拝読して,まだ心がざわざわしています。
人の気持ちのつながりはなんて強いんだろうと思いました。いなばさんの人生全体に占めるUさんの面積,Uさんの人生全体に占めるいなばさんの面積は,例えば家族や旧友などと比べてけっして大きいものではないはずでも,そこには絶対に消えることのない,絶対にちぎれることのない絆がある。誰がなんといおうと,その絆はかけがえがなくて,その人の死によって消えてしまうようなものではないのですね。大切なものはやっぱり目に見えない。そう思いました。
こんな経験を共有してくださってありがとうございます。私も,これまでに経験した人の死や,私なりの一期一会を思い出しました。時間が経つほどに単なる出来事やエピソードにおとしめてしまいそうな貴重なものを心にとどめて生きていきたいなと思いました。
以前どこかのお坊さんが,いろいろな仏教の供養の日にち等を説明された後に,「でもね,亡くなった人への一番の供養は,その人のことを考えたり,思い出したりしてあげることです。」っておっしゃっていました。この文章には,いなばさんの祈りのような気持ちがこもっているのが伝わってきて,このお坊さんの言葉を思い出しました。
Uさんのご冥福をお祈りします。
ベットに横になり、目を閉じて、強烈に心に残ったそのUさんの死を思い、ご冥福をお祈りしました。涙が頬を伝いながらも、天国に行くUさんの魂と何か繋がっているような不思議な思いのまま眠りにつきました。今回読むのは3回目ですがやはり涙が出てしまいました。それほどここに、いなばさんのUさんに対する祈りや思いがまっすぐにこめられており、そしてそのことでUさんが私の心で壮絶に死に、そして生きるからだと思います。生きるというのはなんと壮絶で儚くて美しいものなのでしょうか。
私も今まで何人か大切な人を亡くして、悲しみの淵でどうしようもなく立ち尽くしましたが、自分の心にその人は生きているのだと思い感じることで、救われもしたし、そしてそれは事実なんだろうなと思います。医師として、沢山の死に立ち向かわなければならないことは、想像以上に過酷なのだろうなと日記を読んで感じるとともに、切実に生きたUさんとそれを切実に見守ったいなばさんの姿に、死そのものに対する悲しみや苦しみ以上に、生きる力ともいうべき、何か不思議な力をいただいた気がします。
どうもありがとう。
そしてUさんのご冥福を
いまいちど、心からお祈りいたします。
どうぞ天国で安らかに。