どんなことでも、現場を見るのは大事だ。
そういうことで、この土日に福島に行ってきました。知り合いのいる川内村や富岡町辺りです。
ちょうどNHKのあまちゃんでも3.11をやっていたのが偶然で・・。
川内村には去年も行ったのです。
→「ふくしま 川内村」(2012-02-06)
■
福島の自然はとてもとてもきれいだった。
風の動きと自然の動きがユラユラと同期していた。
遠目には穏やかに見える自然も、近くに行くと生命力にあふれたいろんな虫が生息している。そして、虫にも刺される弱い人間。
川内村は福島第一原発から20km近くに位置している村です。
植物や花が綺麗に咲き誇る自然の中、要所要所にはガイガーカウンターが当たり前のような顔つきで置いてある。
デジタル表示が静かに数字をカウントしているのを遠目に見ると、その網膜に映る映像がうまく現実と重ならない。非現実的な現実を見ることになります。
■
海岸沿いにある富岡町にも足を運んだ。
現地はまだ復興などには程遠く、色んなものがそのままで。手つかず。がれきはがれきとして放置されたまま。大通りだけは一応通れるけれど、海沿いはボロボロの家や自動車がそのまま放置されている。
震災からもう2年になろうとしている。
東京を含めた都会は何もなかったように日々動いているけれど、現地は2年間の時間が止まっているようにゆっくり動いている。こうも乖離があるのかと、正直ショックだった。
■
原発の現場自体も、まだまだ汚染水とか、配管から放射能が漏れたり地下に漏れたりとか、、、問題は山積みで。しかも、今後も何十年も続く問題として続いている。おそらく、自分が生きている時間と同時並行でこの物事は続いていく。もう一度津波がやってきたら福島原発はどうなるのだろうかと考えて、考えるのが怖くなり考えるのをやめてみたり。また同じことが繰り返されるのだろうかと考えてみたり、考えるのをやめてみたり・・。そういう思考実験を無意識に繰り返してしまった。
■
実際の現場の作業員の方にも話を聞きました。
まるで戦場にいる人と話しているようだった。
話終わって郡山駅で別れるとき、戦時中に兵士を戦地に送り出す側の気持ちに似たものを体感した気がします。
妙な罪悪感が自分の中に芽吹いた瞬間を目撃しました。
色んなややこしいことを、こういう人たちに押し付けて見ないふりしているだけのような気がして。見ざる言わざる聞かざる状態の自分。
そんな自分の中の些細な感情の動きに自覚的になりました。
現場の労働者の話す内容は、本当にリアルでした。
現場を全く分かっていない中央とのいろんな矛盾。政治との矛盾・・・、まるで社会の縮図を見るようで。自分の職場と同じだ・・・と思った。
それでも現場は昨日も今日も明日も毎日、毎日、頑張っているのです。日勤も夜勤も、大勢の人が必死に働いている。色んな動機があるのでしょうが、現場で最前線で日本を守っているのはあなたたちだ!と思いました。
■
なんであっても、実際に現場を見に行くのは大事なことだなぁ、とつくづく感じた。
自分も臨床現場にいるから、その辺りはよくわかる。
現場というのは、ほとんどが華やかさもない地味な時間ばかりで占められているもので。当たり前のことだけれど。
福島をいろいろ見て回り、その移動時間、待ち時間、見た時間、人と話した時間、現地で食事をした時間・・・・
いろんなことに費やされた絶対的な時間は、自分の人生の時間の中できっと意味がある時間なのだろうと、思う。
自分は何ができるのだろうか、何をすべきなのだろうか。・・・改めて考え直す。
当時もよく考えたものだ。もちろん、答えはなかったけれど。
こうして振り子のように内省する時間は、とても大事なんだろう。
手あかのついた日常を振り返るために、大事なことだ。
外にばかり意識を向けず、時には内に意識を向けるのは、バランスをとるために大事なことだ。
・・・・・・・・・
なんだかんだモヤモヤ思いつつ、東京に戻ってきました。
そしてまた、自分の中での日常に戻っていきます。
何事もなかったような顔をして働いていても、福島に行く前の自分と戻ってきた自分とでは、少し組成が変わっているのだと思う。
川内村の河川はとてもきれいだった。自然はすごい。
きれいというのは、自然全体自体が美そのものというか・・・。
自然も宇宙も人間の営みとは次元が違うところで動いているのを感じる。
僕ら人間も、欲望やエゴや分離意識を原動力とするのではなくて、自然の営みと同じような次元で、自然そのものである心に沿った次元で生きていかないといけないな、と感じました。
自然の痛みを、自分の心の痛みとして自覚する必要があるのでしょう。
そして新しい時代を創造していかないといけないと思います。それは僕らの世代の仕事でもあります。
そういうことで、この土日に福島に行ってきました。知り合いのいる川内村や富岡町辺りです。
ちょうどNHKのあまちゃんでも3.11をやっていたのが偶然で・・。
川内村には去年も行ったのです。
→「ふくしま 川内村」(2012-02-06)
■
福島の自然はとてもとてもきれいだった。
風の動きと自然の動きがユラユラと同期していた。
遠目には穏やかに見える自然も、近くに行くと生命力にあふれたいろんな虫が生息している。そして、虫にも刺される弱い人間。
川内村は福島第一原発から20km近くに位置している村です。
植物や花が綺麗に咲き誇る自然の中、要所要所にはガイガーカウンターが当たり前のような顔つきで置いてある。
デジタル表示が静かに数字をカウントしているのを遠目に見ると、その網膜に映る映像がうまく現実と重ならない。非現実的な現実を見ることになります。
■
海岸沿いにある富岡町にも足を運んだ。
現地はまだ復興などには程遠く、色んなものがそのままで。手つかず。がれきはがれきとして放置されたまま。大通りだけは一応通れるけれど、海沿いはボロボロの家や自動車がそのまま放置されている。
震災からもう2年になろうとしている。
東京を含めた都会は何もなかったように日々動いているけれど、現地は2年間の時間が止まっているようにゆっくり動いている。こうも乖離があるのかと、正直ショックだった。
■
原発の現場自体も、まだまだ汚染水とか、配管から放射能が漏れたり地下に漏れたりとか、、、問題は山積みで。しかも、今後も何十年も続く問題として続いている。おそらく、自分が生きている時間と同時並行でこの物事は続いていく。もう一度津波がやってきたら福島原発はどうなるのだろうかと考えて、考えるのが怖くなり考えるのをやめてみたり。また同じことが繰り返されるのだろうかと考えてみたり、考えるのをやめてみたり・・。そういう思考実験を無意識に繰り返してしまった。
■
実際の現場の作業員の方にも話を聞きました。
まるで戦場にいる人と話しているようだった。
話終わって郡山駅で別れるとき、戦時中に兵士を戦地に送り出す側の気持ちに似たものを体感した気がします。
妙な罪悪感が自分の中に芽吹いた瞬間を目撃しました。
色んなややこしいことを、こういう人たちに押し付けて見ないふりしているだけのような気がして。見ざる言わざる聞かざる状態の自分。
そんな自分の中の些細な感情の動きに自覚的になりました。
現場の労働者の話す内容は、本当にリアルでした。
現場を全く分かっていない中央とのいろんな矛盾。政治との矛盾・・・、まるで社会の縮図を見るようで。自分の職場と同じだ・・・と思った。
それでも現場は昨日も今日も明日も毎日、毎日、頑張っているのです。日勤も夜勤も、大勢の人が必死に働いている。色んな動機があるのでしょうが、現場で最前線で日本を守っているのはあなたたちだ!と思いました。
■
なんであっても、実際に現場を見に行くのは大事なことだなぁ、とつくづく感じた。
自分も臨床現場にいるから、その辺りはよくわかる。
現場というのは、ほとんどが華やかさもない地味な時間ばかりで占められているもので。当たり前のことだけれど。
福島をいろいろ見て回り、その移動時間、待ち時間、見た時間、人と話した時間、現地で食事をした時間・・・・
いろんなことに費やされた絶対的な時間は、自分の人生の時間の中できっと意味がある時間なのだろうと、思う。
自分は何ができるのだろうか、何をすべきなのだろうか。・・・改めて考え直す。
当時もよく考えたものだ。もちろん、答えはなかったけれど。
こうして振り子のように内省する時間は、とても大事なんだろう。
手あかのついた日常を振り返るために、大事なことだ。
外にばかり意識を向けず、時には内に意識を向けるのは、バランスをとるために大事なことだ。
・・・・・・・・・
なんだかんだモヤモヤ思いつつ、東京に戻ってきました。
そしてまた、自分の中での日常に戻っていきます。
何事もなかったような顔をして働いていても、福島に行く前の自分と戻ってきた自分とでは、少し組成が変わっているのだと思う。
川内村の河川はとてもきれいだった。自然はすごい。
きれいというのは、自然全体自体が美そのものというか・・・。
自然も宇宙も人間の営みとは次元が違うところで動いているのを感じる。
僕ら人間も、欲望やエゴや分離意識を原動力とするのではなくて、自然の営みと同じような次元で、自然そのものである心に沿った次元で生きていかないといけないな、と感じました。
自然の痛みを、自分の心の痛みとして自覚する必要があるのでしょう。
そして新しい時代を創造していかないといけないと思います。それは僕らの世代の仕事でもあります。
今の、自然の営みから離れた日本というのは
ここ50~60年くらいのものだと思うよ?
今60歳の私の父は、川で泳いで薪で風呂を焚いて
暮らしていたから、ほんの少し前まで日本は、
サザエさんの漫画に出てくるような暮らしをしていたんですよね。
欲望は伝播するから、中央にいた人がうまく
欲望を伝播させて、原発もたくさんできて、
今の世の中になったんだと思うんです。
たったの50~60年の話です。
私は、もっと人は痛い目を見て、
欲望そのものを、何を願うかを変えなきゃいけないと
思っているんです。
今、原発再稼働に向かっている日本の政治は
底突きしていなかったんだと思うんです。
日本人は、福島があれほどの目に遭っても
まだ底突きできなかった。
だからついつい私は、全ての原発が爆発した後の世界のことを、考えてしまうんです。
本当の世界の終わりと、人間のいなくなった世界を。
それを望む人は誰もいませんけど、
人って本当に懲りない生き物だから
あれほどの災害にあっても懲りられない人間だから。
だから、新しい欲望を。ランディさんのような
粘り強く人を作っていく人が、作っていけば。
いつか、変われるんじゃないかと
思うんです。
そのためにはやっぱり、
本を読んで子どもに聞かせることが
大事なのかなって今、
思っているんです。
スイッチより
で地球は救われたのかもしれません。
もしかすると・・・
自然の営みから離れた日本、確かに最近のことですよね。
昔は、自然から離れるなんてある意味とんでもないことで、そんなこと考えもしなかった気がします。
水俣病も、母なる自然(海)は、強力な浄化作用があるため、その働きに甘えて水銀を垂れ流した事が原因で。当時の人間は、自然と言う親には何をやってもどうにかなる、という甘えのような尊大な考えのような、そういうものがあって、その延長線上に自然から離れる営みも生まれてきていると思いますね。
ですから、そろそろ人間の身体や心そのものである自然というものを、改めて問い直さないといけないと思います。自然を考える事は、人間の心や身体を考える事と同義だと思いますしね。(頭や脳ももちろん人体なので自然の産物ですが、元来反自然的な性質を併せ持っているような気がします。)
自分も、欲望そのものを空海が言うような大欲へと次元変換していく必要があると思いますね。
近視眼的で個人的な小欲ではなく、長期的で宇宙的な大欲というか。少なくとも数百年先の未来がすべて現在にすっぽり重なるくらいの時間感覚(それは自然の時間感覚でもありますが)で物事を構想していく必要がありそうです。そのスパンで考えるとき、個人的な命の概念は消えて行きます。人類的な命に次元変換が起きると言うか。
そのことを数学者のバックミンスター・フラーは、「宇宙船地球号」という言葉に込めていたのだと思います。
地球と言うひとつの船に乗っている運命共同体として。
自分は、今の立場としても、人間の身体や心というものを入り口として自然を捉えること。
病や症状という身体言語を入り口として調和という状態を学んでいくこと。そういうお役目があるのではないかと思い、使命や義務感からも、自分の身の回りや後輩などへ、少しずつ地道に実践しているところです。
スイッチさんのお仕事も、非常に重要な位置を占めていると思います。
>スーさん
確かに木村秋則さんの家庭菜園も重要な位置を占めていると思いますね。自分も自然農法は勉強しています。近くに自然食の根津の谷があるので、その店の方といつも親しくしているので、買い物に行くたびにミニ講義を聞いているような感じです。
それぞれの人に、与えられた生命と共に使命があるように思います。
そして、同じ山の中に佐藤初女さんという、食べ物の命を通して人の心をほぐしていくような人もいるんですよー そういう小さい営みも(自然界においては大きな営みですが)、少しずつ、人を変えていく力を持っているように思えるんです。
(^-^)p スーさん、いなばさんありがとう☆
いづれの方の本もほとんど読んでますよ。お二人とも、実際に会うとすごい生命エネルギーを発していそう。いつかお会いしたいものです。
特に木村さんは実物から受けるインパクトがすごそう!あの笑い声が最高ですよね。本にはUFOの話なんかも出てきちゃうし、次元が違うので最高に好きです。(^^
しかし、自然も宇宙もそういった人間の感情とは無関係に動いていくものですね。その、不可解な、巨大な力である自然を理解するためには、やはり稲葉さんが今回したように「現場に行ってデータを取る」必要があると思います。自然科学というのはその積み重ねですものね。また、人間社会について考えるときも、現場の実態が何より大事だと思います。マスメディアによるイメージではなく。
木村さんの「奇跡のリンゴ」といえば、昨年、猪瀬さんが都知事に当選した日に、選挙事務所に「奇跡のリンゴ」がお祝いとして届けられたのを見ました。その都知事は今日、東京オリンピックを勝ち取りました。木村さんも喜んでいらっしゃるでしょう。「不可能を可能にする」というテーマが2人に共通していると思います。
猪瀬さんは木村さんとも交友があるのですね。それは知りませんでした。猪瀬さんは見た目がああいう人ですが、自分も学生時代に何度も直接話したことがあるので、御本人には信頼感あります。有言実行の人ですし、できる限り客観的なデータを添えることを忘れないのも、科学者マインドがあって好感持てます。
このオリンピックの動きをきっかけに、福島の問題も大きく前進していくといいですよね。猪瀬さんもそういう狙いがあって、オリンピックを日本でやるんだ、とおっしゃっていたのを覚えてます。
なんだか考えすぎて分からなくなりました(> <)
悲観的になりすぎちゃってるのかな。。。
あ、それと私も今 『わら一本の革命』という自然農の本を読んでいます(^^)
なんだか考えすぎて分からなくなりました(> <)
悲観的になりすぎちゃってるのかな。。。
私も今『わら一本の革命』という自然農の本を読んでいてコメントしたくなりました(^^) へへ