日常

野球

2010-07-28 23:31:38 | 雑多
チケットがあまったということで、唐突に野球観戦に誘われた。
東京ドームは職場からも近い。
途中の仕事を、文字通り途中で放り出し、東京ドームへ。


やはり、なんでも生で体感するのは違う。

実際の野球。
延長11回裏。ツーアウト1塁2塁。
カキーンと音がしたボールは、放物線を描いて、自分の右から左へと、高く高く移動した。
スリーランホームラン。
いやー興奮。

「ホームランだ、やったー!」
という思いと、
「やっと終わった、帰れるー!」
という思いがまだら模様に交差する。
時計は22時30分。


みんなで「カットバセー(=ボールをかっ飛ばして下さいね)」とか、「ネライウチー(=飛んできたボールを、狙って打って下さいね)」とか合唱して叫びながら応援するのは楽しい。


とか言いつつ、普段はテレビでも野球なんて全然見ないワタシです。



小学生の頃は、親に何となく広島東洋カープの帽子をかぶらされ、
それ以降、何となく広島カープと赤色が好きになった。


当時の広島カープは、衣笠、ランス、北別府、大野、川口・・・とか。



「あんたは赤が似合うけん、カープの帽子ばかぶりなっせ」と言われたのか、
「カープの帽子いつもかぶっとるけん、赤が似合うねー」と言われたのか、
順番はどっちか忘れた。
はっきり言ってこのブログを読んでる誰にも興味がないと思われるどうでもいい幼児記憶ですが、
それ以来、小学生時代は広島カープの帽子をかぶり、
赤色が好きだと思いこみ、今の今まで日々生活しとります。


・・・・・・・・・・
カブトムシとかクワガタとかを家に飼っていた。
学校に行く時、その虫たちと離れるのが悲しいので、
いつも赤い広島カープの帽子にクワガタをいれて、
それをそのままかぶって学校に行って、休み時間にクワガタと遊んでました。

クワガタからすると、まさに借り暮らしのアリエッティ状態ですね。
いい迷惑だと思います。
クワガタ君たちは、「もうこの世の終わりだ!」と、何度思ったことでしょう。



こう見えましても、小学生の頃はサッカー、ドッジボール、野球の3つを毎日土日もやってたんですよ。

今となっては、人と争うスポーツ自体が飽きてしまい、
登山とクライミングと歩くことが、唯一やってるスポーツです(スポーツと言えない気もする)。


・・・・・・・

ということで、生の野球観戦は楽しかった。

みんな、ギャーギャーと悪口を言いながら見てるけど、その悪口にも愛情を感じる。

もしそんな言葉をネットで文字だけで見ると、
薄気味悪い気がするかもしれん。
でも、生身の人が生身の人間の中で、生身の人間を見ながら言うことは、
なんとなく愛情とか愛着って湧いちゃうものです。

それが、生の人間が持つ、妙な力というか、場の力とでもいえるのかもしれん。



ひさびさに、後楽園ホールにボクシングとかプロレスも観に行こうかなー。

7 コメント

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異質空間のカブトムシ、歪んだ幼児記憶 (Chie)
2010-07-29 01:14:37
クワガタ入れたまま帽子かぶってた小学生って九州に、いや、日本にどれくらい居た/居るのかな。

帽子の中にバッタを50匹くらい入れて2階から飛び降りればそのまま飛べると思い、骨折に至ったジミー大西を思い出してしまいました。(全然違う??)

他の人にはどうでもいい幼児記憶といえば、私が幼稚園児のころに頭を数針縫う怪我をしまして、その後ことあるごとに面白がって母が「わ!縫いあとが数字の666になってるよ!」と言うものですから、これまた母に見せられた映画「オーメン」を思い出し、自分の数奇な運命を幼いながらに嘆いたものでした。
子どもにする冗談にしては恐ろしいこと言ってましたね、うちの母!

あ、ゴメンなさい、下らない書き込みです。
帽子の下、頭の上という極端に異質な空間に収まって一緒に登校させられていたカブトムシの気持ちでも想像しながら眠りにつきます。(笑)
おやすみなさいませ。

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現実? (YUTA)
2010-07-29 01:20:11
私は巨人のHPで見てみたのですが、いやー、あの特大のサヨナラホームランを生で見たのですか!それは幸運ですよね。

しかし、自分の生活を振り返ると「生で見る」ということから遠ざかっている…。本やテレビやネットばかりだ…。今年、生で見に行ったのは桜ぐらいですよ。

それから、これもTVの話ですいませんが、いなばさんが山の上にいる時に、NHKスペシャル『ほ乳類の戦い』が放送されました。CGが上手くて結構良い作品でした。恐竜絶滅後のほ乳類の進化の速さには驚かされます(もちろん速いといっても百万年単位ですが)。

現在起きている事は、なるべく生で見るようにしたいですね。しかし、現代というのはネットの出来事が現実をリードしているのではないか?と混乱気味の状態です。

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過半数を超えると (いなば)
2010-07-29 09:11:26
>>>>Chieさん
クワガタ+帽子のおしゃれな組み合わせって、僕の小学校があった花園町地区では普通にはやってたような気がするんですよね。僕のオリジナルってわけでは全然無くて。
局地的な流行?最初は偶然やってたのかもしれませんが(帽子に入れといたクワガタを、ばれないように思わずかぶったとか)、それが当たり前のように行われていると、別に何の不思議も抵抗も感じませんよね。
オニババとかガングロとかの流行と同じようなものでしょうか。

縫いあとが数字の666になってるってのも、オカルトですねー。
人面魚のように、人の顔に見えてくるとか!まさにウメズカズオの世界!グワシ。

>>>>YUTAさん
そうなんですよ。特に巨人ファンってわけでもなかったんですが、席が巨人寄りだったので、いつのまにか巨人の応援してました。だから、最後に劇的なサヨナラ特大ホームランで終わったのは気持ちよかったー。


確かに、「生で見る」ことは他の分野でもどんどん遠ざかる傾向にはありますよね。
仮想現実とかネットは、ある意味現実をお手本として、3D開発したり、アバターのような分身を開発したり・・・
現実に追いつけ、追い越せでやっていたんでしょうし、当初はそれも稚拙なものだったのが、徐々にリアルに追いついてくると、リアルと仮想現実を区別している脳自体がどんどん混乱してくるんでしょうね。
でも、50%以上の過半数を仮想現実が占めてしまえば、すでにそれが現実になる可能性ありますね。
それは、ある意味人類が突入したこと無いの世界であって。

ほ乳類は、ほんとすごいですよね。
恐竜絶滅のときの哺乳類の祖先はリスみたいなイタチみたいな小さい哺乳類で、それがどんどん進化して人間っていうのもつくったもので。ほんと、自然は偉大です。
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生で見ている (YUTA)
2010-07-31 00:12:23
あれ?写真によると、三塁側(ドラゴンズ側)の席なのですが…。巨人ファンがそれほど多いということでしょうか。

プロ野球にしろ、観光地にしろ、そういう珍しいものを見たがるのは当たり前として、普段生で見ている身近なものの価値に気づかなくてはならないな、と思いました。近くにある一本の木、一匹の蝉の不思議さ、それを知るために科学を学ばなくてはならないのでは?

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自然科学 (いなば)
2010-08-01 11:11:00
>>YUTA様
さすがお詳しいですね。
そうです。三塁側なんですけど、ドラゴンズ火ファンはごく少ない感じで、レフト側後方でひとまとまりになってました。ただ、少数なりの結束の強さは垣間見えて、それはそれで楽しそうでしたよ。


周りのものって、名前をつけて、ある概念化していて、何か分かった気になって、脳のオート機能であまり深く考えることが無くなっちゃいますが、根源的なもの。それは水とか火とか風とか土とか・・・そういうのは謎に満ちていて、それでいて宇宙の歴史がそうとうに詰まっていて、そこには宇宙が広がってますよね。ぼくは、ひとのからだとか、こころっていうのにも関心ありです。

そうなると、確かに自然科学的なアプローチとか、生物の進化とか、それは成功した手段のひとつでもあると思います。

ぼくも自然科学の立場にいるので、自然科学は学んではいますが、その概念化された世界と相補的なものとして、芸術全般があるのだと思います。お互いがお互いをクロスしながら融和していくスタイルを、常に模索しないといかんですね。低め合う関係ではなく、高めあい深めあう関係で。
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芸術は確かに重要 (YUTA)
2010-08-13 23:29:44
先週は東急将棋まつりに行って、森内18世名人などを生で見てきました。強い人というのはみんな落ち着きがありますよね。


芸術は確かに重要ですね。人生の価値の主要な部分と言っても過言ではないでしょう。これまで生み出された数々の名作を鑑賞することができるというのは素晴らしい時代です。
しかし、現代では余りにも作品が多すぎて、どの作品も過去のもののパロディになってしまいます。それに、芸術も商業の一分野になっています。芸術が変わるためには、急激に進歩した科学の世界観を受け入れる必要があると思うのですが。
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対話 (いなば)
2010-08-15 21:26:04
>>>>YUTAさま

東急将棋まつりですか。
僕も高校時代は将棋部&美術部のインドア人間だったので、当時はよく将棋さしてました。
将棋士のたたずまいって好きです。
みんな礼儀正しいし、「強ければいいんでしょ」というのがあまりなくて。
将棋の強さだけではなく、倫理観や人格が求められているようで。


芸術は重要です。僕ら自然科学に携わる人間は、芸術の世界やイメージの世界。
プラトンがいう美のイデアのようなものへの感受性はかなり求められていると思っています。

自然科学の人間が芸術を必要なように、
芸術の人たちも自然科学の素質はきっと必要なのでしょうし、
そのためには僕らのような自然科学に携わる人間が、
偉そうにふんぞり返らずに分かりやすく説明する義務や責任があるとも思っています。


パソコンもテレビも電気も・・・すべて自然科学の延長上に生まれたものですし、
その原理のようなもの、自然科学でのものの見方のようなもの、
そういうものを僕らは分かりやすく噛み砕く必要がありますし、
その先に、未来のあり方が見えてくるように思います。

今後「対話」っていうのはかなり必要とされると思ってます。
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