国立科学博物館で6/9まで「グレートジャーニー 人類の旅」展をやってます。
探検家で医師で、今は武蔵野美術大学教授をされてる関野吉晴さんがされていた世界横断、人類の起源をたどる旅。
ほぼ日で糸井さんとの対談が行われていますが、これまた面白い!
●関根さん糸井さん対談
**************
関野
でも、ぼくには武器がひとつあって、
それは「時間をかける」ことなんです。
やりたいことが一回で実現できなくても、
ぼくは「時間」をかけてクリアするんです。
ぼくの目的は「やること」ですから、
「時間」がかかってもいいんです。
「やりたいこと」が一度でできなくても、
ぼくはぜんぜん気にならなくて、
つい、繰り返しちゃうんです。
やれるまで、やっちゃう。
**************
関野
みんながそういうことをするのは
他の人の視線があるから、です。
だから、「コミュニティ」の強い地域では、
在宅医療がなかなか成り立たないんです。
そのことでぼくは、
「コミュニティ」に対する考え方が少し変わりました。
その団結力によって
助かっていることも相当あると思います。
あるからできていることも、いっぱいあるでしょう。
だけれど、もうひとつの面も、あるんです。
「繋ぐ」という部分とともに、
「縛る」という部分があるんです。
**************
関野
だけど、アマゾンでは、
満月の夜はすごく明るくて、
旅ができるんです。
本も、文庫本の小さな字が読めます。
だから、生活のなかで
自然と月のことが気になるんです。
**************
関野
そう。生きてるから、血が出るわけです。
狩猟民が野生の動物を穫るとき、
血抜きはしません。
でも、日本人は血が嫌いな民族なので、
特に血抜きをします。
糸井
そのときの「キャーッ」のような、
血がでることにおののいている様子は、
向こう側から見ると、
すごくおかしな光景なんでしょうね。
職人の方のほうから見ても、
殺される動物のほうから見ても。
関野
だから、職人は
「かわいそうだと言うなら、肉を食うな」と
思っているらしいです。
**************
関野
ぼくがどうして旅をしているか、
なぜいろんなことをやってきたか、といったら
「気づきたい」
「自分自身の発見をしたい」
ということなんです。
それで、今回の展覧会は、
みんながそういうことをやるための、
道具になってほしい。
もちろんその道具は
「グレートジャーニー」じゃなくても、
いいんですけど。
**************
■
関根さんとは直接お話をする機会があった。名刺もいただいた。
そのときにも強く印象的だったのは
「僕には『時間』があるからね。それだけが唯一の取り柄。」
とおっしゃっていた。
この関根さんがおっしゃる「時間」は、時計が示す時間ではなく、神話的な時間のことなのだと直感した。
そして、エンデの「モモ」を思い出した。
⇒(エンデ「モモ」2012-11-18)
■
関根さんとお話ししていて印象的だったのは「目」だ。
ちゃんと真実を見ながら人生を生きている人は、独特の「目」をしている。
それは議論をふっかけるような「目つき」ではなく、静謐で穏やかで澄んだ「目」。
■
銀座のメゾンエルメス10階にあるミニ映画館。
そこでヴェルナー・ヘルツォーク監督『輝く峰 ガッシャブルム』、ニコラ・フィリベール監督『バケのカムバック』という登山映画をやっていたので見てきた。
『輝く峰 ガッシャブルム』には大好きな世界最高の登山家メスナーが出ていた。
やはり相変わらずかっこよかったけど、メスナーもすごい「目」をしていた。
究極の世界一の登山家だからこそ見せる涅槃(ニルヴァーナ)の「目」。
その目はあまりに透明で宇宙的。瞳の奥に地球や銀河が見えるような漆黒でありながら澄みきった目。
■
脳と目。
角膜から入ってきた「外の世界」の「光」は、、「角膜」と「水晶体」という2枚のレンズで、2度屈折。透明な「硝子体」を通過して網膜に届く。
網膜に映った「外の情報」は、「電気信号」に変換され、視神経から脳に伝わり、「内界」へと位相を変える。
目の奥に控える視神経は脳の一部が伸びだしている。目は脳の一部。
相手の「目」の奥は、相手の「脳」そのもので、脳はその人のマザーコンピューター。高度な情報処理をしながら、この世を生きている。
そんな風に相手の脳の状態まで見えてしまうから、「目」にはその人の人格そのものが転写されて宿るのかもしれない。
・・・・・・
そういうことで、関根さんご本人からも是非見てほしい、と言われた「グレートジャーニー 人類の旅」展(国立科学博物館 ~6/9)、早く見に行きたい!
探検家で医師で、今は武蔵野美術大学教授をされてる関野吉晴さんがされていた世界横断、人類の起源をたどる旅。
ほぼ日で糸井さんとの対談が行われていますが、これまた面白い!
●関根さん糸井さん対談
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関野
でも、ぼくには武器がひとつあって、
それは「時間をかける」ことなんです。
やりたいことが一回で実現できなくても、
ぼくは「時間」をかけてクリアするんです。
ぼくの目的は「やること」ですから、
「時間」がかかってもいいんです。
「やりたいこと」が一度でできなくても、
ぼくはぜんぜん気にならなくて、
つい、繰り返しちゃうんです。
やれるまで、やっちゃう。
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関野
みんながそういうことをするのは
他の人の視線があるから、です。
だから、「コミュニティ」の強い地域では、
在宅医療がなかなか成り立たないんです。
そのことでぼくは、
「コミュニティ」に対する考え方が少し変わりました。
その団結力によって
助かっていることも相当あると思います。
あるからできていることも、いっぱいあるでしょう。
だけれど、もうひとつの面も、あるんです。
「繋ぐ」という部分とともに、
「縛る」という部分があるんです。
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関野
だけど、アマゾンでは、
満月の夜はすごく明るくて、
旅ができるんです。
本も、文庫本の小さな字が読めます。
だから、生活のなかで
自然と月のことが気になるんです。
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関野
そう。生きてるから、血が出るわけです。
狩猟民が野生の動物を穫るとき、
血抜きはしません。
でも、日本人は血が嫌いな民族なので、
特に血抜きをします。
糸井
そのときの「キャーッ」のような、
血がでることにおののいている様子は、
向こう側から見ると、
すごくおかしな光景なんでしょうね。
職人の方のほうから見ても、
殺される動物のほうから見ても。
関野
だから、職人は
「かわいそうだと言うなら、肉を食うな」と
思っているらしいです。
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関野
ぼくがどうして旅をしているか、
なぜいろんなことをやってきたか、といったら
「気づきたい」
「自分自身の発見をしたい」
ということなんです。
それで、今回の展覧会は、
みんながそういうことをやるための、
道具になってほしい。
もちろんその道具は
「グレートジャーニー」じゃなくても、
いいんですけど。
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■
関根さんとは直接お話をする機会があった。名刺もいただいた。
そのときにも強く印象的だったのは
「僕には『時間』があるからね。それだけが唯一の取り柄。」
とおっしゃっていた。
この関根さんがおっしゃる「時間」は、時計が示す時間ではなく、神話的な時間のことなのだと直感した。
そして、エンデの「モモ」を思い出した。
⇒(エンデ「モモ」2012-11-18)
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関根さんとお話ししていて印象的だったのは「目」だ。
ちゃんと真実を見ながら人生を生きている人は、独特の「目」をしている。
それは議論をふっかけるような「目つき」ではなく、静謐で穏やかで澄んだ「目」。
■
銀座のメゾンエルメス10階にあるミニ映画館。
そこでヴェルナー・ヘルツォーク監督『輝く峰 ガッシャブルム』、ニコラ・フィリベール監督『バケのカムバック』という登山映画をやっていたので見てきた。
『輝く峰 ガッシャブルム』には大好きな世界最高の登山家メスナーが出ていた。
やはり相変わらずかっこよかったけど、メスナーもすごい「目」をしていた。
究極の世界一の登山家だからこそ見せる涅槃(ニルヴァーナ)の「目」。
その目はあまりに透明で宇宙的。瞳の奥に地球や銀河が見えるような漆黒でありながら澄みきった目。
■
脳と目。
角膜から入ってきた「外の世界」の「光」は、、「角膜」と「水晶体」という2枚のレンズで、2度屈折。透明な「硝子体」を通過して網膜に届く。
網膜に映った「外の情報」は、「電気信号」に変換され、視神経から脳に伝わり、「内界」へと位相を変える。
目の奥に控える視神経は脳の一部が伸びだしている。目は脳の一部。
相手の「目」の奥は、相手の「脳」そのもので、脳はその人のマザーコンピューター。高度な情報処理をしながら、この世を生きている。
そんな風に相手の脳の状態まで見えてしまうから、「目」にはその人の人格そのものが転写されて宿るのかもしれない。
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そういうことで、関根さんご本人からも是非見てほしい、と言われた「グレートジャーニー 人類の旅」展(国立科学博物館 ~6/9)、早く見に行きたい!