起きている時と眠る時。外側への意識と内側への意識。
その両極での往復運動の中で、その中間、あわい、境界の状態は、重要な干渉地点でもある。
そうした自由の場所は子どもの頃から少しずつ育まれている。
起きている時から眠る時へ、眠る時から起きる時へと、必ず二回は通過する何気ない場所。
その自由な地こそが、生命が日々更新されるための重要な場所である。
そこは、外側の世界と内側の世界を分断する領域でもあり、同時につなぐ領域でもある。
現代は、外なる世界と内なる世界が分断されている時代。
外なる世界を強固につくりあげればつくりあげるほど、個々人は分断されていくという矛盾をはらむ。
なぜなら、自分の外と自分の内とをつなぐ領域が、ものごとを「つなぐ」場所ではなく「分断」する場所として働いてしまっているからだ。
そうした内と外とが重なり合う自由な地を守ってきたのは、まさに芸術の世界だった。
自分は、そうした外なる世界と内なる世界とを接続させる手段として、子どもの頃から芸術の世界をみつめてきた。
というよりも、自分が身体感覚を深く見つめていくプロセスで、自分の中から個人的な芸術が生まれてきた、というのが適切な表現だ。
文字を書いたり、イメージを描いたり、音楽を鳴らしたり、粘土をこねたり、謎めいたものを創ったり、、、、あくまでも自分自身のために続けてきた。
仕事で外へ意識が向かう時間が多すぎると、内側へベクトルを向け、かならずそのバランスをとらないといけない。「わたし」とは、外と内との接点から立ちあがってくる現象だからだ。
外と内とをつなぐゾーンは、いのちの仕組みを基礎づけている場所だと自分は思っている。外と内と、どちらかに偏ってもいけない。
いのちやたましいに関わる人々が守るべき場所。
内であり外である自由の聖地。
閉じられていて開かれているゾーン。
境界でありマージナルであり、あわい。
そこは本来的には芸術や医療などという従来の枠組みで分類できない。
縦の時間をつなぐ人類が共有している「たましい」の影絵を感じれる場所だ。
いのちやたましいの場所はあまりにも深すぎて、僕らはその一部しか覗くことを許されない。古(いにしえ)から受け継がれ、育まれ、耕かされてきた、豊かな土壌だ。
2017年は、そうしたことに対して、もっと全力で真剣に向き合っていきたいと思っている。
その両極での往復運動の中で、その中間、あわい、境界の状態は、重要な干渉地点でもある。
そうした自由の場所は子どもの頃から少しずつ育まれている。
起きている時から眠る時へ、眠る時から起きる時へと、必ず二回は通過する何気ない場所。
その自由な地こそが、生命が日々更新されるための重要な場所である。
そこは、外側の世界と内側の世界を分断する領域でもあり、同時につなぐ領域でもある。
現代は、外なる世界と内なる世界が分断されている時代。
外なる世界を強固につくりあげればつくりあげるほど、個々人は分断されていくという矛盾をはらむ。
なぜなら、自分の外と自分の内とをつなぐ領域が、ものごとを「つなぐ」場所ではなく「分断」する場所として働いてしまっているからだ。
そうした内と外とが重なり合う自由な地を守ってきたのは、まさに芸術の世界だった。
自分は、そうした外なる世界と内なる世界とを接続させる手段として、子どもの頃から芸術の世界をみつめてきた。
というよりも、自分が身体感覚を深く見つめていくプロセスで、自分の中から個人的な芸術が生まれてきた、というのが適切な表現だ。
文字を書いたり、イメージを描いたり、音楽を鳴らしたり、粘土をこねたり、謎めいたものを創ったり、、、、あくまでも自分自身のために続けてきた。
仕事で外へ意識が向かう時間が多すぎると、内側へベクトルを向け、かならずそのバランスをとらないといけない。「わたし」とは、外と内との接点から立ちあがってくる現象だからだ。
外と内とをつなぐゾーンは、いのちの仕組みを基礎づけている場所だと自分は思っている。外と内と、どちらかに偏ってもいけない。
いのちやたましいに関わる人々が守るべき場所。
内であり外である自由の聖地。
閉じられていて開かれているゾーン。
境界でありマージナルであり、あわい。
そこは本来的には芸術や医療などという従来の枠組みで分類できない。
縦の時間をつなぐ人類が共有している「たましい」の影絵を感じれる場所だ。
いのちやたましいの場所はあまりにも深すぎて、僕らはその一部しか覗くことを許されない。古(いにしえ)から受け継がれ、育まれ、耕かされてきた、豊かな土壌だ。
2017年は、そうしたことに対して、もっと全力で真剣に向き合っていきたいと思っている。
かつての鴨長明や親鸞などもこの外と内との境界を生きていたのでしょうか。
今年は沢山の気づきを頂きました、またテレビでのお姿も拝見いたしました。
2017年の取り組みを期待しております。ありがとうございました。