日々の一歩一歩が、色んな分岐点の決断になっていて、どこに足を踏み出すかで未来は大きく変わる。
その複雑な因果関係の仕組みを、自分が理解できなくても、自然はそういう絶妙なバランスで動いている。調和のバランスとして。
自然の調和的なネットワークの中へと、明確な意思をもって足を踏みいれさえすれば、自分も人類も調和的な世界へと仲間入りすることになる。
どの世界に生きるかは自分の意思で選択できる。自由意思はあくまでも尊重されている。
人間が生きているという事はすでに調和的な自然の力を使わせてもらっている事でもある。
その前提を気付かないふりをする場合が多いが、病気や怪我や死を迎えてから思い出すのは、悲しいことでもある。
東本願寺での親鸞聖人七百五十回忌の「今、いのちがあなたを生きている」という標語は、主体と視点をどこにうつすのか、ということだろう。
自分が主役なのか、いのちが主役なのか。
自分の人生のスパンでみれば自分が主役だが、自然やいのちのスパンでみれば主役はいのち。
視点をどこに置くかも、自由意思に任されている。
いのちからは、無条件に信頼され続けているということのようだ。
そして、自分といのちが重なり合い反応を起こしたときに、自然の営みの中で人間は生まれ、生きる。もちろん、いづれ死ぬ。それはあくまでも顕現化のプロセスとして。
水蒸気が、液体としての水や固体としての氷として顕現するように、生命現象もいのちとの反応で顕在化する。人びとは出会い、情報をやり取りする。奇蹟的で短期的な場で。 前提は、あくまでも物質的な存在として。
日々の一歩一歩を踏み出す時、神聖な一歩として歩みさえすれば、日々はきっと神聖なものとして顕現してくるだろう。
自然は一瞬一瞬が瞬間の全体性として常に完璧だから。
一瞬一瞬は、一歩一歩も一日一日でも同じ。
自分は日々、そう感じている。
■<動画>Neil Armstrong - First Moon Landing 1969
■■■■■■
一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍である。
That's one small step for a man, one giant leap for mankind.
ニール・アルデン・アームストロング (Neil Alden Armstrong)(アポロ11号)
(James R. Hansen『ファーストマン (ニール・アームストロングの人生)』を読んでいます。)
その複雑な因果関係の仕組みを、自分が理解できなくても、自然はそういう絶妙なバランスで動いている。調和のバランスとして。
自然の調和的なネットワークの中へと、明確な意思をもって足を踏みいれさえすれば、自分も人類も調和的な世界へと仲間入りすることになる。
どの世界に生きるかは自分の意思で選択できる。自由意思はあくまでも尊重されている。
人間が生きているという事はすでに調和的な自然の力を使わせてもらっている事でもある。
その前提を気付かないふりをする場合が多いが、病気や怪我や死を迎えてから思い出すのは、悲しいことでもある。
東本願寺での親鸞聖人七百五十回忌の「今、いのちがあなたを生きている」という標語は、主体と視点をどこにうつすのか、ということだろう。
自分が主役なのか、いのちが主役なのか。
自分の人生のスパンでみれば自分が主役だが、自然やいのちのスパンでみれば主役はいのち。
視点をどこに置くかも、自由意思に任されている。
いのちからは、無条件に信頼され続けているということのようだ。
そして、自分といのちが重なり合い反応を起こしたときに、自然の営みの中で人間は生まれ、生きる。もちろん、いづれ死ぬ。それはあくまでも顕現化のプロセスとして。
水蒸気が、液体としての水や固体としての氷として顕現するように、生命現象もいのちとの反応で顕在化する。人びとは出会い、情報をやり取りする。奇蹟的で短期的な場で。 前提は、あくまでも物質的な存在として。
日々の一歩一歩を踏み出す時、神聖な一歩として歩みさえすれば、日々はきっと神聖なものとして顕現してくるだろう。
自然は一瞬一瞬が瞬間の全体性として常に完璧だから。
一瞬一瞬は、一歩一歩も一日一日でも同じ。
自分は日々、そう感じている。
■<動画>Neil Armstrong - First Moon Landing 1969
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一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍である。
That's one small step for a man, one giant leap for mankind.
ニール・アルデン・アームストロング (Neil Alden Armstrong)(アポロ11号)
(James R. Hansen『ファーストマン (ニール・アームストロングの人生)』を読んでいます。)