日常

真・善・美

2014-12-27 01:21:45 | 考え
真・善・美。

このことを3歳くらいの頃から漠然と考えていた。


真と善は大切だが、同時に争いの種ともなる。

聖書の「善悪の知識の木」で、「知識」と訳されているのは「知ること」。「知る」には「支配する」という意味もある。
善悪の実を食べるということは、何が善で何が悪かということを人が判断する力を持つという意味でもある。
ものごとの真と嘘、善と悪・・・を判断し、そこに自分が支配されると、「じぶんは絶対に正しい!絶対に善なんだ!」という信念にとらわれる人になる。それはとても不自由な状態だ。

そういときには「美」のこと、「調和」のことを思えば自由になれる。
自分の中の偏った真や善のバランスがとれる。
それこそが、真・善・美が教えること。

今まで、真や善は多く語られてきた。それは客観的な世界として。
今後は、美を語り、美を対話する時期が来る。それは主観的な世界として。取り戻す。

そういう対話の後で、客観と主観は高い次元で統合され、新しい時代へ進むことができると、自分は思う。