極東国際軍事裁判(東京裁判)とは第二次世界大戦後に連合国が日本を裁いた軍事裁判。インドのパール判事の東京裁判批判はよく知られるところですが、筆者は軍事裁判なので通常の裁判と同列に考えるような見方はどうかと思っています。日本はサンフランシスコ講和条約を締結・批准しており、第11条に「日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。これらの拘禁されている者を赦免し、減刑し、及び仮出獄させる権限は、各事件について刑を課した1又は2以上の政府の決定及び日本国の勧告に基くの外、行使することができない。極東国際軍事裁判所が刑を宣告した者については、この権限は、裁判所に代表者を出した政府の過半数の決定及び日本国の勧告に基くの外、行使することができない。」とあります。第11条のthe judgmentsに関して政府は裁判と訳し、読み上げられた判決内容全般の受諾と考える立場のようですが、諸判決と訳し判決主文に基づいた刑執行の受諾と考える立場の方が日本語の読みとして自然ですし、外務省の誤訳ではないかと思います。どう考えても判決を受け入れ(認め)(刑を)執行するという約束でしょう。軍事裁判は軍事裁判なのであって、歴史観を定める役割は基本的に無いと考えます。ですから判決内容全般の受諾と考えるのはおかしい訳です。歴史観を受け入れたとして刑を執行して終わりになるでしょうか?判決を受け入れ刑を執行したらその刑に関しては終わりですが、歴史観を受け入れてしまうと刑を執行した後も何らかの措置をずっととらなければならないはずですが、そんなことは書いていない(意図していない)訳で、意図的なものか勘違いか分かりませんが、これを裁判と解釈できるはずがないと思います。歴史の詳細を踏まえるには、あまりにいい加減に過ぎますし、受け入れて条約を結んでしまうと後で訂正の余地もありません。時代の変化にも対応できません。こう書くと、日本は歴史を反省しないのか?という批判もありそうですが、歴史は歴史で反省すればいい訳ですし、連合国の代表であるアメリカとは日米同盟もあって、何の契約関係も繋がりもない訳では勿論ありません。また後に日本は連合国(国際連合)に加入もしています(敵国条項つきですから、東京裁判の解釈に関わらず、未だに我々は敵国だと認定されていますから、心配無用だというか、妙な超解釈で余計なことを考える必要は無いと思います)。United Nationsの誤訳も酷いことで有名ですが、あるいはわざとでしょうか(国民感情に配慮した?)。いずれにせよ、筆者はサンフランシスコ講和条約第11条の曲解はおかしいですから、基本的には刑の執行をもって極東軍事裁判の話は終わっていると考えています。これは通常どんな裁判でも同じのはずです。勿論必要な反省はせねばなりませんが、それはそれで相応しい場があります。軍事裁判という非常時の裁判を根拠に何か後々まで拘束されるのではないかというような考え方が極東国際軍事裁判の否定的な見方に繋がっているような気がしてなりません。何時までもWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)の洗脳が解けないかのような日本らしいと言えば日本らしい解釈とは言えるのかもしれませんが、戦後一世代経て生まれた筆者には違和感しかありません。歴史は歴史できちんと踏まえて反省すべきは反省するにせよ、今の国際環境を見て今の声を聞くことが日本に必要なことのはずです。
井上馨氏が日本の裁判の蛇足判決を批判しましたが、頷けるものがあります。裁判官が何かお説教をしたがる訳ですが、裁判とはそういうものではなく、教育は刑務所でやるものだと思います。こちらはあってもなくてもいいと言えばそうなのかもしれませんが、外交安全保障に関わる極東国際軍事裁判に関して言えば、寧ろ金科玉条にされると有害とすら言えると思います。日本が歴史の反省を強く意識するのは良いと思いますが、極東国際軍事裁判は本来そういう場ではないと考えます(嫌でも対米関係・国際関係で意識させられるでしょうし、歴史観はシッカリ検証して教科書ででも教えるなどすればいいはずです)。何か極東国際軍事裁判の不備を指摘する声があるのも承知していますが、軍事裁判とはそもそもそういうものでそれが戦争に負けるということだと思っており、それを何時までも言うことに違和感があります。逆に何時までも金科玉条に戦犯国ガーのような非難も必要な反省は続けるにせよ、何も考えずにただ日本という国・日本人を悪認定し続けるようで強い違和感があります。日本自身が日本の味方でなくて誰が日本の味方をするんでしょうか?(そういうことを言う人は日本人意識がない人でしょうか?)いずれにせよ、簡単な裁判で後々子々孫々まで何かレッテルを貼ってしまうの如き考え方は寧ろ歴史を真剣に考えることを阻害する働きがあって有害ですし、その有害を否定するために極東国際軍事裁判そのものを否定するというのも同じく歴史を真剣に考えることを阻害しており、結局のところ今の問題を今の状況で考えることを阻害していると見ています。
中々憲法9条改正の気運が高まらず残念ですが、その遠因に極東国際軍事裁判もあるんじゃないでしょうか。少なくとも結構構図は似ています。前文のような極端な「平和主義」を金科玉条にする左翼勢が極東軍事裁判を盾に日本を永遠に戦犯にしたい派で護憲。(筆者もそうですが)(戦後長らく改正されていない憲法について真剣に議論する)改憲派はそれ自体正しいと思いますが(逆に言えば理由を考えて話し合い自体を拒否してしまう護憲派とその仲間達はその時点で正しくない(道徳が無い)ということになります)、保守派を自認する方々には反米で極端に歴史的事実を全否定したい人が含まれているような気がします。極論は分かりやすいですが、それで分かった気になって思考停止してしまうと新しいことは何も出来ないということになります。時計の針は今も動いているのに。
さて所謂A級戦犯「平和に対する罪」=「侵略戦争または国際条約・協定・保障に違反する戦争の計画・準備・開始および遂行、もしくはこれらの行為を達成するための共同の計画や謀議に参画した行為」で裁かれた方々ですが、死刑が多く執行されています。この罪は事後法で国際法違反という指摘もありますが、日本は判決を受け入れ刑を執行しているのですから、これは有効だと考えざるを得ません。基本的に戦争を開始した責任者がこのA級戦犯だと連合国が考え、刑の執行をもって戦争責任にひとつの区切りがついたということだと思います。歴史的事実は歴史的事実で検証してもいいと筆者は思いますが、当事者は感情的なしこりが強く冷静な検証を阻害するでしょうし、連合国における敵国条項が削除される訳でもなく、戦後の歴史の積み重ねで日米同盟抜きの独立した安全保障が完全にできる訳でもありません。また、誰が開始したかですが、欧米に関する開戦の経緯は日本の先制攻撃でハッキリしているにせよ(挑発的な外交に問題はあると思いますが、文脈を短く切ることも出来ません)、中国に関しては第二次世界大戦(支那事変・日中戦争)(いったん停戦を挟んでいますし、満州国事変まで戦争開始を遡るのは無理だというか、政治的な見方に過ぎません)において、中国の先制攻撃を誤魔化している部分があるように思います(ただし、中国には中国の言い分があって日本を追い出すためだったでしょう。この中国の言い分をぼかすために(議論しないために)開戦の経緯は言わないでおいたような気がします)。あえて一言でいうと遅れてきた帝国主義の敗北なのだと思いますが、副産物として植民地の独立を誘発させたところはあったかもしれません。いずれにせよ、欧米を中心とした連合国は(敵国条項は残るものの)現在第二次世界大戦の「歴史的罪」を糾弾していませんし、基本的に大きな問題はないんじゃないかと思います。反日国のプロパガンダに対しては正確な事実をもって反論し誤魔化さないことが重要だと思います。それが結果的に敵国条項に削除に繋がるかもしれません。
「戦犯問題」に関連して、戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議(1953年8月3日)ですが、(旧社会党、共産党を含む)全会一致で可決されているようです。この時日本は既に占領が終っており、日本は主権を回復すしている状態、朝鮮戦争が休戦した(1953年7月27日に休戦協定)直後の時期でした。勿論サンフランシスコ講和条約は既に発効しており、大日本帝国の旧領の処理に関連して一通りの目処がついたという意味で行われたのかもしれません。勿論現行の恩赦制度「恩赦が行なわれたその時から将来に向かって生ずるものであって,過去にさかのぼって,既成の効果を消滅させることはない」(昭和40年版 犯罪白書 第二編/第三章/三/1 恩赦 )と同じく、極東国際軍事裁判を無効化させるものではなく、この決議が行われた時点以降に、名誉回復で国民皆が団結して前に進もうということだったという理解でいいんじゃないかと思います(そういう決議でなければ、中々過去の経緯を無視して総論賛成全会一致出来ないでしょう)(複雑な過去の経緯をもって総論賛成全会一致すべきことに徹底反対している某政党とその仲間達は少なくとも1953年時点より退化しているように見えます)。無効にしたところで死刑になった方々は生き返りませんが、無効になった訳ではないことに注意が必要だと思います。決議の意味は戦犯だから~(差別する)というような話を終わりにしようという意味でしょう。後述しますが、日本は人道に対する罪(C級)の適用はほとんど受けていないようです。サンフランシスコ講和条約ですが、(アメリカとの)単独講和論と(ソ連・中国を含む)全面講和論の対立があって、この時社会党や共産党は(共産主義国との講和を含む)全面講和論を採ったようです。世論は単独講和論多数でした。結局単独講和論でサンフランシスコ講和条約が結ばれ、名誉回復決議は全会一致で可決できたということになります。戦前を生きた議員の方々は社会党や共産党であっても、この時点では愛国心があった(日本のための仕事で合意できた)(筆者は憲法議論自体に反対する国会議員の方々は日本のために仕事が出来ない愛国心がない方々・職業倫理意識もない方々だと思っています)ようにも思えます。
靖国神社のA級戦犯合祀問題ですが、既に赦免されていることに注意が必要だと思います。これは先に指摘しましたが、判決が無効になったという意味ではなく、決議が行われた時点以降、罪を問わないというか追及しないようにしようということだと思います(つまり冷静な戦争の経緯の検証を妨げるものではありません)。国会の議決で(個人の)罪を追及しないことになっているんでしょうから、民間の神社が祀ることに不都合も無いと思います。そもそも日本文化に怨霊信仰があって、(死んだ)「罪人」を祀って神にするところがあります。殺された方はどうなのと思わなくもないですが、生きている人が祟りを恐れるところがあったんでしょう。それはともかく、A級戦犯で死刑になった方々の無念を考えると、日本文化の観点で言えば祀るのは自然だとも言えます(国際的には特に反日国の誤解を招く可能性はありますが、少なくとも理論上は開戦経緯の「罪」を無効化したと解釈する必要はないように思います)。
以前の記事「防衛省慰霊碑地区と靖国神社考」で触れましたが、靖国神社と今上陛下の御親拝の問題に関して言えば、時期的に先帝陛下がまずA級戦犯の合祀について不快感があったような気がします。BC級戦犯の合祀は既に久しく、そこは問題では無かったようです。あるいはA級戦犯の罪を無効化する動きと考えられた可能性はあると思います。そういうふうな歴史解釈が罷り通ると、じゃあ戦争責任は誰にあったのかということに繋がりかねません。先帝陛下は戦争責任は全て自身にあるとマッカーサー元帥に語ったようですが、実際のところは極東軍事裁判で裁かれた訳ではありません。これは筆者は戦前においても天皇の政治の実権はそう大きなものではなく、法的な責任は無いという意味だと理解します。勿論先帝陛下が心にも無いことを言ったと思えず、道義的な責任が自身にあると表明されたのでしょう。民間の神社の歴史観にどうこう言えませんが、受諾した判決を無効化するような歴史観があるとすれば筆者は疑問があります。戦前の日本も国ですから政治の実権は何処かにあったはずです。全て正確な裁判が行われたか疑問があるにせよ(冷静な検証は否定されないにせよ)、法的な責任を全て回避できると思えませんし、そうすべきであるとも思えません。罪は刑の執行をもって償われたと見ることも出来ますし、名誉回復決議も行われています。
注意すべきは靖国神社は戊辰戦争の幕府軍や西南戦争の薩軍を祀ってはいないことだと思います。ですから、「平和の罪」を犯した「罪人」を祀る神社として相応しくないと見ることは出来るのかもしれません(西南戦争はともかく戊辰戦争は反乱軍=侵略軍が勝った訳ですが)。ただ日本という国で見るとA級戦犯は反乱軍ではありません。いろいろな見方はあると思いますし、これ以上この点に触れることはしませんが、先帝陛下に複雑な思いがあって(極東国際軍事裁判の起訴状の提出は1946年4月29日(4月29日は昭和天皇の誕生日)に行われたそうです)、靖国神社御親拝を中止されることにしたのだろうと思います(例大祭の勅使参向と内廷以外の皇族の参拝は行われているとのこと)。
今上陛下も御親拝されていませんが、基本的にはこうした経緯を引き継いでいるのだと思います。ひとつだけ指摘するならば、極東国際軍事裁判のA級戦犯7人の死刑執行日は当時皇太子だった継宮明仁親王(今上天皇)の15歳の誕生日(現天皇誕生日)であったそうです。皇室は法的な責任を問われなかったかもしれませんが、道義的な責任を問われなかった訳ではないのかもしれません。
最後にBC級戦犯に触れますが、日本においては犯罪類型B項の罪「通例の戦争犯罪」に問われた方が多いようです。これは、戦時国際法に違反する罪のことで交戦法規違反です。極東国際軍事裁判における法的根拠は不勉強で分かりませんが、捕虜の虐待を禁じた「ジュネーブ条約」や、非人道的兵器の使用を禁じた「ハーグ陸戦条約」が国際法として存在します。ただ英米は慣習法の国であって、大陸法の国ではないことに注意が必要な可能性もあります。
C項は人道に対する罪でドイツにおいてはホロコーストがこれに当たるようで、A項の罪より目立ったようです。一般に第二次世界大戦の戦争犯罪とはC項の罪が一番言われるような気がしますが、日本はこのC項の罪はあまり問われなかったようです(単純にそうした事実が少なかったと考えられます)。ですから単純に日本とドイツを同一視するのも誤りです。某半島国は徴用や戦時売春婦を人道に対する罪だと主張しているようですが、そんなことは問われませんでしたし(要はその時点でそうした罪に問われるようなことをしたと見做されていません)、今更過去の歴史を現代の視点で見て罪を新設し裁くのような考え方(超遡及法)が通用すると思えません。
井上馨氏が日本の裁判の蛇足判決を批判しましたが、頷けるものがあります。裁判官が何かお説教をしたがる訳ですが、裁判とはそういうものではなく、教育は刑務所でやるものだと思います。こちらはあってもなくてもいいと言えばそうなのかもしれませんが、外交安全保障に関わる極東国際軍事裁判に関して言えば、寧ろ金科玉条にされると有害とすら言えると思います。日本が歴史の反省を強く意識するのは良いと思いますが、極東国際軍事裁判は本来そういう場ではないと考えます(嫌でも対米関係・国際関係で意識させられるでしょうし、歴史観はシッカリ検証して教科書ででも教えるなどすればいいはずです)。何か極東国際軍事裁判の不備を指摘する声があるのも承知していますが、軍事裁判とはそもそもそういうものでそれが戦争に負けるということだと思っており、それを何時までも言うことに違和感があります。逆に何時までも金科玉条に戦犯国ガーのような非難も必要な反省は続けるにせよ、何も考えずにただ日本という国・日本人を悪認定し続けるようで強い違和感があります。日本自身が日本の味方でなくて誰が日本の味方をするんでしょうか?(そういうことを言う人は日本人意識がない人でしょうか?)いずれにせよ、簡単な裁判で後々子々孫々まで何かレッテルを貼ってしまうの如き考え方は寧ろ歴史を真剣に考えることを阻害する働きがあって有害ですし、その有害を否定するために極東国際軍事裁判そのものを否定するというのも同じく歴史を真剣に考えることを阻害しており、結局のところ今の問題を今の状況で考えることを阻害していると見ています。
中々憲法9条改正の気運が高まらず残念ですが、その遠因に極東国際軍事裁判もあるんじゃないでしょうか。少なくとも結構構図は似ています。前文のような極端な「平和主義」を金科玉条にする左翼勢が極東軍事裁判を盾に日本を永遠に戦犯にしたい派で護憲。(筆者もそうですが)(戦後長らく改正されていない憲法について真剣に議論する)改憲派はそれ自体正しいと思いますが(逆に言えば理由を考えて話し合い自体を拒否してしまう護憲派とその仲間達はその時点で正しくない(道徳が無い)ということになります)、保守派を自認する方々には反米で極端に歴史的事実を全否定したい人が含まれているような気がします。極論は分かりやすいですが、それで分かった気になって思考停止してしまうと新しいことは何も出来ないということになります。時計の針は今も動いているのに。
さて所謂A級戦犯「平和に対する罪」=「侵略戦争または国際条約・協定・保障に違反する戦争の計画・準備・開始および遂行、もしくはこれらの行為を達成するための共同の計画や謀議に参画した行為」で裁かれた方々ですが、死刑が多く執行されています。この罪は事後法で国際法違反という指摘もありますが、日本は判決を受け入れ刑を執行しているのですから、これは有効だと考えざるを得ません。基本的に戦争を開始した責任者がこのA級戦犯だと連合国が考え、刑の執行をもって戦争責任にひとつの区切りがついたということだと思います。歴史的事実は歴史的事実で検証してもいいと筆者は思いますが、当事者は感情的なしこりが強く冷静な検証を阻害するでしょうし、連合国における敵国条項が削除される訳でもなく、戦後の歴史の積み重ねで日米同盟抜きの独立した安全保障が完全にできる訳でもありません。また、誰が開始したかですが、欧米に関する開戦の経緯は日本の先制攻撃でハッキリしているにせよ(挑発的な外交に問題はあると思いますが、文脈を短く切ることも出来ません)、中国に関しては第二次世界大戦(支那事変・日中戦争)(いったん停戦を挟んでいますし、満州国事変まで戦争開始を遡るのは無理だというか、政治的な見方に過ぎません)において、中国の先制攻撃を誤魔化している部分があるように思います(ただし、中国には中国の言い分があって日本を追い出すためだったでしょう。この中国の言い分をぼかすために(議論しないために)開戦の経緯は言わないでおいたような気がします)。あえて一言でいうと遅れてきた帝国主義の敗北なのだと思いますが、副産物として植民地の独立を誘発させたところはあったかもしれません。いずれにせよ、欧米を中心とした連合国は(敵国条項は残るものの)現在第二次世界大戦の「歴史的罪」を糾弾していませんし、基本的に大きな問題はないんじゃないかと思います。反日国のプロパガンダに対しては正確な事実をもって反論し誤魔化さないことが重要だと思います。それが結果的に敵国条項に削除に繋がるかもしれません。
「戦犯問題」に関連して、戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議(1953年8月3日)ですが、(旧社会党、共産党を含む)全会一致で可決されているようです。この時日本は既に占領が終っており、日本は主権を回復すしている状態、朝鮮戦争が休戦した(1953年7月27日に休戦協定)直後の時期でした。勿論サンフランシスコ講和条約は既に発効しており、大日本帝国の旧領の処理に関連して一通りの目処がついたという意味で行われたのかもしれません。勿論現行の恩赦制度「恩赦が行なわれたその時から将来に向かって生ずるものであって,過去にさかのぼって,既成の効果を消滅させることはない」(昭和40年版 犯罪白書 第二編/第三章/三/1 恩赦 )と同じく、極東国際軍事裁判を無効化させるものではなく、この決議が行われた時点以降に、名誉回復で国民皆が団結して前に進もうということだったという理解でいいんじゃないかと思います(そういう決議でなければ、中々過去の経緯を無視して総論賛成全会一致出来ないでしょう)(複雑な過去の経緯をもって総論賛成全会一致すべきことに徹底反対している某政党とその仲間達は少なくとも1953年時点より退化しているように見えます)。無効にしたところで死刑になった方々は生き返りませんが、無効になった訳ではないことに注意が必要だと思います。決議の意味は戦犯だから~(差別する)というような話を終わりにしようという意味でしょう。後述しますが、日本は人道に対する罪(C級)の適用はほとんど受けていないようです。サンフランシスコ講和条約ですが、(アメリカとの)単独講和論と(ソ連・中国を含む)全面講和論の対立があって、この時社会党や共産党は(共産主義国との講和を含む)全面講和論を採ったようです。世論は単独講和論多数でした。結局単独講和論でサンフランシスコ講和条約が結ばれ、名誉回復決議は全会一致で可決できたということになります。戦前を生きた議員の方々は社会党や共産党であっても、この時点では愛国心があった(日本のための仕事で合意できた)(筆者は憲法議論自体に反対する国会議員の方々は日本のために仕事が出来ない愛国心がない方々・職業倫理意識もない方々だと思っています)ようにも思えます。
靖国神社のA級戦犯合祀問題ですが、既に赦免されていることに注意が必要だと思います。これは先に指摘しましたが、判決が無効になったという意味ではなく、決議が行われた時点以降、罪を問わないというか追及しないようにしようということだと思います(つまり冷静な戦争の経緯の検証を妨げるものではありません)。国会の議決で(個人の)罪を追及しないことになっているんでしょうから、民間の神社が祀ることに不都合も無いと思います。そもそも日本文化に怨霊信仰があって、(死んだ)「罪人」を祀って神にするところがあります。殺された方はどうなのと思わなくもないですが、生きている人が祟りを恐れるところがあったんでしょう。それはともかく、A級戦犯で死刑になった方々の無念を考えると、日本文化の観点で言えば祀るのは自然だとも言えます(国際的には特に反日国の誤解を招く可能性はありますが、少なくとも理論上は開戦経緯の「罪」を無効化したと解釈する必要はないように思います)。
以前の記事「防衛省慰霊碑地区と靖国神社考」で触れましたが、靖国神社と今上陛下の御親拝の問題に関して言えば、時期的に先帝陛下がまずA級戦犯の合祀について不快感があったような気がします。BC級戦犯の合祀は既に久しく、そこは問題では無かったようです。あるいはA級戦犯の罪を無効化する動きと考えられた可能性はあると思います。そういうふうな歴史解釈が罷り通ると、じゃあ戦争責任は誰にあったのかということに繋がりかねません。先帝陛下は戦争責任は全て自身にあるとマッカーサー元帥に語ったようですが、実際のところは極東軍事裁判で裁かれた訳ではありません。これは筆者は戦前においても天皇の政治の実権はそう大きなものではなく、法的な責任は無いという意味だと理解します。勿論先帝陛下が心にも無いことを言ったと思えず、道義的な責任が自身にあると表明されたのでしょう。民間の神社の歴史観にどうこう言えませんが、受諾した判決を無効化するような歴史観があるとすれば筆者は疑問があります。戦前の日本も国ですから政治の実権は何処かにあったはずです。全て正確な裁判が行われたか疑問があるにせよ(冷静な検証は否定されないにせよ)、法的な責任を全て回避できると思えませんし、そうすべきであるとも思えません。罪は刑の執行をもって償われたと見ることも出来ますし、名誉回復決議も行われています。
注意すべきは靖国神社は戊辰戦争の幕府軍や西南戦争の薩軍を祀ってはいないことだと思います。ですから、「平和の罪」を犯した「罪人」を祀る神社として相応しくないと見ることは出来るのかもしれません(西南戦争はともかく戊辰戦争は反乱軍=侵略軍が勝った訳ですが)。ただ日本という国で見るとA級戦犯は反乱軍ではありません。いろいろな見方はあると思いますし、これ以上この点に触れることはしませんが、先帝陛下に複雑な思いがあって(極東国際軍事裁判の起訴状の提出は1946年4月29日(4月29日は昭和天皇の誕生日)に行われたそうです)、靖国神社御親拝を中止されることにしたのだろうと思います(例大祭の勅使参向と内廷以外の皇族の参拝は行われているとのこと)。
今上陛下も御親拝されていませんが、基本的にはこうした経緯を引き継いでいるのだと思います。ひとつだけ指摘するならば、極東国際軍事裁判のA級戦犯7人の死刑執行日は当時皇太子だった継宮明仁親王(今上天皇)の15歳の誕生日(現天皇誕生日)であったそうです。皇室は法的な責任を問われなかったかもしれませんが、道義的な責任を問われなかった訳ではないのかもしれません。
最後にBC級戦犯に触れますが、日本においては犯罪類型B項の罪「通例の戦争犯罪」に問われた方が多いようです。これは、戦時国際法に違反する罪のことで交戦法規違反です。極東国際軍事裁判における法的根拠は不勉強で分かりませんが、捕虜の虐待を禁じた「ジュネーブ条約」や、非人道的兵器の使用を禁じた「ハーグ陸戦条約」が国際法として存在します。ただ英米は慣習法の国であって、大陸法の国ではないことに注意が必要な可能性もあります。
C項は人道に対する罪でドイツにおいてはホロコーストがこれに当たるようで、A項の罪より目立ったようです。一般に第二次世界大戦の戦争犯罪とはC項の罪が一番言われるような気がしますが、日本はこのC項の罪はあまり問われなかったようです(単純にそうした事実が少なかったと考えられます)。ですから単純に日本とドイツを同一視するのも誤りです。某半島国は徴用や戦時売春婦を人道に対する罪だと主張しているようですが、そんなことは問われませんでしたし(要はその時点でそうした罪に問われるようなことをしたと見做されていません)、今更過去の歴史を現代の視点で見て罪を新設し裁くのような考え方(超遡及法)が通用すると思えません。