農林水産省東北農政局 秋田県庁提供
アマメハギ(ウィキペディア 2018/12/09)によると、「囲炉裏や火鉢に長くあたっているとできる火だこ(温熱性紅斑)のことをアマメと言い、怠け者の証しとされている。これを剥ぎ取る妖怪がアマメハギである。」類似の行事は日本各地に伝わっており特に日本海側に多いとのこと。登録された10件の内、「男鹿のナマハゲ」(秋田県男鹿市)、「能登のアマメハギ」(石川県輪島市・能登町)、「遊佐の小正月行事(アマハゲ)」(山形県遊佐町)がこれにあたるようです。
アマメの語源ですが、火だでピンと来ましたが、ア+マメなんでしょうね(疑問氷解 手にできる「タコ」と「マメ」の違いは何?(毎日小学生新聞 2018年5月1日)によると、マメは水膨みずぶくれ、タコは厚あつい角質なんだそうです)。アの語源は自分にはサッパリ分からないのですが。
鬼が来ると子供を叱ることがあって(子どもを叱るときに「鬼がくるよ!」「お化けが出るよ!」と脅すのはアリ? ベネッセ)、アマメハギの祭りはその一類型なんじゃないかと思います。包丁は「アマメ」を剥ぐ小道具で、子供を脅かすためのものなのでしょう。
鬼面・古代鬼面(タツミ)を参照しましたが、「角のついたリアルな鬼の面は江戸時代頃からで、古くから魔よけとして建物を守ってきた」のだそうです。だとすると、鬼面をかぶる形式は江戸時代に始まったと思えます。
蓑は雪蓑らしく、節分に行う能登町を除き、北陸・東北の小正月(1月15日)の行事のようです。また、吉浜のスネカ(岩手県大船渡市)も言葉こそ違うものの、小正月行事で(イヌのような)鬼面・蓑のような衣装・囲炉裏に入ってばかりで怠けている子供の脛に付いた火の斑を剥ぎ取る祭りだそうですから、全て日本北部の小正月行事と言えるのかもしれません。正月ですから、この来訪神とは年神の一種なのでしょう。日本海側と少し言葉が違うのは、青森県下北半島尻屋崎沖が海の難所だったことに関係するのかもしれません。
小正月の由来ですが、「中国式の太陰太陽暦が導入される以前、望の日を月初としていたことの名残りと考えられている」(ウィキペディア「小正月」(2018/12/09)(西角井正慶編, ed (1958-5-23). 年中行事事典 (初 ed.). 東京堂出版. p. 305.))とのことです。前回の記事の薩摩硫黄島のメンドンは八朔(はっさく:八月の朔)に登場し、朔(さく)とはついたちで新月ですが、どうもかつては一月の満月(望)が正月だったようです。正月に餅の風習は望(もち:例えば望月)にかけたのかもしれません。そう考えると、僻地(失礼)での分布は古い伝統が残った証と思えます。
アマメハギ(ウィキペディア 2018/12/09)によると、「囲炉裏や火鉢に長くあたっているとできる火だこ(温熱性紅斑)のことをアマメと言い、怠け者の証しとされている。これを剥ぎ取る妖怪がアマメハギである。」類似の行事は日本各地に伝わっており特に日本海側に多いとのこと。登録された10件の内、「男鹿のナマハゲ」(秋田県男鹿市)、「能登のアマメハギ」(石川県輪島市・能登町)、「遊佐の小正月行事(アマハゲ)」(山形県遊佐町)がこれにあたるようです。
アマメの語源ですが、火だでピンと来ましたが、ア+マメなんでしょうね(疑問氷解 手にできる「タコ」と「マメ」の違いは何?(毎日小学生新聞 2018年5月1日)によると、マメは水膨みずぶくれ、タコは厚あつい角質なんだそうです)。アの語源は自分にはサッパリ分からないのですが。
鬼が来ると子供を叱ることがあって(子どもを叱るときに「鬼がくるよ!」「お化けが出るよ!」と脅すのはアリ? ベネッセ)、アマメハギの祭りはその一類型なんじゃないかと思います。包丁は「アマメ」を剥ぐ小道具で、子供を脅かすためのものなのでしょう。
鬼面・古代鬼面(タツミ)を参照しましたが、「角のついたリアルな鬼の面は江戸時代頃からで、古くから魔よけとして建物を守ってきた」のだそうです。だとすると、鬼面をかぶる形式は江戸時代に始まったと思えます。
蓑は雪蓑らしく、節分に行う能登町を除き、北陸・東北の小正月(1月15日)の行事のようです。また、吉浜のスネカ(岩手県大船渡市)も言葉こそ違うものの、小正月行事で(イヌのような)鬼面・蓑のような衣装・囲炉裏に入ってばかりで怠けている子供の脛に付いた火の斑を剥ぎ取る祭りだそうですから、全て日本北部の小正月行事と言えるのかもしれません。正月ですから、この来訪神とは年神の一種なのでしょう。日本海側と少し言葉が違うのは、青森県下北半島尻屋崎沖が海の難所だったことに関係するのかもしれません。
小正月の由来ですが、「中国式の太陰太陽暦が導入される以前、望の日を月初としていたことの名残りと考えられている」(ウィキペディア「小正月」(2018/12/09)(西角井正慶編, ed (1958-5-23). 年中行事事典 (初 ed.). 東京堂出版. p. 305.))とのことです。前回の記事の薩摩硫黄島のメンドンは八朔(はっさく:八月の朔)に登場し、朔(さく)とはついたちで新月ですが、どうもかつては一月の満月(望)が正月だったようです。正月に餅の風習は望(もち:例えば望月)にかけたのかもしれません。そう考えると、僻地(失礼)での分布は古い伝統が残った証と思えます。