鹿児島では「あんた、男ぶりいいね」というのを「おまはん、よかにせだね」といいます。鹿児島出身の山大生に聞いたので間違いないです。「にせ」とは「青二才」の「二才」で「青年」という意味です。また「ありがとう」は「ありがともさげもした」といい、「有難う申し上げました」という謙譲語のようです。また「あったらし」は「惜しい」という意味の形容詞でアタラヲシから変化したようです。源氏物語の桐壺の巻にも出てくることばです。他に、「候(そうろう)」や「たまえ」も鎌倉時代の言葉で、現在の鹿児島にも生きています。
なぜ、遠くはなれた鹿児島に古代の言葉が生きているのでしょうか。惟宗忠久(これむねただひさ)が源頼朝に島津庄(宮崎県都城市)の地頭に任じられ、島津姓を名乗りました。その後、薩摩国、大隈国、日向国の3箇所の守護職に任じられました。島津氏に従ってこの地にやってきた相模の国の子孫は現在も残っていて、その当時の言葉を保存しているのです。
薩摩藩がこのように古い方言を残したのは、他国からの侵入者を見分けられるようするためだったという説もあります。
鹿児島弁と津軽弁は本当に聞き取れないらしいですね。
なぜ、遠くはなれた鹿児島に古代の言葉が生きているのでしょうか。惟宗忠久(これむねただひさ)が源頼朝に島津庄(宮崎県都城市)の地頭に任じられ、島津姓を名乗りました。その後、薩摩国、大隈国、日向国の3箇所の守護職に任じられました。島津氏に従ってこの地にやってきた相模の国の子孫は現在も残っていて、その当時の言葉を保存しているのです。
薩摩藩がこのように古い方言を残したのは、他国からの侵入者を見分けられるようするためだったという説もあります。
鹿児島弁と津軽弁は本当に聞き取れないらしいですね。