野村監督はヤクルト時代、ミーティングに関して、かなりの自信を持っていました。ミーティングの中で、相手投手に対しての打ち方、相手打者の抑え方をとりあげます。スコアラーの説明から、相手チームのそれぞれの選手の傾向をつかんでいきます。それを基に、なぜそこに投げるのかという議論を交わすことで、野球におけるものの考え方を身につけていこうというものなのです。とりわけ、バッテリーのミーティングは大きなウエートを占めました。
1997年5月23日の巨人戦、この時、巨人は西山一宇から次々リレーをしていき、入来・三沢・木田優夫・川口和久と継いで、防戦にまわってきての八回、早め早めに投手を投入するあまり、満塁になったところで投手がいなくなってしまいました。
「わしと長嶋は、同じB型でもこうも違うものかと思うほど、違っているんや。わしの場合は貧乏症やから、大事なものは最後の最後までとっておくほうや。長嶋は逆や。目玉焼きがあったらば1番先に黄身から食べるほうやろうな。わしは白身から食べて黄身は最後まで残す。」
いいものから使っていったツケで、1死満塁で登場したのは、常に敗戦処理の岡田展和でした。コントロールが定まらず、0-3(ノースリー)のカウントになってしまいました。彼は押し出しを避けて、ストレートでストライクをとりにいくことしかできませんでした。バッターの土橋は狙いすましたようにライトに犠牲フライをあげています。おそらく0-3から待機しても押し出しになっていたかもしれません。
投手がストライクを投げなければいけない場面で、ストレートを予測して狙いに行き、最低限の仕事をキッチリとやりとげるのです。常に次の一球を読んで打席に立たせる教育に加えて、何をどうしたら、相手が一番ショックを受けるか、ダメージになるかを考えるその采配は、野村ID野球の真骨頂と言っていいと思います。
1997年5月23日の巨人戦、この時、巨人は西山一宇から次々リレーをしていき、入来・三沢・木田優夫・川口和久と継いで、防戦にまわってきての八回、早め早めに投手を投入するあまり、満塁になったところで投手がいなくなってしまいました。
「わしと長嶋は、同じB型でもこうも違うものかと思うほど、違っているんや。わしの場合は貧乏症やから、大事なものは最後の最後までとっておくほうや。長嶋は逆や。目玉焼きがあったらば1番先に黄身から食べるほうやろうな。わしは白身から食べて黄身は最後まで残す。」
いいものから使っていったツケで、1死満塁で登場したのは、常に敗戦処理の岡田展和でした。コントロールが定まらず、0-3(ノースリー)のカウントになってしまいました。彼は押し出しを避けて、ストレートでストライクをとりにいくことしかできませんでした。バッターの土橋は狙いすましたようにライトに犠牲フライをあげています。おそらく0-3から待機しても押し出しになっていたかもしれません。
投手がストライクを投げなければいけない場面で、ストレートを予測して狙いに行き、最低限の仕事をキッチリとやりとげるのです。常に次の一球を読んで打席に立たせる教育に加えて、何をどうしたら、相手が一番ショックを受けるか、ダメージになるかを考えるその采配は、野村ID野球の真骨頂と言っていいと思います。