僕の感性

詩、映画、古書、薀蓄などを感性の赴くまま紹介します。

2008-01-24 23:56:49 | Weblog
 出久根達郎氏の「本のお口よごしですが」という書物のなかから、森鴎外の「雁」にまつわる話をします。
 AさんとBさんは趣味が古書蒐集で、大学生の時分からつれだって古本やめぐりをしていました。ある店で森鴎外の「雁」の初版を見つけました。二人同時に発見したのです。この本には赤と青色の二種類ありますが、珍しいことにその2冊が書棚に並んでいたのでした。箱つきの極美品で、売値は相場のなんと十分の一。二人が目の色かえて奪い合ったのも無理はありません。親友と言えども譲るわけにはいかなかったのです。
 古本屋の主人がみかねて仲裁しました。二冊とも版元も内容も同じ、表紙の色が違うだけなのだから、1冊ずつ分け合えばよいでしょう。理屈はそうだが、対なればの価値を考えると二人は釈然としません。しかしいつまでも反目していられません。もし手放す事態が生じたら、必ず相手に譲るというきめを交わして、両人はそれぞれを所有することになりました。
 Aさんは親友Bさんの結婚祝いに片方の「雁」を贈りました。一年後Aさんに長男が生まれた時、Bさんはお祝いにやはり赤と青の対を届けました。Bさんにも子どもができた時、Aさんは迷わず両方の「雁」を祝い品に選びました。このいわくつきの本は、二人慶事の進物としてやりとりされているのです。
 Aさんがいいます。「二冊の表紙が紅白だったなら、それこそ祝儀にふさわしかったのに」。Bさんがやり返します。「黒と白でなくてよかったさ。葬儀の幕の色だものな」。そして二人はこれを奪い合った昔をなつかしく思い出すのでした。

 わたしは写真の青色版を持っています。大正四年五月十五日、籾山書店発行です。サテン素材のような表紙で青く輝いています。