僕の感性

詩、映画、古書、薀蓄などを感性の赴くまま紹介します。

シークレットサンタ

2009-11-10 23:29:57 | テレビ番組
「奇跡体験アンビリーバボー」より


アメリカでクリスマスになると、貧しく困っている人々に現金をプレゼントする男性がいました。

彼はいつしか「シークレットサンタ」と呼ばれるようになりました。

1971年11月、23歳のラリー・スチュワートは会社が倒産し路頭に迷っていました。

あまりの空腹に耐えきれず、ついレストランに入って取り憑かれたように注文してしまいました。

そして、なんとかその場を取り繕おうとポケットの中を探すフリをしながらも、警察に突き出されても仕方が無いと思っていた時でした。

一人の男性店員がラリーの横でしゃがんで、20ドル札(現在約2400円)が落ちていたと渡してくれたお陰で、彼は会計を済ませることができたのです。

ですがこの人生最大の苦境に偶然手に入れた20ドルが、後に彼の運命を変える重大な鍵となるのです。

1972年、運良く拾った20ドルの残りを旅費にカンザスシティに移り住んだラリーは、警備関係の会社を起こして懸命に働きました。

結婚し子供も生まれたラリーは幸せな生活を手に入れたかに見えました。

しかしまたしても1977年12月、不況で会社が倒産しその日の食事代にも困るほど追いつめられたのです。

貧しさのせいでラリーは我を忘れ、銃を手に銀行に入り、強盗を働きそうになりました。

しかし、20ドル札を見てふと我に返り銀行強盗をすんでの所で思いとどまりました。

改心したラリーは1978年、妻の兄からの援助を受けてセールスマンとして懸命に働きました。

だが彼はまたしても試練を与えられしまいます。

1979年12月、会社の経営が思わしくないということで、ラリーは解雇されてしまったのです。

もう助けてもらうあてがないと途方に暮れていた時でした。

ふと目についた売店に立寄り、ポップコーンを注文しました。

店員の女性は暗い表情で、違う商品とおつりをラリーに渡しました。

ラリーは彼女が困っているのだと思い、おつりの中から20ドル札をプレゼントしました。

彼女は受け取れないと言ったが、ラリーはクリスマスプレゼントだと言って手渡ししました。

この日はクリスマスでした。

女性は嬉しそうに礼を言いました。

その笑顔がラリーを明るくし、彼は思いも寄らない行動をすることになりました。

そのままラリーは銀行に行くとなけなしの貯金を引き出し、白いオーバーオールに赤い服とベレー帽という姿で町に繰り出しました。

そして困っているような人や貧しい人に20ドル札をクリスマスプレゼントとして手渡したのです。

シークレットサンタが誕生した瞬間でした。

20ドルは大金ではなかったが、困っている人々にとっては大きな助けとなり喜んで受け取ってもらえました。

それがラリーの人生にも思わぬ影響を及ぼすことになるのです。

家に戻ると、妻から銀行にお金が残っていなかったといわれました。

ラリーは落としてしまったと答えました。

すると妻は怒るどころか、仕方がないわね、でもあなたは幸せそうね、と微笑むだけで文句を言いませんでした。

翌年の1980年、ラリーは友人と長距離電話の会社を設立し、懸命に働きました。

そしてその年のクリスマスにも道に立って人々に現金をプレゼントする活動を続けました。

そしてその金額は少しずつ多くなっていきました。

不思議なことにシークレットサンタとなって施しをすればするほど会社の業績が上がり、
長年の切り詰めた生活から抜け出し家族のために家や新しい車を買えるまでになったのです。

ラリーの妻も町中でシークレットサンタの噂を耳にするようになりました。

彼は家族にも言っていなかったのです。

彼はそれからも一年も休むことなくシークレットサンタの活動を続けたのですが、9年目の1987年12月、
ついに妻にシークレットサンタがラリーであることがわかってしまったのです。

すまないと謝るラリーに、妻は「素敵なことじゃない。これからはもっと節約してたくさんの人を助けられるように協力するわ」と答えました。

以後、家族もラリーの活動を知って陰から支えることになりました。

1995年、地元ではすっかり有名になっていたラリーは匿名を条件に取材に応じました。

カンザスシティ・スター紙のマクガイヤー記者は、彼も家族も一切表舞台に出ようとしなかったと話します。

しかし報道されてから、シークレットサンタの正体への関心はさらに高くなっていきました。

一方ラリーは多くの人に感謝されるにつれて、ある人物に会いたいという思いが募っていったのです。

そして1999年12月、ミシシッピ州のトゥペロという小さな町のある男性宅を訪れました。

その男性とは、シークレットサンタの生みの親でした。

28年前の1971年、一文無しだったラリーが落ちていた20ドルに救われた日のこと。

本当の落とし主が現れたら困るので逃げるように店を後にしたラリーは、我に返って真実に気がつきました。

20ドルは、落ちていたものとして男性店員が彼にくれたものだったことに。

男性店員はテッド・ホーンといい、当時のことを思い出しました。

ラリーは彼がしてくれたことをいつか誰かにしようと思っていたと話しました。

そして、テッドの20ドルがなかったら刑務所に入っていただろうということも。

自分の人生を正しい方向に導いてくれたお礼にと、ラリーはテッドに1万ドル(約120万円)の入った封筒を渡しました。

受け取れないというテッドに、ラリーは自分が今あるのはあなたのおかげだと引きませんでした。

当時テッドは、警察に突き出すのではなく、自らの過ちに気づき、他人への優しさを知って欲しいと思って20ドルを差し出したのでした。

それをずっと覚えていて、サンタ活動を続けたことには頭が下がるとテッドは話していました。

テッドはラリーから渡された1万ドルを、近所の病気で困っている人たちや生活に苦しい人たちのために使いました。
人を思いやる気持ちは健在でした。

そしてラリーのサンタ活動は全米に広がっていきました。

2001年には世界貿易センタービル爆破事件のあったニューヨークに行き、ホームレスや職を失った人を中心に2万5千ドルを配りました。

2005年にはハリケーンで壊滅的な被害を被ったミシシッピ州を中心に7万5千ドルを配り、27年間で配った総額は150万ドル(約1億8千万円)になりました。

だが2006年11月、シークレットサンタがついにカメラの前に現れ正体を明かしたのです。

彼は2005年4月、食道ガンのため治療しなければ1ヶ月生きられないと宣告されたのでした。

正体を明かしたのは、自らの命の宣告を受け、身近な人への思いやりを広げて欲しいというメッセージを送りたかったからだろうと、マクガイヤー記者は話します。

その反響は大きいものでした。

2日間で7000通もの手紙やメールが彼のもとに届きました。

大半は自分もシークレットサンタになりたいというものでした。

その年のクリスマスも彼は病気を押してサンタの活動を行いました。

そのお陰で多くの人が笑顔でクリスマスを迎えられました。

2007年1月12日、ラリーは58歳で静かにこの世を去りました。

それでも彼の笑顔と優しさは数えきれないほどの人の胸に永遠のサンタとして刻み込まれことでしょう。

生前ラリーは、シークレットサンタ協会を設立、会員資格は少なくとも1回他人への親切な行為を行うこと。
今でも世界中から登録の申し込みが後を絶たないのです。

また彼が臨終する際、友人の一人が「シークレットサンタ」を引き継ぐことを約束し誓いどおりに活動をはじめたのです。
そして多くの篤志家の心をとらえ、「シークレットサンタ」はミズリー州のみならず、カリフォルニア州やアリゾナ州にも登場したのです。
活動は全米に広がっているそうです。

She's leaving home.

2009-11-10 15:11:31 | Weblog
妻が家を出た 日曜日の午後・・・

で埼玉の娘のところに











なんちゃって
実は娘が風邪をひいてしまって
38度の熱が下がらない

それで急遽面倒を見に行ったのでした。

昨日がきて、食欲があるので
大丈夫だ~ということで とりあえず安心しました
因みに新型インフルエンザではありません!

いやがうえにも自分が朝、昼、晩のを準備せねばなりません

とりあえず、なんでも鍋とカレーライスでしのいでいます

今日は夕方からピンポンにいくので、その前に準備していかなきゃ

レパートリーが少ないので必死にない頭でメニューを熟考中です