小学校のとき4年生になると必ず剣道をやらなきゃいけない学校だった。
でも自分は嫌で嫌でたまらなかった。何せ冬場はかじかんでとにかく寒い。
しかも足は素足だし、籠手(こて)という手につける防具がとてつもなく臭い。
そして面と胴と籠手の防具をきっちりしまうしまい方も自分には難しく億劫だった。
おまけに背が低かったので面を竹刀(しない)で打たれると、脳天を突かれるかごとく痛かったのだ。
それでもほぼ毎日練習していたんだ。
疲れての帰る間際に給食のおばさんが食パンを油で揚げて砂糖をまぶして
食べさせてくれたっけ。 うまかったな~(こういう事はしっかり覚えている)
とある日曜日、余目(あまるめ)という場所で剣道の大会があった。
当時の指導してくれる先生が松原先生。
やさしい顔立ちだけど練習は厳しかった記憶がある。
試合は、先鋒、次鋒、中堅、副将、大将の順番で行われた。
自分の順番は忘れたが、確か2-2で勝敗を決する大事な場面でめぐってきた気がする。
制限時間ぎりぎりに籠手(こて)を奪いに跳びついて、同時に「こてー」と叫んだ。
そのあとすぐに3本の旗があがり、勝つことができた。団体で3位になり銅メダルを貰った。
試合後、松原先生は自分に向かって
「○○のお陰で勝つことができたな!」
と自分の名を言ってにっこり微笑んだ。
それからの自分は少しは少年剣士らしい顔つきに変わっていったのかもしれない。
でも自分は嫌で嫌でたまらなかった。何せ冬場はかじかんでとにかく寒い。
しかも足は素足だし、籠手(こて)という手につける防具がとてつもなく臭い。
そして面と胴と籠手の防具をきっちりしまうしまい方も自分には難しく億劫だった。
おまけに背が低かったので面を竹刀(しない)で打たれると、脳天を突かれるかごとく痛かったのだ。
それでもほぼ毎日練習していたんだ。
疲れての帰る間際に給食のおばさんが食パンを油で揚げて砂糖をまぶして
食べさせてくれたっけ。 うまかったな~(こういう事はしっかり覚えている)
とある日曜日、余目(あまるめ)という場所で剣道の大会があった。
当時の指導してくれる先生が松原先生。
やさしい顔立ちだけど練習は厳しかった記憶がある。
試合は、先鋒、次鋒、中堅、副将、大将の順番で行われた。
自分の順番は忘れたが、確か2-2で勝敗を決する大事な場面でめぐってきた気がする。
制限時間ぎりぎりに籠手(こて)を奪いに跳びついて、同時に「こてー」と叫んだ。
そのあとすぐに3本の旗があがり、勝つことができた。団体で3位になり銅メダルを貰った。
試合後、松原先生は自分に向かって
「○○のお陰で勝つことができたな!」
と自分の名を言ってにっこり微笑んだ。
それからの自分は少しは少年剣士らしい顔つきに変わっていったのかもしれない。