先日の日記にも書きましたが来年は年男です。
早くも地元の金融機関系の情報誌には、年末年始の話題という小冊子が届き来年について語っています。
来年の午年については、また別の機会に説明します。
午年をふりかえると、というのがありまして、生まれた昭和41年を含む各午年と平成25年を比較しています。
・勤労者世帯実収入(月)について 昭和41年:71,347円 平成25年:519,023円
・日本の総人口 昭和41年:9,904万人 平成25年:12,730万人
・日経平均株価終値 昭和41年:1,452円 平成25年:14,327円
・為替相場 昭和41年:360円 平成25年:98円
と、このように世帯収入は大幅に増えていますが実際にはバブル景気崩壊から横ばいとなり平成10数年以降は減少傾向にあります。
日本の総人口も減ってますし、日経株価も平成元年あたりのバブル景気時代に比べたらまだ1万円も低い水準です。
数値的意外な生まれてからの実感は、4歳頃に1戸建ての住宅団地に住みましたが団地内は舗装しておらず、片側2車線の道路は街中の一部しかありませんでした。
道路工事も今のように早い工期で完成する事もなく、野ざらし状態の場所が当時は多くそこで出来た水たまりなどで遊んでいましたし、将来4車線化するために、半分野ざらしのままという場所も多くありました。
自家用車も1家に1台もなく、バスなど公共交通機関の利用は多くの方が利用されバスにも車掌がいて大きなガマ口財布で集金や案内していました。
遊びも今のようにゲーム機ではなく、外が中心で川でめだかやフナを採ったり、夏には蝉など熱い寒い関係なく外が中心でした。
テレビはリモコンではなくチャンネル式だったり、家電製品は何でも1台でしたが、時代とともにエアコン・電子レンジ・家庭用ビデオデッキなど家電が次第に増えて行きました。
飲食店も、今のように多くなく家庭で食べるのが中心でたまの外食は喜んでました。
この時期のように寒くなると、鼻たれ坊主で今の子供たちのように毎日小奇麗な服を着た子供はいませんでした。
街の商店街は大いに賑わっており、街に行く時にはよそ行きの小奇麗な服を着て違う世界に行く感じで嬉しい気持ちでした。
今は、何でもあり過ぎるのが問題ではないかと思っております。
話を戻しますが、今年から景気が盛り上がり出しましたし、実際に地元の土建屋の後輩に聞くと「おかげさまで!」とほほ笑んでいました!
うらやましい!
来年の景気は、消費税引き上げ前の住宅などの駆け込み需要の反動減や個人消費の落ち込みで1年を通して下押し圧力になるが、堅調な米国経済や金融緩和を通じた円安効果で輸出環境の改善に寄与され消費税引き上げに対する経済対策にも支えられ年内には回復軌道になるとのことです。