ワニなつノート

とっておき(^。^)yo○

石川先生の講演

とっておきの宝物をお届け。
石川先生の講演から。
たっくんのこと。


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《誰もが生きる場所で生きる》

…同じ年代のひとりの子が、普通学校へ行くということになるんですが、そこのご家族というのは、なかなか面白い医者の側から言えば、非科学的な人。
産科医が胎児の障害を知って堕ろせというと、「だって、こどもは神様からの授かりもんだから、そんな堕ろすなんて話ありませんよ」って言う。

その、授かりものっていうのは、昔は当たり前だったけれど、医学が進んで専門家が登場するとなくなる話だけど、「授かりもんだから」って主張しつづけた。胎動を「だって、お腹んなかでほら、こんなふうにVサイン送ってる」って言い、堕ろせって言う産科医の話を拒否する。

3ヶ月で亡くなった兄も、頭の中に水がたまって脳機能が司れない状態になって亡くなるというような病気だったんですが、その子を見ていると、すごく苦しそうだった。

そこで今度、生まれてきた子も同じ状態だと知り、「脳に水溜まるって言うのは、お水をちょっと引けばいいって手術があるんでしょう。やって下さい。この子も同じ様になって苦しむんだから」と言ます。

私も、「はいっ、そうだね」って外科医のところへ行くと、脳外科の医者は、「この子の場合は、水抜いても全然一生寝たきりだし、喋ることも笑うこともありませんよ。反応無いことわかってるし、生きても10年ぐらいってのはもう明らかなことなのに、なんでそんなことするの?」と反論された。

脳外科の医者に言われて、さっき言ったように、医者というのは何でもわかっちゃう存在だから私は、「あ、そうですね」と言って、また親のところに帰ると、「先生、私が言いたいのは、何年生きるかとか喋れるかは関係ない。この子が苦しいでしょ。今、だから手術するのが当たり前でしょ」って言われて、脳外科のところへ行ってまた同じこと言われて、えらいこう右往左往して、でもやっぱり手術ということになった子なんです。

とにかく非科学的な親でした。
毎週、病院へ来るだけじゃなく、お母さんがよく手紙をくれるんです。

「お兄ちゃんと同じ3ヶ月を過ぎましたが、この子は元気です。手術のおかげで有難うございました」ここまではいいわけ。で、そのうちに、私にとっては困ることを書かれる。ずっとその子は、何の反応もないまま成長していると思ってた。いろんな科学的検査にも反応していない。やっぱり、脳はほとんど働いてないと思っていたのに、「この子、最近、よく笑うようになりました」って書いてくる。

私から見れば、それは違う。笑うけどてんかん発作で顔がゆがんでいただけと見えた。脳波を見てもそうだし。あんまり薬を使うと呼吸には危ないし、ヤバイかもしれないと思うから、てんかん薬使うより、「どうせまあ一生無反応なら」というすごい打算的な考え方で、薬をあまり使ってなかった。だから、顔がゆがむのは、あれは笑ってるんじゃなくて発作だ。

そのうちに、今度は、「お空を見ると雲を追うように、目がキョロキョロ追います」あれはキョロキョロしてるんじゃなくて、目を固定する能力が脳にないために勝手に動いてたんです。いわゆる眼震を起こしているだけなのに困ったなあって思うんです。こういう非科学的な見方されて、今は「かわいい、かわいい」でいいけどいつまでもこうはいかないとか思っていたんです。

1才代の時、「最近は物をトーントーンって取ろうとします」って書いてもらったから、「こないだ物取るって書いてたけど、どう?」って言うと、「じゃあね」って、お母さんベットの上に子どもをねかせた。じっと何にも言わず待っているので、早く「トーントーン」って言って欲しいと思うんだけど、何にも言わずにお母さんたち待ってるのね。20~30分そのままで経ったんで、私、診察してて困ってきて、次の患者さんもあるし、出ていってくれって言いたいけど困ったなと思ってて、「もう、きょうは終わりにしようか」って言い出した頃に、彼がその声聞いて、ガァーって、体が麻痺のために突っ張ったんです。それを見計らったように「はい、トーン」って言いながらお母さんは、何か物を彼の手のまえに差し出して、「ほら先生動いたでしょう」って言う。
「ほら、こうやって取るんですよ」って…。これは、単に麻痺の突っ張りで、しかも動きが不随意運動でむしろ、あったら困るような動きをしているだけなのに、と私はそんな風に思っていました。

困ったなあと思っていたんです。
その子が2才過ぎになった頃、ある日帰りがけに、「さあ、診察終わった、帰るよ」って、パッとお母さんが抱かれたときに、ニコッと笑ったように見えたんです。

それでビックリして、「今、笑わなかった?」って言ったら、お母さんが「うん、笑ったよ。前から笑うって言ってるじゃない」。

で、ここは医者ですから、舌先三寸で人をだます商売だから、「ウッ」と詰まったけど「信じてなかった」とは言わずに、「いや、笑いの質が変わってきたんじゃない?前から…」ってこっちもごまかしたんですが、お母さんは知っていたんです。
「先生信じてなかったんでしょう」って。

「笑い方なんて、人は年齢によって変わるものよ。信じてなかった先生だけど笑ってあげな」ってお母さんがあやしたら、ニコッて笑うんです。つぎ来たとき恐る恐る、「まだトーントーンって物つかむ?」って言ったら、「うん、つかむよ」ってまた寝ころばせるから、「あっ、これはまた30分かかるかな」と思っていたら、今度はお母さん「はい、じゃあ手伸ばして、トーン」って言うと、ツゥーって手が伸びるんです。

正しい医学知識なんて言うのは本当にわからないものです。

この子がいま言った流れの中から、学校へ行くというときに、普通の学校へ行くという話になる。

ところが、当時は、今から20数年前ですから、さっき言った猶予とか免除なんていうことが残っていたので、学校はものすごい固い姿勢でした。でも、親が何で普通の学校へ行こうかと言ったかというと、簡単な話。

「だって先生ねぇ、この子が大人になって、うちは農家だから(かなり田舎だったんですけど)、そこの野良を歩いてるときに、みんながこの子を知ってて『おーい』って声かけてくれるのと、誰も知らないのとは大きなちがいでしょう。うちのへんは、障害を持った子は、座敷牢みたいな物を作って一歩も出さない地域で、養護学校やる子も少ないけど、遠くの学校へ行ったってみんな周りの人知らないんだから結局同じ。行くんならみんなが行くところがいい」。

ものすごい単純な理由でした。

いろいろ、もめにもめはあったのですが、普通の学校の普通の学級に入った。
そうすると面白いんですよ。例えば、これは親も思いつかなかったんだけど、お正月に、凧揚げかなんかに行くと、こどもらが「この子にも凧引かせてよ」って言うわけです。お母さんが「いや、凧は…」って言うと、「できる、できる」とか言って、こどもらが持たしてね、さっきの「トーントーン」ってやつ、「はい、トーン」「はい、トーン」ってやったから、「すうっ、すうっ」って凧がうまくあがるわけ。

それから、2年生ぐらいになって、授業中先生が、やっぱり勉強は関係ないって感じでしてると、こどもらが文句言うわけ、「いつも先生さあ、算数の時間はこの子無視してる」とか。

だけど先生が、「イヤ、ちょっと算数は無理だ」って言うと、「絶対、算数はできる」とかクラス中のこどもがまた言い張るわけ。「じゃ先生問題出してみな」って。
「 問題出すまえにドッヂボールもってきな」って、ドッヂボールを網に入れたまま持ってこさせて、横へこう置くんですね。で、「先生問題出して」って言うから、じゃ、先生が「3+4は」とか言うと、「じゃあねー」とか言って、こどもたちが「トーン」て言って、彼がボールを叩く。「トーン」って言って7つまで「ポーン」と叩くわけです。

7つ以後、こどもたちが「トーン」と言わないから出来たのか、彼が出来たのかは誰にもわからないんですが、何故かちゃんと7つになる、というようなことが起こってきます。

そして、小学校4年生、5年生位になると、どこかの家へ泊まりに行って車椅子のまま帰ってこない、という風な日がでてきます。

彼も成人式を過ぎて21才で亡くなりましたが、そんな風に、どこかで医学的な正しさに従ったら、手術をしないで3ヶ月の命だったかもしれないし、あるいはこれまでの医学常識に従えば、まあ10才まで生きるかどうかで、全く無反応というふうに私たちが判断してきた人達になっていたわけです。でも、彼は、彼としての命を送っていきました。

私は、つくづく、命というのは、人間が考えている枠の中に収まらないものだということを学びました。もちろんその最初になったのは、一緒に海に行ってみたり、スキーしてみたり、そこには、ある限られた関係ではなくて、親も最初は抵抗したような不安や不満の中で、囲い込んでいたものとは違って、誰もが生きるところへ入っていったことがとても大きかったなと思っています。
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