ワニなつノート

Nさんへ (その1)


Nさんへ (その1)

という訳で、これから書くことは、
私のひとり言だと思ってくださいな。
耳元ですげーでかい声のひとり言ですが(・_・;)


手元にはA4で12枚ほどメモがあります。
同じところをグルグル回っているような気がするのは、
自分でもちゃんと言葉にできてないってことですよね(-。-)y-゜゜゜

転校の方法については、Kawaさんに聞かれたことに、
ほとんど迷ったことはありませんでした。
「あーしろ、こーしろ」と遠くから好きなことを言えました。
教育委員会との交渉は、親と子の目指すものが、
「転校」という「形」で一致しているからですね。

でも、いったん、教室のなかに子どもが入り、
そこで先生と友だちに出会ったところから、
親と子どもは「別物」になります。

「親子にはすれ違う要素がある」というのが、
私の師匠の「基本の教え」でした。


【1】
《だけど、「ふつうに接してください」って、
それも言わずに、先生に全てを託せばいいのか…。》



Nさんが、「言ったこと」が良かったのか悪かったのか、
そんなふうに話すつもりはありません。
Haruくんの学校生活は、そんな親の一言二言とは関係なく、
明日へ明日へとどんどん進んでいることでしょう。

あくまで、その時点で私が感じたことを、
私が確かめている言葉として読んでください。


「ふつうに接してください」
その言葉自体は、当然、親が伝えていい言葉、
伝えるべき言葉だと思います。

でもそれは、ふつうの親が、ふつうは言わないことばです。
何か「事情」がなければ、
親が「言わない」言葉でもあります。


《担任や介助の人が、
Hくんの身体的な対応等で必要な情報以外は、
どうつきあっていいのか、わからないまま、
離れていってくださいな。》

あのとき、私がそう言った一番の理由は、
「お母さんが2週間つきそったこと」は
本来なくてよかったことだからということでした。

本来、そこに「親はいない」のだから、
そこで見たことは本来「見えない」ことでした。

ここは、私の「こだわり」ですね。

私の出会ってきた子どもたちが、一番苦しんできたのは、
学校(学級)を分けられることと、
介助(親であれ誰であれ)のことだと、
私は思っているようです。

「障害」そのものに苦労するというよりは、
人との関係で苦しんできたように思うのです。
「介助者」を必要とする「障害」があることは、
「人間関係」や生き方を自分でつくり切り開いていくことに
大きな制限をもたされるということでした。

だから、たった2週間の親の付き添いだけれど、
「なかったこと」にして、
Haruくん一人の学校生活がはじまることを、
私が楽しみにしていたのだと思います。


もしも、最初から親の付き添いがなかったとします。
ある日、学校帰りに友だちが、
「今日、Haruくん、50メートルのとき、
なんにもしないで見てたんだよ」と話すのを聞いて、
「先生、この子が参加できる工夫を考えてくださいよ」
と言うことに、私は大賛成です。

「この子は最初から一人ではとても見れない子」で、
「しばらくはお母さんにいてもらうのが当たり前の子」で、
そうした「扱い」や「まなざし」を、
私は「無効」にしたい気持ちが強いのですね。

なぜなら、Haruくんはこれから先も、
中学生になっても、高校生になっても、
たぶん30歳になっても50歳になっても、
生きている間、ずっとそうした「扱い」こそが、
Haruくんの障害になると思うからです。


そのことが、私にとっての「ふつうに接してください」のようです。


何より、Nさんは、「ふつうに接してください」という言葉を、
養護学校からあれほどがんばって「転校」する過程で伝え、
普通学級に入ることで十分に「伝えてきた」ことだと思うのです。
だから、あとは、Haruくんが、自分で伝え切り開いていくのかなと、
そんなことを私は考えていたようです。

(つづく)

コメント一覧

ai
そうですよね。
そのとおりなんです。

Nさんのコメント
そのまま・・・
それにしても、どうしてこうドンピシャリと
一致するんでしょうね。

つづきが読みたいので、
また、来ます。
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