ワニなつノート

エピソード10

エピソード10


今年に入って一度も「エピソード」を書けていません。
もともと「書けない」ことが多いのは分かっていました。
それでも、少しでも言葉にすることで、自分の思い込みに閉じこもらないようにできるんじゃないかと思いました。

でも、しょっちゅう船は沈みかけ、そのたび海底から脱出しなければならず、なかなか文字にする余裕がありません。

11月に四女がホームを出ていきました。
2月には三女が出ていきました。

子どもに出ていかれると、事情はどうあれ、船が沈む気がします。
どうすればよかったのか、後悔だけが浸水してきます。
5人のうち2人に出ていかれると、「そして誰もいなくなった」という言葉が浮かんだりします。

今までも、茨木のり子さんの詩や石川先生の言葉に救われてきましたが、今回は福井達雨さんの言葉が沁みました。

学生の頃、福井先生の講演会や宿泊セミナーに通ったことがあります。
「8歳の私」に、「あのとき、向こう側に行かなくてもよかったんだよ」と、初めて教えてくれた先生です。


     ◇      ◇      ◇


『僕アホやない人間だ』


「……こんな仕事やめようかと思ってしまうんや」
「ウン、そうか、僕かて同じことや」
「先生でもそうかなあ」
「そうや」
「先生はもっと強く、自信をもってこの仕事をしていると思ったけれどもなあ」
「そんなことあらへん、何時も自信なんかあらへんし、こんな仕事、早ようやめた方がよいと思う時もよくあるんや」
三田先生はちょっと肩をおとして目をつぶった。
・・・・・
私はこんなことを話し始めた。
「へェ、不思議なことやなぁ」
「何が不思議なんです」
「そうやろ、十年以上もこの子供達と共に生活してきた僕がまだどうしても、この子供達の指導に自信がないんや。
毎日失敗ばかりし、反省ばかりしているんや。
子供達を怒らないでもよいのに、自分の精神的なイライラのために子供を怒り、反省するんや。
きたない子供が抱きついてくると、きたないと思い、ついじゃけんになってしまう。
そうやのに、わずか二、三年で自信を失くしたというのはどういうことなんやろ。
十年以上もやっている僕に自信がないのに、二、三年の君に自信がなくなったということは、今まで自信があったということやろうか。
うらやましいなぁ。
しかし君、それは本当は、自信ではなかったのとちがうか。
悲壮感か、思いあがりか、そういう一方的なものを、自信と思っていたのとちがうか。
本当の自信というのは、これから生まれてくるものや。
この仕事はな、自分の一人よがりの自信を、子供によって破られた時から始まるんや。」

「そうかもしれへんな」
「そうなんや、君はな、今、大切な分岐点に立っているのや。」
「どんな分岐点なんですか」
「それはな、この仕事が続けてできるかどうかという分岐点や。…」


『僕アホやない人間だ』福井達雨 柏樹社 1969年


         


先日、中学を卒業したばかりの子どもに会ってきました。
今度、ホームを見学に来てくれます。
働きながら定時制に通う予定の子どもです。

自信なんかぜんぜんないけど、子どもたちには出会い続けたいと、やっぱり思います。

コメント一覧

ai
あぁ、すみません。
カント哲学ではなかったですね。
「アウフヘーベン」ヘーゲルの弁証法の概念?でした。

記憶違いとはいえ、カントとヘーゲルを間違えるなんてごめんなさい。

福井達雨先生は、「怒り」が原動力や。とも・・おっしゃっていたように思います。
ちょっとでも、差別的な発言をした人を、先生は許しませんでした。その場で厳しく諌める方でもありました。高校生の私には、それが、ちょっと怖かったことを思い出します。

兄の人生観を変えたのは、福井先生の厳しい指摘に、無意識のうちに、語った言葉が、差別的な発言だったんだと気付き、心に傷を負ってしまった人への対処の仕方にあったようです。

「たとえ傷ついても傷は、必ず癒される。共に生きるって、そういうことなんだと思う。」と語っていました。

私は、兄の職業が嫌いで、最近は、簡単な電話のやり取りのみ。しばらく、会っていません。

久しぶりに会いたくなりました。
春休みになったら、○を連れて訪ねてみようと思います。
私が、こんな活動していると知ったら、おどろくだろうなぁ。
yoさん、ありがとう。
どうでもいいコメントなので、アップしなくていいですよ。人生いろんなことがありますが、くじけず何度も立ち上がりましょ。被災した人が話してくれました。
復興でも復旧でもない再生なんだと。

ai
福井達雨先生には、高校生の頃に、一度お会いしたことがあります。
「負け戦にかける」
「止揚学園の止揚とは、カント哲学のアウフヘーベンのこと。違う者同士がぶつかり合うことで新しいものが生まれ、前に進むことができるのだ。」とおしゃっていました。

当時の私には、よく理解できなくて、ただ、今まで一度も出会ったことのないタイプの人でした。

私の兄は、福井先生と出会い、人生観が変わったと話していました。
そして、福井先生がこの道に至る前に目指していた職業に就きました。

兄は、数少ない私たちの理解者の一人です。

福井達雨先生とyoさんが出会っていたと知り、なんだか懐かしくなって、コメントしました。すみません。

yo
no-miさん

楽しみですね~。

「やっちゃんがいく」を書いたとき、私は子どもの仕事を失業中で、もう子どもと過ごす仕事はできないんだとあきらめていたころでした。

取材のため、やっちゃんの小学校で一日を過ごした日、
子どもたちの声や気配、笑い声や足音や、とにかく子供たちがあふれている空気がしあわせすぎて、なつかしくて、泣きそうになったのを覚えています。

学校の先生って、こんなに幸せな環境にいるのに、そのときには、当たり前すぎて気づかないのかなと思いました。

毎日、子どもたちと一緒に暮らして、目の前の子どもたちの成長や物語を見られるって、こんなに幸せな仕事だったのかと思いました。

なのに、それを楽しむことを忘れて、子供を分けたり、勉強ができることばかりを追いかけたりしてるんだなと思ったりしました。

no-miさん、
飛び降りるのがスカイツリーなら、
着地まで、かなり長く楽しめそうですね。


no-mi
私はこんな性格だから、がんばっても、これしか持ち合わせがないから、いつも自信がなくて、自分の足りなさに直面するのが怖くて怖くて、「やって後悔するなら、やらない方がいい」という生き方をしてきました。
そんな私が大きな大きな決断をしました。小学校の先生になろうと思います。四月から免許を取る勉強します。学費はもう払ってしまいました。
子どもたちの前に立つことを考えると不安になります。責任の重さに足がすくみます。毎日反省と後悔で苦しむんじゃないかと怖くなります。でも、なろうと決めました。
haruの周りの子どもたちと過ごしたこと。名古屋の会の人たちと出会えたこと。yoさんがいつもおっしゃる“子どもたち”に私も出会ってみたくなったこと。
そんなことが私を清水の舞台から(古いかな?スカイツリーのがいいかな?)飛び降りさせました。
私がこんなこと言うのもなんなんですが、がんばってください。
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