「何もしない」を「する」とは、どういうことか?
ここで、私は何をしているのか?
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《私のしていること》(その1)
自分が、相手に理解されていないことを知る。
聴こえていない声があること、を知る。
子どもの声を聴くということは、ただ言葉の意味を理解することではない。その前に、自分が、相手に理解されていない距離を知らなければならない。
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《私のしていること》(その2)
「自立」の主人公は「相手」であって、私ではない。
だから、私が「相手を操作する、動かす」を、しない。
ホームは、相手が主体的に「選んだ」のではない。
他に行くところがないから、という「強制」でもある。
だから、まず相手に「主体」を返すことから始める
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《私のしていること》(その3)
相手が主人公だから、相手に聞く。
「これから、あなたは何をしたいですか?」
「あなたがしたいことのために、私に手伝えること、私にできることはありますか?」
相手の目標が明確なら、支援の形も見えやすい。だけど、それを「貯める時間」を奪われてきたのだから、すぐには答えられない。
だから、相手の話し方、身構え方、制限のないときの暮らし方を聴く。相手の居方を聴く。
そのために、こちらからは「何もしない」。相手の「主体」を待つ。
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《私のしていること》(その4)
相手のことばを、相手の「つながりのなかで聴く」ために、「なぜと問うこと」をしない。
「余計なこと」をしない。その子の過去を否定しない。
その子のいまを否定しない。その子の物語を奪わない。
子どもの声を聴くとは、その子の物語の、そのつながりのなかで聴く、ということ。
その子の物語のなかに入れてもらえなければ、「その子のつながりのなかで聴く」ことはできない。