《6歳になったこの子へ》
かいとくんのママさんに、
ワニなつの原稿を書いてもらいました。
《6歳になったこの子へ》は、
この原稿とセットではじめて完結な気がします(^_^)v
ブログで元の文章に戻るのは面倒だと思うので、
「6歳になったこの子へ」も入れておきます。
《ありがとう》 かいとママ
保育所の運動会まであとわずか。
海斗は今日も元気に、徒競走、ダンス、玉入れ、リレー…と、
周りの心配をよそに、やる気満々張り切っていたようで、
看護師が吸引に誘っても拒否することがありますよと、
言われてしまった。
帰宅後、入浴。
ひとりでセットした目覚まし時計が10分後に鳴るまで
プールのように遊び、
「鳴ったよー」と裸で飛び出す海斗を追いかけ、やっと夕食。
その後も動き、踊り、遊び、
まるで気を失うかのように布団に倒れ、
規則正しい寝息が聞こえるのを確認。
コーヒーを入れ、ひとりソファーに座り、
佐藤さんのブログ「ワニなつノート」を開いた。
《……生まれたときから闘う日々だった。
生まれたその日から、
この子は生きるために闘う日々を生き抜いてきた。……》
目に入った文章に釘付けになった。
夢中で読み進め、途中でにじんで見えなくなった。
そして、走馬灯のようにあの闘う日々が蘇ってきた。
◇ ◇ ◇
裸のまま、小さな保育器の中、
固定された頭は少しも動かすことを許されない。
この胸に抱いてあげることもないまま、
4ヶ月が過ぎたね。
それでもやっと、2000gになったね。
気管と食道を切り離し形成する手術。
暗い空が寒々しい冬の日。
手術室から出てきた姿は、初めて保育器越しではない海斗だった。
そっと頭をなでた、初めて触れた。
初めての沐浴、初めてのうぶ着、
初めて抱いた時、海斗も父さんも母さんも、すごく緊張したよね。
生後9ヶ月、気管切開の手術、
人工呼吸器が取れ、初めて哺乳瓶で飲んだミルク、
グビグビと力強かった。
NICUでの闘いは309日にも亘った。
面会時間も終り、父さん母さんの後ろ姿を見て、
ベッドの柵の間から大粒の涙を流し、
声のない声を絞って泣いていたね。
そして、生後624日、1歳10ヶ月、
父さん母さんの待つ家へ帰ってきたね。
家に帰ってからも何度も何度も闘ったね。
お風呂上り裸のままお父さんの腕の中で呼吸が止まった。
夜中、母さんの頭を叩き、起こしてくれた後、呼吸を止めた。
苦しくて苦しくて、思い切り息を吐いて、一緒に血も吐いて
…でも海斗は何度も何度も戻ってきてくれたね。
父さん母さんから離れ、初めてひとりでバス通園もできた。
4歳4ヶ月、生まれて初めての声を聞くことができた。
海斗は自分でビックリしていたね。
《…命と引き替えに、傷ついた身体。
生きるために、身体に入れたチューブ…≫
本当にがんばったね。
ずっとひとりでがんばったね。
ブログを読み終えた時、読んで欲しい人が沢山いた。
ずっと、海斗を応援してくれた人。
支えてくれた人。
夢中でメールを打っていた。
そして、次々入ったメッセージ……。
◇ ◇ ◇
「ママもパパも海斗くんもがんばったね。
何か手伝えることある?
海斗くんのこと、うまくいくように祈っている。」
「あの小さな海斗くんが一年生になるんだね。
がんばったね。
協力するから何でも言ってね。」
「ここまでほんと良くがんばった。
そしてまた、これからだね。」
「以前TVで取り上げた女の子は普通学級へ通っていたよね。
どうして? 千葉はそんなに遅れているの?」
「ブログ、まさにその通り。
いつまで辛い思いをすればいいのか、心が痛みます。」
「あまりにも理不尽なことが現実にあるなんて…。」
「一つ一つの言葉に胸をえぐられる思いでした。
視力が弱い子が眼鏡をかけるように、
気管の弱い子が気管切開をする…。
特別なことではなく、
その子の個性としてとらえてもらえたらと思います。」
「何かできるかな……私にも」
「早くしないと間に合わなくなってしまうね。
なんとかしてあげたい。
何でも協力するからね。」
「海斗くんの輝かしい未来のために、
みんなでがんばりましょう。」
「あのブログ読んで、おかしいとか間違っていると言える人がいる?
そんな人がいたら、その人が間違っている。」
「多くの人に、今の現状を知ってもらう事が大切ですね。」
「思いを伝え続けることが、差別を無くす第一歩だね。」
…………………
◇ ◇ ◇
「近年、少子化が叫ばれる中、
小さく生まれる赤ちゃんの数は増えています。
私が勤める病院にも、
毎年多くの赤ちゃんが運ばれてきます。
その中でも海斗くんは、本当に大変な赤ちゃんでした。
両手のひらに収まるような小さな身体。
呼吸を助けるために入れられた
2、3ミリのストローの様な細い管。
けれど、それは海斗くんにとっては、
何より太くて大切な命綱でした。
ほんの数ミリのズレでも命にかかわる。
そのために頭を固定され動くことすら制限される日々…。
私たちも何度となく先生を呼びに走り、
手に汗握る処置を繰り返した事でしょう。
そんな中、海斗くんは小さな身体で、
大きな手術に耐え、
ノドに穴を開ける事でやっと自由に動く事を許されました。
長い入院生活は、ご家族にとっても、
もちろん海斗くんにとっても辛く大変な日々でした。
その日々を思うと、今ここにいる、
大きく成長した海斗くんの存在を
奇跡と感じずにはいられません。
あの時、あんなに小さかった海斗くんが、
今は笑顔で私に大きな大きなパワーをくれます。
新生児医療に関わる者として、
ここにいるこの子たちが、
そしてこれから生まれてくる子どもたちが、
大人の都合に振り回される事なく、自分らしく、
自由に生きていける社会であってほしいと願っています。
(新生児科看護師 S・N)
◇ ◇ ◇
ありがとう。
ありがとう。
いっぱいの勇気をいただきました。
海斗はいつも元気です。
そして、これからもみんなと一緒に友達をいっぱい作って、
いっぱい遊んで、いっぱい勉強して、
やりたいことをいっぱいみつけて、
みんなと一緒に生きていきます。
ひとりじゃないよ。
がんばった海斗を父さん母さんが守るから。
みんなが守ってくれるから。
□ □ □ □
6歳になったこの子へ
(6歳になった海斗くんへ)
生まれたときから闘う日々だった。
生まれたその日から、
この子は、生きるために闘う日々を生き抜いてきた。
生まれてすぐから病気と闘い、
止まりかけた呼吸と闘い、
止まりかけた心臓を自分で励まし、
生きるために、喉を切り、
生きるために、管を入れた。
母親に抱かれて眠れる日まで、長い時間、
長い年月をこの子は病室の中で待った。
待って、がんばった。
がんばって、生き延びて、
ようやくお母さんの待つ家に帰ることができたとき、
この子は1歳半になっていた。
お母さんとお父さんの待つ家に、兄姉の待つ家に、
長い長い時間をかけて帰ってきた。
やっと、ふつうの子どもに戻れた日。
命がけで取り戻したふつうの親子の毎日。
ふつうの子どもの日々。
命と引き替えに、傷ついた身体。
生きるために、身体に入れたチューブ。
そのために、我慢しなければならないこともいっぱいある。
制限させられることがいくつもある。
でも、病院の子から、お父さんとお母さんの
ふつうの子どもになって戻ってきた。
やっとふつうの子どもになって、
いっぱい甘えて、いっぱい遊んで、大きくなった。
保育園に行くようになって、友だちもいっぱいできた。
はじめは、身体のこと、喉のこと、チューブのこと、
珍しそうにみていた友だちも、
そのうち、それが当たり前のことになり、
ただの日常になった。
保育園の中では、看護師さんが吸引をしてくれるから、
お母さんも安心だった。
そして、とうとうこの子が、
6歳の誕生日を生きて迎える。
来春には、保育園の友だちと一緒に、
1年生になるのを、何より楽しみにしている。
けれども、今の「学校」はこの子に向かって、
あなたは「医療的ケアが必要な子」だから、
みんなと一緒の学級ではなく、
「特別」な学級に行きなさいという。
でも、この子は「医療的ケアが必要な子」じゃなくて、
「医療的ケアが必要なただのふつうの子ども」だ。
この子一人を、特別な教室で、
「手厚い」教育をしてくれるより、
保育園と同じ、みんなと一緒にいるために
「必要な配慮」をしてほしい。
「できることと、できないことがあります」
どこの教育委員会の人も、同じ言葉を口にする。
でも、私たちが求めているのは難しいことではない。
「保育園でできることは、小学校でもできるでしょう。」
ただ、それだけのこと。
教育委員会の人は言う。
「学校は保育園と違って、看護士さんはいません。
だから、自分で自分の「医療的ケア」ができるようにしてください。
入学までに、自分のことは自分でできるようにしてください。」
6歳の子どもに、大の大人たちがそう要求する。
わたしたちは、この子に、
これ以上、「がんばれ」とは言わない。
これまで誰よりもがんばって生きてきたこの子に、
ただ、みんなと一緒に一年生になりたいと
願うだけの子どもに、これ以上、
「がんばれ」とは言わない。
この子は、生まれてすぐから、
母親に抱かれて眠れる日まで、
1年半も待ちながら病気と闘ってきた。
止まりかけた呼吸と闘い、
止まりかけた心臓を自分で励まし、
生きるために、喉を切り、
生きるために、管を入れた。
その6歳の子どもに向かって、今の学校は、
「自分のことは自分でできるようにしなさい。
それができたら、みんなと同じ学校に入れてあげる。
できないなら、お母さんと一緒に来なさい」という。
この子は、自分にできるせいいっぱいのがんばりを、
立派に闘いきって、今ここにいる。
誰もが、生まれてすぐに母親の胸に抱かれて過ごす
赤ちゃんの日々を、ひとりで受けとめ、闘った。
その子が6歳になって、学校に行く。
そこでもまた、闘いの後に残った生きるためのケアを、
この子ひとりに背負えという。
そんな言葉を誰が言えるものか。
6歳の子どもに、一人で背負えと、
そんなことを誰が言えるか。
私たちは誰も、
その荷を背負って生きてはこなかった。
その荷は、母親が、家族が、
学校や地域の大人たちが、支え持ってくれたものだ。
私たちはその中で見守られ育ち、今日まで生きてこれた。
だから、その荷は、私たち大人が、
ひとりの子どもに背負わせていい重荷ではない。
この子は、すでに背負いきれないほどの荷物を、
生まれたときから誰よりも堂々と受けとめ担ってきた。
私たちは、この子に伝えたい。
「あなたに必要なケアは、
私たち大人がちゃんと見守るから、
安心して学校においで。」
「新しい学校で、友だちをいっぱい作って、
いっぱい遊んで、いっぱい勉強して、
あなたのやりたいことをいっぱい見つけていこうね。」
「私たち大人は、
私たちにできることをせいいっぱいやって、
きみの学校生活を応援するよ」
私たちは、そう言いたい。
そう言わなければならない。
そう言える学校と社会全体で、
この子たちの苦労を受けとめることで、
これから先、この子が自分で引き受けていく苦労や困難に、
立ち向かう支えになりたい。
この社会は信じられる温かい社会だと、
この子に伝えたい。
私たちが、守らなければならないのは、
この子をみんなと分けて、
「特別な教室」で守ることではない。
ただ、この子がみんなの中で、
当たり前に生きていくのに必要な配慮をし、
この子がみんなと一緒に学校に行きたいという思いを
大切にすることだ。
「保育園でできることは、小学校でもできるでしょう。」
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