このブログで何度も紹介してきた鶴見俊輔さんが、7月20日、93歳で亡くなりました。
亡くなる直前に、お姉さんをしのぶ集まりに寄せたメッセージが、新聞に掲載されています。
その中のエピソードに、私がいつも不思議に思っていたことの、答えの出し方がありました。
◇
私が不思議に思っていたこととは、言葉にすればこんな感じです。
『いわゆる重度と云われる「障害」の程度は同じでも、普通学級で過ごした人と、特別な場で過ごした人とは、ぜんぜん違うように私には見える…のだが、そう感じる私(たち)は、なにを見ているのだろう?』
◇
鶴見さんの話。
【戦後まだ早い時期、…私が軽井沢で一人療養していた頃、…「天狗」と渾名される千里眼のようなことをして占いをする人が居ました。
…私の番が回ってきて、しばらく話を交わしたのですが、いきなり「天狗」は、「君にはお姉さんがいて、その人はお喋りだね」と言いました。
それまで の会話では一切、姉が居ることを出していなかったので、これには驚きました。
その時、自分も何か占ってほしい事を持っていたはずなのですが、それが思い出せないくらい、言い当てられた体験は大きいものでした。
私の話し振り、表情の作り方には、みる人がみれば、その後ろに話の好きな姉の姿を見透すことが出来るのでしょう。
それだけ姉の話し好きは、私という形を作る上で、大きな影響を与えたのでした。…】
(朝日新聞2015年8月1日)
◇
そう、その人の話ぶり、表情の作り方には、
みる人がみれば、
その後ろに、保育園幼稚園、小学校、中学校、高校の、無数の同級生たちの姿や、その人の中のよかった友だちの姿を見通すことができるのでしょう。
3~4歳から、18~9歳までの、ひとりの子どもが、ひとりの「私」という形を作るうえで、
しゃべれる、歩けるということは別の「大きな影響」というものが、あるのだと思います。
◇
私が学生のころ、亡くなる前の祖父に子どものころの話を聞いたことがあります。
そのとき、祖父の口から「同級生も、はぁ三人しか残ってねえ…」という言葉を聞きました。
八十を過ぎても、「同級生」は「同級生」なんだと、いうことがまだ子どもだった私には新鮮でした。
私の目には、寝たきりの年寄りの姿にしか見えなかったけれど、じいちゃんにとっては、じいちゃんの「私」を形づくった同級生や仲間たちは、いつまでもいきいきとした子どものまま、じいちゃんの「私」を支え続けていたのでした。
自分が五十を過ぎて、癌になって残り時間を数えて暮らしてみて、人生の最後まで自分を支えてくれているものは、子ども時代から変わらずに「ここ」に、「こころ」に、あるのだと分かる気がします。
子どもの外見やテストで測れる能力の「違い」を障害とだけ、見る目ではなく、人のつながりを「私」として取り込みながら、生きている私と同じをみる目を持ちたい。
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