12月8日、参議院・内閣委員会を傍聴してきた。
舩後議員が、国連勧告に触れ「やまゆり園事件の後も、施設で暮らす障害者が減らないのはなぜか」について質問した。
それに対する、内閣・厚労省の回答に引っかかった。
施設から地域移行の目標を進めると言いながら、「医療的ケアと強度行動障害」という言葉を強調したのが気になった。これらの人には「専門的な支援」が必要だから、施設でも仕方ないのだと聞こえた。
「やまゆり園」事件の起こった相模原市で、いまも「小学校入学を拒否」されているのは、その「医療的ケア」を必要とする子だ。
全国各地で「定員内不合格」にされてきたのも、「医療的ケア」や「強度行動障害」と呼ばれる子、重度知的障害といわれる子だった。
「障害が重い」とみられる子を、後回しにしてはいけない。
後回しにするから、いつまでたっても「まだ」とか「これから」と、制度が追い付かない。
やはり、「障害が重い」と言われる子から、無条件に、「いること」を認めること、「共に暮らす」を始めることが大切なのだと思う。
バリアフリー法も、市役所やデパートより、学校を先にすべきだったのに、なぜか「社会」の中から「学校」だけを除外し後回しにした。
だから、いまだに学校だけ、エレベーターの「後回し」が続いている。
「いるだけ」でいいのか、という人がいる。
「いること」からしか、始まらない。
私は、そう思う。