『ゆびさきの宇宙』から。
「盲ろう者は、「黙殺」され、「抹殺」されてきたんです。」
社会福祉法人は国内に1万8000以上あるが、
盲ろう支援の団体は1つだけ。
それも、福島さんを支援する会がもとになって、
1991年にできた「全国盲ろう者協会」ひとつだけ。
「盲ろう」の人は、世界的には、
人口、数千から一万人に一人の割合でいるという。
「日本には、1万数千から2万人前後いると推定される。」
全国盲ろう者協会に登録している人は、
797人だけ。
(07年12月現在)
それ以外の人たちは、どうしているんだろうか。
協会によると、
いまある行政や協会の制度をつかって
社会参加を試みている盲ろう者は、総数の6%ほどにすぎない。
盲ろう者の多くは高齢者で、在宅がほとんど。
支援も受けられないまま、だれとも話さず、
外出もせず、暗い海の底にいるのではないか。
☆ ☆ ☆
この本の、このページが頭から離れません。
「盲ろう者」と言われても、私は具体的な人を
思い浮かべることができません。
だから、私の頭から離れないのは、797人という数字であり、
例えば、2万-797=19203人という数字が頭に残ります。
何の支援もなく、だれとも話さず、
外出もせず、ただ暗い海の底にいる2万人近い人たちの姿。
次の瞬間、それは障害をもつ子どもたちの姿に変わります。
重度の知的障害とか自閉症といわれる子どもたちは、
目が見えても、耳が聞こえても、
それに近い環境に置かれているのではないかと。
ふつうの子どもであるための支援もなく、
他のふつうの子どもとは話さず、
みんなと一緒に過ごすこともなく、
ただ暗い海の底で、
個別の支援、特別の支援で人生を囲まれ
コミュニケーションの発達を、文字の獲得を
求められているのではないかと思うのです。
目も見えず、耳も聞こえず、
そばに人がいることも分からないとしたら、
「助けて」という「コミュニケーション」は、
「無」です。
繰り返します。
「コミュニケーションがない」のは、
その人の障害のせいではありません。
その人が「盲ろう」だからではありません。
その子が「自閉症」だからではありません。
その人を含みこんだ「コミュニオン」が
あらかじめ、「無い」からです。
あるアメリカインディアンの「最後の一人」という
おばあさんの話を読んだことがあります。
その「ことば」を話せるのは、その人一人で、
誰もその言葉を話せない…。
いま、ある「コミュニオン」、
東大の教授として有名になった福島さんが、
「指点字」を使ってのコミュニケーションの
世界に生きている「コミュニオン」が、
はじめはありませんでした。
だから、福島さんは言います。
「全く聞こえなくなったどん底から、
通訳発見まで3ヶ月ほど。
もし何年もかかっていたら、いまの僕はなかった。
生きていなかったかもしれない」
☆ ☆ ☆
【盲ろう者の多くは高齢者で、在宅がほとんど。
支援も受けられないまま、だれとも話さず、
外出もせず、暗い海の底にいるのではないか。】
どうして、その2万人の人たちは、
「助けて」と声をあげないのでしょう。
797人以外の人たちは、「助けて」も言えないままです。
「手伝って」と言えないままです。
「話したい」「聞きたい」と言えないままです。
それは、「助けを求めていいんだよ」と言ってくれる人が
だれもいないからです。
助けを求めてもいいんだと、子どものころから、
誰も教えてくれなかったからです。
学校では正反対のことを教えられます。
社会でもその教えは続きます。
それは、「教育の成果」ともいえます。
「自分のことは自分でしなさい」
「助けを求めてはいけない」
「助けて、と言ってはいけない」
「泣いては、いけない」
「それは、わがままだ」
わがままを一番に排除すること。
それが、「教育」でした。
とくに、「いないことにされた者」たちには、
助けてもらう資格はない。
助けてと言うには、それなりの資格がいる。
最低限の資格がいる。
それのない者は、助けを求めてはいけない。
そもそも、多くの人は「助ける手だて」をもともと知らない。
「いない者」「助けを求めてはいけない者」を
このコミュニオンは、含み込んでいないのだから、
その者たちとの「コミュニケーション」はない。
手だてはない。だから、あきらめるしかないのです。
「いいえ、なければ私が考えるから。
私たちが作るから。」
そう言ってくれる人が、福島さんの隣にはいました。
私たちは、子どもの隣で、いつもそう言い続けたいと思います。
いつも、そう言ってくれる仲間が、
子どもの隣にいる学校を求めたいと思います。
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