ワニなつノート

「ここにいる私」と「…できる私」 (コメント編)

「ここにいる私」と「…できる私」 (コメント編)


《6月12日》

yoさん、お返事ありがうございます(^^)
お返事があると、とても嬉しいですね!

さくらが小学校に入る前には、学校(当時の校長先生)との話し合いでとても難航しました。
が,『どんなにショウガイが重くても地域の学校へ』の会や、当時東京(現在は岡山す。)にあった、ハートピー(ブレインウエーブ)の支えを大きく受けて、揺るぎない気持ちで6回の話し合いを終えて入れました。

 中学に向けての進路の考え方は、昨日yoさんが書いてくれた事、納得なのですが、その通りなんですが、2つ私の心を悩ませる事があるんです。それは、、、
 さくらが1~2年生の時は、何の問題もなく天国のように、朝の登校から帰りの会までたくさんの付き添いボランティアさんと学校に居れました。が,3年生に上がる前に、まさかのアトピーになったんです。

 それは今も治療中で、全身に広がり痒くて痒くて、夜中も眠れず、見た目の酷い有様になり、学校や他にも出かける事の出来ない生活が、昨年、一昨年、、、で、昨年はほとんど学校に行けませんでした。
脱ステロイドも、昨年秋から初めて、4ヶ月かけて抜き、今は漢方と小児鍼(すごく良い!!)に出会い、だいぶ落ち着いては来ましたが、アレルギー、アトピで、食事制限もあり、給食は3年生から食べていません。
今も、学校は1~2時間程度です。

 行くと相も変わらず、生徒達、先生方は本当に『あぁ、入学して良かった!』という毎日です。

 が,ここ数ヶ月、さくらの笑顔は減りました。
教室の椅子に座らせると、血が出る勢いでいきなり掻き始めるんです。
なので、そうなると校内を散歩しています。

アトピーはストレスが原因、とも良く言われます。私も脱ステロイドがあまりに壮絶で、私も眠る事は出来ないのは覚悟でやりましたが、腎臓を初めて悪くしてしまい(ストレス)、今は入院と言われていて困っているんです。

 さくらがあんなにアトピーになった要因は、、、私の体がこの先、どうなるのか、、、今の悩み所なんです。

 もし、さくらがあんな酷いアトピーにはならずに今に至っていたなら、間違いなく、何があろうと近所の皆が行く中学に向かうでしょう。向かったでしょう。
何があろうとも、誰に何を言われようとも!

しかし、現在の状況では、どうしたら良いものか、、、と実際に毎日悩んでいます。
昨日から『翔子、地域の学校に生きる!』を読み始めました。
重度のショウガイがありながら、普通中まで進んだ翔子さんです。
今はまだ64ページ。小1の翔子ちゃん、まで読みました。

 聞いて欲しくて長々と書きました。ありがとうございます。
yoさん、今日は昨日よりも元気に過ごせますように!!

      ◇     ◇     ◇    

《6月13日》

昨日より寒い札幌からおはようございます!
昨日の更新された記事は、私のコメントの答えになっている、、と感じて何度も読んでいます。

 特に『たとえ授業中、疲れて眠ってしまう時間があったとしても、一日1~2時間しか学校にいられないとしても、たとえ休みの日が多いとしても、「より豊かに人生を経験する能力」を発達させる物語が教室(同級生という所属)にはたくさんあふれています。』

 ここの文章は、さくらの今の学校生活の事と同じです。

 私がもし子ども(大人でも良い)で、さくらのクラスメートだったら、やはりいつ来るか解らない、今はきても~2時間で帰ってしまう、“その子”が来たら、やっぱり「あ♥来たっ(^^)」ってなんだか嬉しくなるでしょう。

 実際、毎回どえらく大歓迎されます。
誰も飽きずに群がってきて、かまいます。
手伝います。教室移動など、連れて行きます。
椅子に座らせ準備します。
微笑みます*

 また、さくらは小学校生活の全般はびっちり学校に行き、たくさんの時間を共有していた、という土壌が出来てるから特にそうなんでしょう。
今日は私が4時間目の国語にさくらと行こうと想います。

 昨日の投稿を読み、なんだかまた以前のようにテンションが上がって来た私は、近所の普通中のPTA会長になろうかな、、なんて妄想したりしました。

 また実際に明日は、養護学校の見学日があり初めて見て来ます。
小学校入学前にさくらが行くに妥当だ、とされた養護学校も2度見学に行きましたが、その時は、すぐに「あ、違う。ここじゃない。」と思ったので答えが早かったのです。
今回はどうか。自分の感覚を確かめて来ます。
 では、ありがとうございます!!

      ◇     ◇     ◇    

《6月13日》

【私が見た養護学校の授業はとても手厚かった、です。
良いと想いました。

が,養護学校もアッ!と言う間に卒業です。
その後は、社会に出されます。
しかし、社会の人達はショウガイ者をあまりよく知りません。
出会う機械があまりに少ないからです。

先々を考えると、さくらと同じ年代の人達に、さくらを通して多くのショウガイがある人達の事を実際に共に暮らす中で知ってもらう方が長い人生大事だ、先決だ、と想いました。

 また、さくらが暮らすこの地域で、さくらと言う名前を知ってもらい、顔も知ってもらい、状況も知ってもらい、挨拶出来る関係を築く事こそ、ここで生きるのには何より良い事だと想いました。

それを見学の時に寄り添ってくれた優しい笑顔の女の先生に伝えましたら静かに聞いて下さり、
『その通りだと想います。ここは、いつか出ていかないとならない場所です。永遠ではないんです。あなたの言う事、良くわかりますよ。』と。。。

私は嬉しかったです。
もし、、、ここが、、、、死ぬまで居れるなら、、、、
私は楽な方を選び、養護を選んだかもしれません。
まだ若かった、今よりも心の幹が細かった私なら。】

      ◇     ◇     ◇    


《6月13日》

森さんへ

ご指摘の通り、『たとえ授業中、疲れて眠ってしまう時間があったとしても、一日1~2時間しか学校にいられないとしても、たとえ休みの日が多いとしても、「より豊かに人生を経験する能力」を発達させる物語が教室(同級生という所属)にはたくさんあふれています。』の文章は、
会ったことのないさくらさんという6年生の女の子が、いまいる「ここ」から、いなくなってしまうことの不安から、昨日、追加しました。

でも、私はさくらさんのことを何も知らないので、「疲れて眠ってしまう子」も、「休みの日の方が多い子」も…、私が付け加えたのは、もうこの世にはいない子どもたちの声にうながされて、という感じでした。

こうじは、小学校の門からなかには、とうとう入れませんでした。

ゆうりちゃんとけいちゃんは、たった一年間の小学校生活でした。

生まれてもすぐに死んでしまうといわれたたっくんは、二十歳の人生を生き切りました。

その人生の中で、小中学校の生活がどれほど豊かなものだったかを、いまも思います。


昨日、森さんのコメントに、直接答えることはできませんでした。
そうするには、私は、森さんの状況も、地域の状況も知らなすぎるからです。

でも、私の中では、さくらさんの13歳から15歳の所属は、地域の中学校の普通学級しかあり得ません。だから、直接、言葉を返すと、とても脅迫的な言葉になってしまうような気がして、できませんでした。

でも、ワニなつノートを、わざわざ読みにくる人なら…と思い、昨日の原稿にあの4行を加えました。


養護学校の見学も、大事ですよね。
「ここじゃない」って、思うために。
出会った先生も、正直な先生でよかったですね。

ただ、森さんが「ここではない」と思った理由を、「言葉」で読んで、気づかせてもらったことがあります。

「…また、さくらが暮らすこの地域で、さくらと言う名前を知ってもらい、顔も知ってもらい、状況も知ってもらい、挨拶出来る関係を築く事こそ、ここで生きるのには何より良い事だと想いました。…」

その通りなんです。
私も、同じように書いたり、話したりしてきました。

でも、ふと思ったのです。

「それよりも、さくらさんが中学に入学して感じる1年生の不安や期待、好きな友達、苦手な先生、2年生になって「後輩」のできる感覚や好きな男の子への思い、3年生になって共有するみんなの思春期の揺れ、高校への不安、期待、みんな離ればなれになることへの物語…。
そうしたさくらさん自身が、感じ揺れ動いていくだろう13歳から15歳の人生の豊かさ、それだけが、地域の中学校へいくことの楽しみ」だと、そんなふうに思いました。


生きていくのは、この子、です。
名前を知ってもらう、という受け身ではなく、
顔を覚えてもらう、という受け身ではなく、
病気や障害を理解してもらう、という受け身ではなく、
いまを、生きているこの子が、ここにいる、
世界を、感じているこの子が、ここにいる、
どこまでも、この子が、この子の人生の主人公だと、
いつも忘れないようにしたいですよね。   
  
(yo)

コメント一覧

森 晴子
yoさん、aiさん、ありんこさん、そして皆様おはようござます。


ありんこさん、初めまして!ワニなつさんのHPで、徐々に新たな出会いを感じることができて嬉しいです。

 私はyoさんやaiさんやありんこさんの事も、お子さんも事もほとんど何も知らないので、少しでも知れたらば、その分会話の中身が膨らんで行くのになぁ、と想っています。

今は、後10分しかPCに向かえないので、途中までの投稿です。

ありんこさんの旦那さんも同じような経験をされてるのですね。aiさんも。
毎日ワニなつノートを訪問する100人以上の方の中
にもまだいらっしゃるのではないかな、、と想います。
いろんな体験想いを共有出来たら素敵な事だな、と想います。


 さて、昨日養護学校に行って来ました。
中等部を見るのは初めてですが、以前小学部を2度見に行って居て、同じ建物です。

 なるべく簡単に書くと、養護学校、事態は決して悪くない、良いんです。
昨日もたいした良かった、と私も、初めて養護学校にく私の友人2人もそう感じたようです。
たくさんのいろんな(本当にいろんなショウガイがあります。)子ども達が予想よりも伸び伸びと過ごしていて暗さがない。
先生達も生徒と同じような人数が居て、実に賑やかに動いていました。
その子はあそこのエネルギーを感じました。

 帰って、悪い所の印象を受けれなかった、というのが昨日の悩みになりました。

が,さて、、、、では、あそこにさくらを入学させるのは、と考えるとやはり拒否反応が私の中で芽生えますが
、それは、さくらを産んで、ハートピーの小野瀬さんが私に教えてくれた思想、それに共鳴してしまった自分、実際に整肢園を迷うに中辞めて、受け入れてくれる幼稚園を探し(10件目)入り、そして闘いの中今の小学校に入り、嫌な目に合っていない、と言う現実があるのに、普通中という場所のハードルは高く、実際にさくらが入った生活はどんなものかと簡単に考えると1つ1つ
が私が大変だ、という事。

制服一つとっても。さくらは制服は着ないだろう、ジャージは科学繊維なので着ないだろう。
綿100%の着やすい洋服で、と話し合いしないとならない。(続く)


ai
わぁ。ありんこさんだ!
おひさしぶりです。

森さんへの、
優しいコメント。
あったかい、お人柄がわかる文
ブログは時々覗かせていただいていました。

私もやっと元気になって、
また、yoさんにご迷惑と知りつつ、
性懲りもなく、ここにやってきました。
あげく、毒振りまいてます。
ごめんね、yoさん。

もう二年前になるかなぁ。

○とあーちゃんの出会い。
たこの木主催の、hideさんの講演会の日。
あの時は、とっても嬉しかったです。

あの日以来、○は、イヤーマフ使ってないんですよ。

ありんこさんと知っていたら、
もっとゆっくり話すんだったな。
と。

あれから、震災があったり、
原発事故では、本当に大変でしたね。
また、お会いしたいです。
私は相変わらず。
こんな調子です。
今日も、へこんでばかりいました。
あったかくて、たくましい
ありんこさん、これからもよろしく。

森さんへ
見学お疲れ様でした。
ブログも読ませていただいています。
素敵なご趣味をお持ちなんで、
うらやましいです。

新緑の美しい季節。
北海道は、梅雨がないんでしたよね。
また、行きたいな。
○がおなかがすいたそうです。
では、またね。



ありんこ
aiさん お久しぶりです^^
久々のaiさんの登場に嬉しくなって私も参加♪

森さん はじめまして
お嬢さんのお加減はいかがですか?
迷いもでますよね。

私の娘も就学時は給食にやっと間に合って食べたらさようならとか
そんなことばかりでこれで普通学級に就学した意味はあるのか?とかよく気持ちが揺れてました。
いまは低学年の頃よりはマシだけれど、学校へ行ったと思うとすぐ疲れて寝てしまったりと相変わらずです。^^;
なのでさくらちゃん仲間だ~~♪と嬉しくなってしまいました。


森さんの同級生との過去と現在のお話を伺っていて
私の夫と似ています。
夫の中学校にも障害のある女子がいたらしいのですが
娘が障害を持っていることを知るまですっかり忘れていたみたいですが、記憶の引き出しから引っ張り出してきたんですね。夫の以前勤めていた店に偶然親子で来店したことをきっかけに時々お母さんと話をするようになったそうです。

学生時代一緒の学校へ通っていた人たちの記憶の引き出しに「ここにいる私」の種はちゃんとあるんですね。
アトピーの症状が和らぎますように
ai
相変わらず、鋭いねyoさん。

北国は、春過ぎても寒いんです。
夏でもストーブ炊いたりするんですよ。
想像できませんよね。

寒い地方に住んでいると、いろんなこと受け身になっちゃうんだよね。
でも、それは、何も北国に限ったことではないのかもって思います。

森さん、そこまでわかっていて、なんで養護学校の見学に行くのかな。って思ったけど。
きっと、yoさんのコメントが真実だと確信するために行くんだろうな。

バスを待っていたら、見知らぬ高校生が、○に声をかけてくれて、
「大きくなったね。見違えちゃったよ。」
私も○もぽかん。

高校生は、笑顔で、頭をかきながら、
「小学校の一年生のころから、知ってます。
でも、あの当時は、まったく話したことはなかったし、わざと逃げてました。
なんていうか。
○くん、今度いっしょに遊ぼうか。」

へぇー。そうなんだ。
びっくり。

ちょっぴり大人になってから、話しかけてくる子もいるんだね。
いろんな出会いがあるね。
○は、高校も行きたいんだと。
そりゃそうだ。


森 晴子
おはようございます◎

昨日の彼の事を今朝も早から思う。名前、、、今度実家に行った
ら、卒業アルバムを探して確認しよう。と新しい事を思う。


過去の記憶が蘇る。クラスは違えど、もし彼が嫌な目や理不尽な
目にあってるのを見た時は、その時は声を出そう、と思ってたの
だ。ただ、その機会はなかった。

彼は仲の良い友人が居たのかな?喋ってるのを見た記憶がないか
もしれない。どうなんだろう。修学旅行も居たのかな?居たのだ
ろう。クラスが違うと細かい所はよくわからない。

 でも、クラスメイトは担任の先生と共に、彼と当然な毎日を送
っていたのだろうな。

さて、友人も2名付き添ってくれて、養護学校行って来ます。さ
くらのショウガイが解ってから、たくさんの人が本当に育児を手
伝い、我が子、、、まではいかなくても、きょうだいの子、くら
い親身になってくれるんです。では、また!良い一日を!
森 晴子
yoさん、aiさん、今晩は★☆

aiさん、コメントとっても嬉しかったです!どうもありがとうございます!

yoさんの事も、aiさんの事もお顔もそれこそ背景も何も知りませんが、とても優しく、気持ちを察し理解してくれてる、と感じています。


 さて、今日は今夜初めて想った体験を書かせて下さい。良いでしょうか(もう書いて送信してますね・・・・)



~夕方1人でスーパーへ向かう。
信号待ち、何気にバス停を見ると中学時代の同級生の男性が、バスを1人で待っていました。彼は目が見えない、もしくはかなりの弱視です。

 10年くらい前なら名字を知っていた私。今は思い出せない。
同じクラスになった事はなく、8クラスもあった学年だけれど、目がほとんど見えない、と言うのは彼だけだったので、よく覚えているんです。

 で、大人になっても近所に住んでいるのか、何度も見かけました。
見かける度に声をかけてみようか、、、でも、喋った事がない、、、、なんて話しかけるの?

彼は今は、前より目が見えてないようだ。
中学の頃は、杖は使ってなかった。
今は杖を持っている。。。。
結局話しかけた事は一度もない。
しかし、たまに私の目の前に現れる。
とても気になる。気になるんです。いつも。
(続く)~~~
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