ワニなつノート

白雪姫と銀行強盗と小人プロレス(3)


【福島さんと野本さん】


このタイトルの(2)は、5月7日です(・。・;


考えたいこと、わかりたいこと、
そのために、忘れないようにと思うこと。
そのメモをブログに書きとめるだけで、
こうして飛ぶように日々が過ぎていきます。

「これだけは!」と思いながら、
それさえも、書いている途中で見失ったり、忘れたり…。

でも、本当に大事なことは、こうして思い出します(^^)v


   ☆    ☆    ☆


大学院のゼミをのぞくと、通訳者が発言のようすを、
ピアノを弾くように福島の指先に伝えている。
……

学生が尋ねた。
「人工内耳をつける考えはありますか?」

「つけませんねえ。盲ろうの人生の否定になりますから」

そして続けた。

「住む場所で考えてもらうとわかると思うんですけれど。
たとえば、沖縄の離島に長く暮らしていて、
急に東京に来いといわれても、
移る気にはなれないんですよ。

しかも東京での生活の安定には、
なんの保障もないとしたらなおさら。」


(『ゆびさきの宇宙』より)


☆    ☆    ☆


「人工内耳をつける考えはありますか?」
という質問に、福島さんは「つけませんねえ」と答えます。
「盲ろうの人生の否定になりますから」と。

この言葉を聞いてすぐに思い出したのが、
野本さんという、小人症の親子の話でした。


☆    ☆    ☆


親父も俺と同じ軟骨異栄養症の小人症だったので、
親父も感ずるところがあったから、
俺は、全部、普通の学校へ行ったわけです。

けれど、普通の親同士だと、
何万人に一人っていう確率で生まれてきてしまっているから、
自分とは違うんだっていう意識で、
家の中へ押し込めちゃいたいっていう部分が
あるんじゃないかなァ。

でも、うちは親父が俺と同じだから、
自分はどうやって生きるべきかとか、
この子をどうやって育てていけば一番いいかっているのを、
親父が経験しているから、考えたんでしょうネ。

親父はあまり外へは出なかった人ですけどネ。

エエ、親父は農家でした。
村の中では普通につきあっていましたけど、
でも、自分の本当にやりたい部分は殺してきたっていうか、
だから、俺には特別な施設とか、
そういう所へは入れなかったし、
障害者手帳もとらせなかった。

好きにやれって、
だから、普通の親は過保護っていうか、
隠してしまうんじゃないかなァ。

多くの小さな人たちは、
自分を閉じ込めて、外へ出なくなっちゃう。

自分の不満とかを外へ吐き出さないんですヨネ
そして相手を信用しない。
裏切られたことがあるのかもしれないけれど、
普通の人の中に入ってゆかないっていうことがあるんです。

僕は、親を見てて、
やっぱり外へ出たいというのがあったから、
すごくそういうのは、平気なんですけど。


(『笑撃!これが小人プロレスだ』より)

☆    ☆    ☆


野本さんのお父さんは、
自分と同じ「軟骨異栄養症」の息子を、
普通学級に通わせます。
息子が、そこでどのような体験をするのか、
どのような思いをしながら大人になるのか、
それらを飲み込んで、普通学級に通わせます。

「盲ろうの人生の否定になりますから」という
福島さんの言葉を読んで、思い出したのが、
このお父さんの思いでした。


一方で、同じ小人症でも、
「下垂体性」の子の親のなかには、
「軟骨異栄養症」の子を見て、
『かなわんわァ、あの子らと同じに見られるのは』
という人もいます。

「小人症」には、いろんな種類がありますが、
たとえば、下垂体性小人症の場合には、
遺伝子工学利用の成長ホルモンで、身長が伸びるようです。
そして、薬で身長が伸びれば、
「会」をやめていく人もいます。



野本さんのお父さんにとっての、
子どもを学校に通わせる思いと、
薬で治れば会をやめていく人にとっての、
学校への思いは、ぜんぜん違います。

私たちが大事にしたい「どの子も普通学級へ」は、
本当に、「どの子も」分けないところで、
育ちあってほしいということです。

それは、盲ろうの人生の否定になるから、
人工内耳をつけないという、
福島さんの思いを大切にすることであり、
野本さんのお父さんの思いを大切にすることだと、
私は思います。
教育の結果や、治療の結果だけを、
無条件に「良いもの」として考えると、
何か大切なものを失うような気がするのです。


子どもたちにとって、
学校で一番大切なのは、
そこで生きて、
仲間と生活していること、
そのことであり、
そこで、自分と友だちが、
人と人とがつながっていることを感じることであり、
仲間とコミュニケーションすることです。

教師の教育や、その教育の結果は、
その何番目か後にくる話だと思います。

私が、福島さんや門川さんの話から教えられることは、
まさにそのことでした。
東大の教授になったことが一番ではなく、
アメリカの大学院を出たことが一番ではなく、
人と人とのつながりを感じることのできる
コミュニケーションこそが大事なのだと
教えられるのです。
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