ワニなつノート

子どもの自己肯定感は無条件の肯定から


子どもの自己肯定感は無条件の肯定から


障害があるということ
そのために、できないこと、苦手なことがあるということ

違いがあるということ
男だから、できないこともある
女だから、できないこともある

違いがあるということ
男だけど、男でいることができないこともある
女になるにしても、できないこともある

6才の子が、生まれてきた自分、生まれてきた姿
生まれてきた世界に、安心と肯定を感じること

自分にうなずくことと、自分を取り巻く関係にうなずくことは、
子どもにとっては同じこと

小学校入学の相談で、毎年必ず耳にすることば。
「普通学級に入ったら、この子は自信を失くしますよ」
「普通学級では、自尊感情が育ちませんよ」
「普通学級では、自己肯定感が持てませんよ」

そう言う人は、自分の言葉が何について語っているのかを知らない
(裸の王様と同じ)

だから、子どもの障害について、分かったふりをして語っているけれど、
本当は、目の前の子どものことが、なんにもわかっていない。

子どもの心について、子どもの成長について、
専門家として語っているつもりでいるけれど、
本当は目の前の子どものことが、
影も形も、笑顔も泣き顔も見えてはいない

「できないことのあるこの子は、自己肯定感が持てませんよ」

それは、客観的な言葉ではなく、その人の個人的な信条を述べているだけ。

     ◇

(信条その1)
「できない子どもは認めません」
「できない子どもに、自己肯定感など持たせるもんか」
「できない子どもが自信をつけたら、できるために努力した子が報われない、
こんなにがんばった私が報われない」

(信条その2)
この世界は、できない子どもを認めない
この世の大人は、できない子どもを大事にしない
できない子、がんばれない子、
言うことを聞けない子、従順でない子どもは「教育」されなければならない。

この世界では、自由な子ども、子どもらしい子ども、
ひとりひとり違う個性と興味と成長の時間をもつ子どもを認めない

(信条その3)
この世界はそういう世界だ
私たちが住む世界はそういう世界だ
私たちが守りたい世界は、そういう世界だ。

だから、できない姿で、小学生になって、できない姿で、自己肯定感など持たせる訳にはいかない。
できない姿で、安心などさせる訳にはいかない
それは、不公平
それは、不平等

(その他いろいろ)

         ◇

公平、平等とは、
同じ扱い方、同じ条件ということを意味するのではない。

公平とは、尊敬しあうこと
公平とは、条件が違う生き物である人と人とが、尊敬しあうこと

平等とは尊敬しあうこと
平等とは、人と人とが、お互いに人であることを対等に尊敬しあうこと

人と人とが尊敬しあうことに、条件はいらない

子どもが生まれてきた自分に自信と安心を感じるための条件などない

生まれてきた自分を肯定するには、
生まれてきた自分を肯定してくれる誰かがいてくれればいい

無条件の肯定
無条件の安心
まず無条件に子どもの側にたつことだ。

6歳の子どもに、はじめから大人の側の条件を当てはめて、
条件に合わない子どもを分けることではない。

「ここでない場所でなら、大事にしてあげる」
「ここでない場所でなら、自信が持てる」
「ここでない場所でなら、自己肯定感を育ててあげる」
「ここでない場所でなら、自尊感情を持たせてあげる」

私が子どもなら、こう言う。
「ここが、いい」

私が出会ってきた子どもも、みんなそう言った。
「ここが、いい」


でも、この社会は今年もまた5才の子どもをつかまえて、こう言い続ける。
「ここでない場所でなら、安心をあげる。」
「『交流』だけなら、してあげる」
「ボランティアとしてなら、『共に』にいてあげる」
「福祉としてなら、『共に』してあげる」


そう、本当のことを言えば、福祉と教育が最初に子どもを分けたのだ。
子どもの人権を守るはじめに、児童福祉と障害児福祉に分けて始まったのが、不幸と不公平の始まりだ。
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