【業務連絡メモ】③
《お母さんが泣かないところがいい》
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「一緒がいいならなぜ」という中学生の声に、「お母さんが泣かないところがいい」という小さな女の子の声が重なって聴こえてくる。
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「私が、わるい子じゃなかったら、お母さんは泣かない」
その子は、父のDVを「自分のせい」だと受け取っていた。
「なぜ、ショウガイジなんだ」という音声は、「ここにいてはいけない」と子どもには聞こえる。
自分がここにいるから、お母さんが泣く。親が苦しむのは、自分のせいだと、子どもは間違う。
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「でも、わたしはどこにもいけない。ここしか、いるところがない」。だから、自分より親の笑顔を優先する子もいる。Aちゃんは「ふつう学級」も「支援学級」も、どっちでもいいと母親に伝えていた。
就学相談会で、私と話す母親を見上げながら、その子は満面の笑顔だった。その目からは、「お願い、お母さんを助けて」という声しか聴こえなかった。
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あのとき、私が「聴いた声」を、今なら言葉にできる。
「ねえ、Aちゃんはほんとうはどうしたい?」
「わたしは、お母さんが泣かないところがいい。私がここにいてはいけない子だから、お母さんが泣くの。お願い、お母さんを助けてあげて。私はお母さんが泣かないところで、お母さんと一緒にいたい。それだけ」
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「なぜ助けてと言えないのか」と問う人がいる。「援助希求能力」を語る人もいる。だけど、自分のために「助けて」と言うのは難しい。大人になっても、自分を助けることが一番難しい。
「一緒がいいならなぜ分けた」のずっと手前で、「お母さんが泣かないところでいい」という子どもがいる。私は、その声の重なるところで必死に耳をすます。「つながりに鍵をかけない」ために。
【写真:仲村伊織】