ワニなつノート

ふつう学級という未来


《ふつう学級という未来》



「奇跡のレッスン」というNHKの番組がある。

外国から「奇跡のコーチ」がやってきて、子どもに一週間のレッスンをする。

日本の部活のコーチとの一番の違いは、毎回、子どもへの敬意だと感じる。

バスケ、バレー、卓球、ミュージカル、ダンス、合唱、料理…。レッスンの内容が何であれ、感じるのは圧倒的な子どもへの敬意だ。


印象的だったのは、バスケのマグジー・ボーグスさんが、日本の中学校を訪れたとき、玄関に飾られた中学生たちの写真を見て「フューチャー」と叫んだこと。

ごくふつうに、「ここに未来がいる」と言える人がいること。

それ以来、子どものことで行き詰ったときには、どこからか「フューチャー」という声が聞こえる。


             ◇


先日の「レッスン」は車イスバスケだった。コーチはマイク・フログリーさん。


最初のミーティングで、どんなことを教えてほしいかを一人ひとりに尋ねると、ある選手が「プレーじゃなくて、サポート面でこう動いた方がいいとか教えてもらいたい」と言った。

フログリーさんは答える。
「一番いいサポートの方法は、君がいいプレーヤーになることだよ」


その選手は障害が重く、みんなについていけない練習では、自ら退いて個人練習をしていた。

フログリーさんは、彼を呼び戻して同じ練習をさせた。

「パスやドリブル、シュートでも、ぼくはどんな選手にも同じことを教えます。持っている能力を生かすため、その道筋を自分で見つけることが大切なのです。」


その呼び戻す場面、そして全体練習の中での個別のアドバイス。

腹筋が使えない人には、代わりに肘を背もたれに引っかければいいという具体的な言葉。

その一連の流れに、ふいに泣きそうになる。


                 ◇


ミーティングのやり取りの場面が、私の中で勝手に翻訳されていく。

《みんなと一緒にいると迷惑をかけてしまう。だから、みんなに迷惑をかけずに、自分なりに役に立てる方法を教えてほしい。》

《一番いい方法は、お互いに必要なことは手を貸しあうこと。お互いに遠慮せずに手や目や耳やそして知恵を借り合うことだとおもうよ。そして、じぶんのできること、できるやり方を自分でみつけることだよ。》


                 ◇


レッスンの最終日。一人の選手の友人が試合を見に来る。

その選手は普通高校に通っているが、高校ではバスケ部のマネージャーをやっていて、部活の仲間は彼が車イスバスケをやっていることを知らず、見たこともなかった。

初めて目の前で試合を見て驚く友人たち。

フログリーさんは言う。

「初めて車イスバスケを見る人は、何もできないだろうと思って見に来る。
でも実際に見ると、ワッこんなこともできるんだ。他に何ができるんだろうと、見方が変わっていく。

すると街で車イスに乗っている人を見たら、あの人もバスケができるのかなと思うようになる。

その瞬間、その人は障害者が《できること》を考え始める。

あんなこともできないのか、とみるのではなく、何ができるんだろうという見方をしていけば、社会のあり方も大きく変わっていくと思うんだ。」


                    
                  ◇



そう、「ふつう学級は無理」というのは、「どの子もふつう学級でやれる」ことを見たことがない人たち。

「ふつう学級は無理」と見るのではなく、「どうすればふつう学級で楽しい学校生活を送ることができるんだろうと考えればいい」。それだけのことだと教えてくれる。


高校も同じ。「高校は受検があるから無理」というのは、それを見たことのない人たち。

小学校、中学校でできることが、高校でできないはずがない。


社会は、その先にある。


今日は、千葉県の公立高校入試の二日目。


子どもたちは、一人ひとりの存在が未来だ。

ここにいること。ここにいてくれることは「未来」が、ここにいてくれることなのだ。


私たちが望む未来は、いま・ここにある。
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