『受けとめられ体験』は、子どもが親に「受けとめられる」ことが
どれほど重要なことであるかを、もっとも分かりやすい形で、
私に説明してくれました。
「里親・里子」という、いわゆる「実の親子」ではない親子が
「本当の親子」になるためには、親が子どもを「選ぶ」のではなく、
子どものどんな状態・表現をも、
ありのまま「受けとめる」ことが不可欠なのだと教えてくれました。
だから、どんな「問題行動」も「困った行動」も、
子どもの「受けとめられたーーい」という欲求であり、表現なのだと。
里子の側には、それまでの苦労(親に虐待されたり、捨てられたこと)に
何の責任もないこと。
だから、子どもの「受けとめられたーーい」という欲求は、
受けとめられなければならない、というふうに私は理解しました。
そうでないと、子どもは、また親がいなくなるんじゃないか、
また捨てられるんじゃないか、と不安をなくすことができません。
「この今の自分」では、受けとめてもらえないんだと感じます。
その子どもの不安が拭えない限り、本当の「親子になる」ことはできないと、
芹沢さんは書いています。
そして、実の親子も、そうした「受けとめられ体験」をしながら、
「親子になっている」のだと言います。
それを読みながら、私は二人の15歳の女の子のことを思い出していました。
一人は、中学卒業まで、乳児院・養護施設で過ごした子です。
もう一人は、母親との折り合いが悪く、中3で家を出て保護され、
中学卒業と同時に自立しようとした子です。
自立支援ホームという場所で、ほんの一年足らずでしたが、
彼女たちと過ごした日々を思い出しました。
そのこともあって、「受けとめられ体験」は、
私にとってとても腑に落ちる説明でした。
それと同時に、私は「受けとめられ体験」という考え方が、
障害をもつ子どもへのつきあい方にも、そのまま通じることを感じてきました。
通じるというより、私がつきあってきた「普通学級の障害児」たちは、
まさに両親や友だちに、ありのままを「受けとめられ体験」をしてきたのでした。
とくに「0点でも高校へ」という体験は、
この上なく険しい壁をまっすぐにつきやぶっての、
最高の「受けとめられ体験」としてあるのでした。
そんなふうに、自分の出会ってきた子どもたちのことを、
「受けとめられ体験」という視点で考え直してみたいと思ってきたのでした。
それは楽しい作業でした。
いろんな子どもたちを思い出しました。
忘れていたいろんな場面を思い出しました。
いろんな発見がありました。
それらがすべて「受けとめられ体験」という言葉でつながりました。
ところが、ある日、一つ足りないものがあることに気がつきました。
それは、「受けとめられたーーい」と表現している子どもが、
どれほどたくさんのものをすでに「受けとめているか」、
「受けとめてきたか」という視点でした。
(つづく)
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