道はたくさんあります。
私が書く言葉は、そのなかのいくつかの道を
めぐってのことにすぎません。
康司や朝子や知ちゃんやたっくんが見せてくれた道。
ヒデやジュンくんやこうちゃんやゆうくんが、
いま歩いている道。
そうした道は、私の前にはたくさん見えていて、
たくさんの「子どもたち」が大人になって歩いている姿も、
わたしには身近なところにあります。
わたしにとっては「ふつうの道」のひとつひとつにすぎません。
でも、その道は、世間の人たちにとっては、
「どこか別の世のくにの道」、
「夢の世界の森の奥にある幻の道」のように思われ、
扱われているようです。
「自立」という言葉を、誰もが使います。
でも、その言葉から見ている道は、本当に千差万別です。
自分で金を稼いで税金を払うことが
「自立」の道だという人もいます。
せめて自分の身の回りのことは自分でできるようにと、
それが最低限の「自立」(身辺自立)だという人もいます。
でも、私にはそうした道のほとんどは、「自立」というよりは、
「個立」の道にしか感じられませんでした。
だから、「自立」の話をするときには、
「道」が何本くらい見えていて、
そのうちのどの「道」の話をしているのか。
たとえば、その道は「康司」が歩いた一生の道のこと。
たとえば、その道は「たっくん」が歩いた一生の道のこと。
たとえば、その道は「ヒデ」がいま歩いている
道の途中のこと。
たとえば、その道は「ジュンくん」がいま歩いている
道の途中のこと。
たとえば、その道は「こうちゃん」がいま歩いている
道の途中のこと。
たとえば、その道は「ゆうくん」がいま歩いている
道の途中のこと。
そんなふうに、その人が子どもだったころから、
その人生の最後までの生き方や、
いま、もがきながら生きていることを、
「前提として知っている人」とでないと、
私の話したいことは、どれほど伝わるのだろうと、弱気になります。
そうだ。
Kawaさんの昨日のブログを、
ここで使わせてもらえばいいんだ!(^^)!
ゆうくんも、いまその道を歩いている途中です。
□ □ □
《 反省・・・(^_^;) 》
「地下鉄鶴舞駅です。問い合わせがあった乗車券、
吹上駅にありました。」
日曜日の朝、電話が入りました。
吹上・・・?
前日、yu はジョブトレーニングセンターに通う途中で
福祉乗車券を無くしました。
「鶴舞駅~御器所駅間」で通っていたので、
この間で落としたと思うと問い合わせをしていましが、
駅員さんの電話で「鶴舞~吹上」を利用していたことを知りました。
福祉乗車券は名古屋市内ならどの駅でも乗降できます。
ジョブトレーニングセンターには、
最初に一緒に行ったコースで通っているものだと思い込んで、
問い合わせをしていたことに反省しました。
たまたま落としたことで行動範囲を知ることができました。
ずっと同じコースで行っているものだと思い込んでいる
私の浅はかさにも気付きました。
すぐに、車で一緒に吹上駅に行きました。
昨年落としたときは御器所駅で見つかりました。
そのとき、本人の確認できるもの、
受け取りのための印鑑を持って一緒に行きました。
本人確認の手帳を見せ、預かり表に記名し、
印鑑を押して受取ました。
側で yu も「ありがとうございました」と
消えそうな声で言いました。
今回も同じ手順です。
駅に車を止め「大きな声でありがとうございましたって
言うんだよ」と、昨年の小さな声を思い出し、
つい注意をしてしまいました。
一緒に車を降りかかり、私は思い留まりました。
私が一緒に行くから、みんな手続きをしてしまうから、
だから挨拶の声が小さいって注意をしてしまう。
yu が自分で受け取りに行けば、
それはそれで駅員さんもわかってくれるはず…。
手帳と印鑑を渡して、私は車で待っていることにしました。
「わかった。行ってくる」手順を説明し、
yu が地下の階段に消えました。
“もし、駅長室がわからなかったり、
何かあったら携帯に電話するんだよ”と
声をかけそうになるのも、
また飲み込み“心”でつぶやきました。
わからなかったら自分で探すし、きっと誰かに聞くんだろうし、
それが小さな声でも、一生懸命に話したら
きっと聞こうとしてくれるし、なんとかなる。
yu と駅員さんを信頼しよう。
いつも違うことではそう思うのに、
いざとなると「余計な一言」を考えてしまうと反省をしました。
そんなことを考えているうちに、
yu はすぐに戻ってきました。
手には福祉乗車券を持ってヒラヒラして嬉しそうです。
駅員さんが、 yu の言葉を一生懸命聞いてくれたんだな…と
うれしくなりました。
もうこれから、落としたときも yu 一人で大丈夫と、
私の中で安心しました。
たぶんこうした私の不安が、
yu の行動を知らず知らずに制限しているのだと
今回のことでまた反省しました。
まぁ、それ以前に落とさないでほしいけど (>_<)
何回も落として、取りに行って駅員さんと顔馴染みになるのも、
それはそれでいいのかも…( ^_^)人(^_^ )
◇ ◇ ◇
【コメント】
お疲れさまでした。
見えない白いワニとたたかっているkawaさんの姿が浮かんで、
面白かったです(o|o)
(yo)
◇ ◇ ◇
(^_^;)
“白いワニ”って、私の心かなー
yuはyuのペースでちゃんと生きているのに、
そばでウロウロしてつい手すりを差し出そうとしたり
何をやってるのかなぁ、わたし(>_<)
ワニなつノートで「自立」って、
私の頭はあてもなくぐるぐるしています。
このコメントを書いているときに、
yuは明日の中日戦のチケットを買いに
ドームに出かけていきました(*_*)
人生楽しんでいるようです。(kawa)
~~~【はるこい広場】より転載~~~
◇ ◇ ◇
私のなかで「白いワニ」は3匹くらいイメージがあって、
Mayuとかkumiとかyoとかいう名前で、
kawaさんが千葉にくるたびに頭のてっぺんから
噛みついてる絵がうかんじゃったんだけどなぁ(@_@;)
昔、少年ジャンプで、江口寿史が原稿の締め切りに追い詰められ、
「真っ白な原稿」=「白いワニ」に食べられる絵をよく書いていて、
その絵が大好きでした。
そんなことより、今日の本題です。
ここに、石川先生の文章を置きたくなりました。
私がこれから半年、(ときどき)書くつもりの
「自立」の話の基本は、これかなと思い始めています。
◇ ◇ ◇
他者に依存せずに、まず「いま」を認めること (上)
石川憲彦
私はかつて病院で、いまは大学のなかで、
たくさんの子どもや若い人たちとかかわってきました。
なかには三十年も家から出ない人とのつきあいもあります。
十歳くらいで出会って、
そのあとひきこもって手紙だけのつきあいとかね。
ただ、家から出ない生活が三十年にもなると、
それはそれでもう安定してしまって、
その人にとっての一つの生き方になっているんですね。
もちろん本人からすれば外に出られなかった悔やみはあるだろうし、
途中でさまざまな葛藤もあったでしょう。
でも、じゃあ出ていたらよかったかというと、
私はそうは言い切れないと思うんですね。
というのも私が知るかぎり、病気の場合は除いてですが、
十年、二十年ひきこもっていて本当に悔やんでいる人は
見当たらないんですよ。
そういう人たちはある意味で、自分でいまの状態に納得している。
たとえひきこもっていても、
私はそうした自己肯定感が持てることが大切だと思っています。
とろこが、外へ出て働いている人がみな自己肯定感を
持てているかといえば、そうも言いきれないと思うんですね。
もちろん私も基本的には出てきてほしいと思っています。
でもそれは私にとっての都合なんです。
私は医者ですから、プライバシーや人権侵害の問題があって、
無理やり家まで押しかけていくわけにいかない。
つまり出てきてくれないとその人と関係を持てないんです。
私はできればその人と会って直接関係を結んで、
もし問題があれば一緒に考え、
一緒に解決に向けてやっていきたいと思っているんです。
いまは大学にいて学生たちとの相談にのっているので、
学校に出て来られない人には、手紙を書いたりメールを送ったり、
ときには家まで訪ねていくこともあります。
なかには私に会いには来られるけれど、
それ以外は家にいてなにもしていないという人もいます。
そういう学生には、その人のためにアルバイトの仕事を
つくっておいて手伝わせてみたり、
あるいは私が知っている障害者のグループや施設を紹介して
ボランティアに行ってもらうこともあります。
そうすると今までひきこもっていた人が、
意外にそこで新しい人生を発見して、
すごく積極的に楽しそうにやっているなんてこともあるわけです。
そういう意味では私も「ひきだし屋さん」なんです(笑)。
でもそういう働きかけはするけど、
無理に出そうとは思わないんですね。
おそらく私がやっていることは社会にひきだすことではなくて、
その人が社会に対して送ろうとしているメッセージを、
いまはとりあえずそのかたちでいいんだよ、
と肯定してあげることなんです。
そのメッセージのかたちがダメだなんて言わない。
でも、それとちがうかたちと出会って、
自分にしっくり合えばそれはもうけものじゃない、
という考え方なんです。
今まで持っていた関係性や価値観がひろがって、
自分にとってもっと納得のできるものに
なってくれればいいと思っているんです。
(つづく)
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茂田英子
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