ワニなつノート

忘れ物

忘れ物


『生き方としての老人介護』という小冊子を読みました。
三好さんの周りには、既存の施設やデイのやり方とは違う、自分が大切にしたいものを大切にできるやり方で、仕事(介護)をしたいという人がたくさんいます。

「自分が大切にしたいものを大切にできるやり方」。
三好さんの本や話の中身は、介護のことでした。
私はそれを、障害のある子もない子も同じ、子どもの世界におきかえて、いつもうなずいていました。教育の本には決して書いていないことがそこにはたくさんありました。

本書で紹介されている4人の仕事にふれて、三好さんはこう言います。

【彼らは現代社会に迎合する道を選ぶのでもなく、……犯罪者になるのでもなく、介護という絶妙な仕事を見つけたように思う。

だって「社会」なんかに相手にしてもらえなくても「世界」の一員になれるのだ。

農業が自然を相手にした仕事であるように、介護もまた老いと死という自然を相手にする仕事である。

消費者として相手を大事にするという仕事とは次元が違う。
そんな方法はまったく通用しないのだ。

もちろん、近代的手法を介護にもちこんで、老人や介護職を管理しようという介護現場はたくさんある。でもそんなもの通じるわけがないのだ。

介護現場は自然と同じくらい自由だと思う。】


      ◇

そうか、「社会」なんかに相手にしてもらえなくても「世界」の一員になれるのか…。
そうだよな。一人の子どもと向き合うやり方が、たとえ社会に認められなくても、その子と向き合うことさえできれば、「世界」の一員でいられるんだ…。それなら、このままでもやってけるかもしれない…と、思ってみたりします。


    ◇     ◇     ◇     ◇
  

統合失調症の人への援助について書かれた向谷地さんの言葉にも、三好さんと同じものを感じてきました。

それは「自分が大切にしたいものを大切にできるやり方」であり、信頼できる仲間と一緒に、大切にしたいものを大切にしていくことでした。

今まで、私はそれを、「どの子も地域の普通学級へ」ということに置き換えて、考え、書き、自分のために確かめてきました。だから、それは「わかっている」と、自分で思ってきました。

でも、去年からホームの仕事を始めて、それまでとは違う形で、子どもたちと向き合い暮らすなかで、自分の知っていたはずのことを忘れている自分に気づきました。
たとえば、先日も次の言葉をしみじみ読み返して、ため息だらけでした。


【 《問題》と人との切り離し作業

 金銭管理に課題を抱えるAさんには「金遣いが荒い」とか「嘘つきだ」というレッテルが貼られている。

家族も支援する関係者も、ついつい苛立ってしまう。

そこで重要なのが、最初に取り組む「《問題》と人との切り離し作業」である。
その作業によって「金銭管理ができない嘘つきのAさん」が、「金銭管理の上達を切実に望むAさん」という理解に変わる。

……これは、当事者ばかりでなく、周りの関係者にとっても重要なリフレームの作業といえる。】

『統合失調症を持つ人への援助論』金剛出版



去年、kawaさんに呼ばれて話をしてきたときのタイトルは、【『問題行動』と子どもの気持
ち】でした(・・;)

「問題行動は、子どもの適応行動」だと偉そうにしゃべってきたのは私でした。

普通学級の子どもの「問題行動」については、「問題」を起こすのを目的にしているんじゃなくて、その子は一生懸命みんなと一緒にいるやり方を探しているんじゃないのかな、とスラスラと口にできるのでした。

それが、ホームの仕事の中では、24時間一緒に暮らしているせいか、視野も心もどんどん狭くなってきて、「ついつい苛立って」しまいます。「問題」と人とを切り離すことを忘れて、問題ばかりを数えて心配するようになっているのでした。

さてと。
一番の「問題」は、いつも「自分」だな。
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