二ヶ月前、純子さんが亡くなったことを、医療と教育を考える会の会報で知りました。
何年も会ってなかったけれど、出会って以来ずっと私の支えの一人でした。
伊部さんと一緒に、私を面白がって、認めてくれて、まるごと受けとめてくれた人でした。
娘が生まれたときも家にきてくれて、娘の名前を伝えると、「なにか、今まで私が積みあげてきたものがくずれ落ちそうな名前ね…」と誉めてくれました(>_<)
年末から、純子さんの本を読み返して、あの頃のことを思い出しています。
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『 夫は、「想定される発作を恐れるだけの理由で、朝子に薬を飲ませ続けるのは止めよう」と言い始めた。
…夫の発言は痛いほど解った。が、私には薬を止めてしまうことへの不安もあった。私は迷いに迷った。
私達はほぼ一年間、ああでもない、こうでもないと、薬のことで言い争ったり、苦しい思いをした。そしてその結果、結論など何も出なかった。
しかし、迷いの時間の緊張感は、私に、薬というのは頼るべきものではないのだ。薬に頼る心で朝子を育ててはいけないのだ、ということを教えてくれた。』
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『……医者や薬に頼ろうとする態度を、私達は、まず自分達の中から一掃することにした。
これは苦しい作業だったが、何者にも預けてしまうことができない朝子が、私の前にもう一度立ち現われ、朝子も、夫も、私も、みな明るくなった。
…薬や医者がいらないなどというつもりはない。
…朝子も現在、発作止めの薬を飲んで、そのため多少の安心も私は得ている。…』
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あのころの私に薬のことは分からなかったけれど、「何者にも預けてしまうことができない朝子が、私の前にもう一度立ち現われる」と表現する純子さんの言葉に、私が大切にしたいものが本当はどういうものかを教えられてきました。
これに続くページに、純子さんと伊部さんと石川(憲彦)先生の会話があります。
いまここに私がたどり着くための地図をくれた三人の言葉が並んでいるだけで、しあわせな気持ちになれるので、少し長いけど、ここに置きます。
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私 「入学式の日から、(朝子は)すっかり楽しげになっています」
夫 「入学式前日までボーっとしていた感じが入学式を画してピッとしてしまいました」
(朝子は、小学校の入学式の三日前に、初めての大きな発作を起こした。丸一日くらい歩けず、それからしばらくは好きなパンがのみこめなくなった。ところが、発作後の緊張が解けぬまま、そのくせゴロゴロ、ボーっとしていた朝子が、四月六日を境に、変わってしまったのだ。)
石川先生 「前の脳波の検査を診て、ひきつける形の発作に比較的効果があると思われる薬を出したのですが。
ひきつける形の発作と、いわゆる精神運動発作とでは、脳波に出る形もこの様に違います。
その薬に関して、電話でねむけがひどいと聞きましたが」
私 「飲み始めは確かに。十四、五時間も寝てしまう日がありました。喜んで学校へ行って帰って来て、倒れるような感じでグーグー寝てしまいます。
全力を学校でつかってきてしまう、という感じです。それでも朝になるとニコニコ出かけて行きます」
石川先生 「体の硬さなどは?」
私 「それがつかみどころがないのです。ちょうど薬を飲み始めたのと、学校が始まったのが同時でしたから。
何が働いて、朝子が楽しげになったのか。
でも、入学式の日にはまだ薬を使っていませんでしたから」
石川先生 「そうですね。その日から上向いてきた、と伺っていたし。薬はまだ使っていませんでしたね。
今日は体が軽いですねー。前回はとても苦しそうでした。
今日の感じは三月に会ったときの様子に近いね。
朝ちゃん、学校って面白いでしょ。
こわくないでしょ。
もっとこわい所だと思っていたのねぇ。
あなた、本当に人が好きね。
人といると安心するのね」
夫 「あっそうか!」
石川先生 「何ですか?」
夫 「いえ、今、石川先生が朝子と話しているのを聞いていて、気づいたんですが、僕達やっぱり緊張していたのですね。
それが朝子に伝わってしまったのだと思います。
自分ではそれほど緊張などしていないつもりでしたが、やっぱり、張りつめていたんですねー」
私 「私なんか、こんなふうに朝子が学校に行くなんて思えなかったモン。
入学式の前の日眠れなかったモン」
夫 「あのナー、今、純子のこときいてんじゃないの」
石川先生 「薬のことに関して、ちょうどいろいろ整理していて、山本恵三さんの話を伊部さんが書いたもので読みました。
山本さんの態度、すごいなあーと思います。
が、やはり医者としては立てない立場なのです。
医者をやっていると、いろいろな辛い経験に直面せざるを得ないことがあります。
そんなときは、どうしても防御的な姿勢になってしまいます。
今まで薬なしでやっていた子供に、念のため、薬を出す、とか」
私 「そうですね……。引き受けられないわけだから」
夫 「そうなんですねー。
でも、言ってしまえば、親だって、引き受ける、引き受けると言っても、そんなのは親の一方的な思い込みかもしれないし、親だからって何だ、という思いもあります。
直接的な言い方かも知れないけれど、本質的なところでは、障害は、その子が一人で受けるべきだ、と思う。
医療の立場から、違うと言われるかもしれませんが」
石川先生 「いいえ、違う、なんて言いません。それは全くそうです。その通りです。
たあ、朝ちゃんが、どこまでたたかっていけるのか、そのたたかいにとって、あまりにもマイナス面の多いことなどを、例えば薬などで補助できるなら、医薬を利用するという場合も、その子によって出てくるのではないか、とうこともある、と思うのです」
私 「それはひとりひとり、個々にですね?」
石川先生 「そうです。ひとりひとり、個々にです。
個々それぞれ全く違うのです。
本当にひとりひとり違うのです。
例えば、発作どめの薬を使ってとても生き生きした、なんていう子も出て来るのです。
その子にとっては、発作への恐れの方が、薬を飲むことによる害より大きかったのですね。
そんな例もあります。それから多動と言われる子に飲ませる薬などあるのですが、それも親からの要請で出すのですが、お母さん達は、『すごく効く』という言い方をします。
けれど決して『よくなった』という言い方はしませんね。
『確かに静かになった。でも、この子らしくない』と」
夫 「あー、なるほどねー」
石川先生 「発作による害などというものは、ある特別の発作を除いては迷信なのです。一時間にも渡る発作ともなれば話は別ですが」
私 「この間の会(東大病院小児科・医療と教育を考える会)に集まったお母さん達の中で、発作による害を恐れて薬を飲ませている、ということを言った人がいました。
実際、医者からはひどい形で言われているわけです。
『発作で、脳細胞が破壊されるから』とかいう言い方で。
私達もそれに似た形で、最初の薬を医者から出されました。
医療に対する疑問というのが出てきたのもそのあたりからです」
石川先生 「圧倒的多数の医者が、その立場をとっていますから。
その意味では、医療というのは、一つの立場だと私は考えています。
例えば、熱で引きつけを起こす子供に、引きつけどめの薬を飲ませるのかどうか、という難しい問題があります。
救急車で二十分以内の所に発作に対する処置が出来る医者がいれば、引きつけどめの薬などいらなくなるのです。
私は、薬を飲ませることより、二十分以内のところにそのような医療を確立する運動の方が大切だと思う」
夫 「僕も全く同じです」
石川先生 「しかし、現実に、そのような医療の確立されていない中にあって、命にかかわる発作を持つ子供はどうするか?というと、やはり薬に一部助けられるわけで、そのような矛盾は矛盾として受けとめながら、そのへんの所でブレながらやって行きたいと思う」
夫 「そうなんですよねー。僕は、今まで、意識的に、朝子の主治医として石川さんを選びませんでした。
誰も彼もが石川さんの所に集中してしまっては、発展していかない、と思うし。
そのへんでは、自分でも大変矛盾しています。
……でも、先生も大変ですね。話の解らない親達(これはヒドイ!!)を集めて」
(この話の間、朝子はキャッキャッと石川先生をからかい、一回おもらしをしました。)
----1981年4月20日、東大病院小児科で。
(『いいんだ朝子、そのままで』 伊部純子 径書房 )
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