ワニなつノート

手をかすように知恵をかすこと 2014


手をかすように知恵をかすこと 2014




そこに目の見えない子がいたら、
その子が必要とするときには、
私が手を差し出したり、肩をかしたり、
見ることが必要なときには、私の目をかしてあげようと思う。

でも、私が目をかしてあげるより、
点字の教科書やパソコンがふつうにあるといい。
私もメガネやパソコンに助けられている。


そこに耳の聞こえない子がいたら、
その子が必要とするときには、
私が筆談をしたり、手話を覚えたり、
聞くことが必要なときには、私の耳をかしてあげようと思う。

でも、私が耳をかしてあげるより、
学校の手話通訳が当たり前になるといい。
私も映画を見るときには、字幕に助けられている。


そこに車椅子や呼吸器を利用している子がいたら、
その子が必要とするときには、
私が手をかしたり、階段を上がったり、
歩くことが必要なときには、私の足をかしてあげようと思う。 

でも、私が足をかしてあげるより、
すべての学校にエレベーターや医療的ケアがあるといい。
私もくつを履き、エレベーターに助けられている。


そこに「知的障害」といわれる子がいたら、
その子が必要とするときには、
私が音読したり、ふりがなをふったり、
その子が自分のペースで学ぶ時間を待ってあげようと思う。

漢字が読めるより、そこにある物語を感じるために、
お金の計算に困ったら、お店の人に頼めるように、
その子がありのままで生きる知恵を伝えたい。

高校生になるための条件が学力試験なら、
問題を読むことや解くことに、
私の手をかすように知恵をかしてあげようと思う。

でも、私が知恵をかしてあげるより、
希望するすべての子が高校生になれるといい。

必要なのは、数学や歴史の問題を解くことでなく、
いまここで生きる、を学ぶこと。
15・16・17歳の同級生と出会い、
共に感じ、共に学び、共に社会を創ることだから。


         ◇


目が見えないなら学校に来るな
とは、だれも言わない。

見えない「障害」だけで、15歳の子の希望を奪う人はいない。
障害だけを見るのでなく、その子の学びたいという意欲を受けとめ、
どんな配慮ができるかを考えるのが、
私たち大人と学校の仕事。

耳が聞こえないなら、学校に来るな
とは、だれも言わない。

聞こえない「障害」は、15歳の子の一部にすぎない。
障害だけを見るのでなく、その子の将来への希望を受けとめ、
新しい学び方への工夫を考えるのが、私たち大人と教育の仕事。

歩けないなら、学校に来るな
と、15歳の子を不合格にした校長がいた。

裁判所は、校長判断が誤っていたことを示した。
障害だけを見るのでなく、一人ひとりの状況に合わせ、
履修方法を柔軟に対応するのが、私たち大人と学校の仕事。

歩けないなら学校に来るな
とは、だれも言わない。


けれど、勉強ができないなら学校に来るな
と、この子が言われる。
99%の子が進学する中、1%の子に門は閉ざされる。

勉強ができないなら学校に来るな
と、この子がいわれる。


      ◇


目の見えない子に「点字」を使わせずに入学試験をして、
その子を不合格にしたら、
それは「公平」だろうか?
 
耳の聞こえない子に「ヒアリング」の試験をして、
その子を不合格にしたら、
それは「公平」だろうか?
 
歩けない子に「100メートル」を走らせて、
その子を不合格にしたら、
それは「公平」だろうか?
 
知的障害の子に「学力」試験をして、
その子を不合格にしたら、
それは「公平」だろうか?

子どもの数が40年減り続けるいま、
1%の子だけが負ける競争、
1%の子だけが落とされる試験。
そして定員が空いていても不合格にする入試制度。
これは「公平」だろうか。


         ◇


目が見えない子は、
障害を治すために学校に通うのではない。
見えない姿で生きていく希望としての教育がある。

耳が聞こえない子は、
障害を治すために学校に通うのではない。
聞こえない姿で堂々と生きる意欲を支える教育がある。

歩けない子は、
障害を治すために学校に通うのではない。
歩けない姿のままで、人と出会い、世界を学ぶ教育がある。

知的障害の子は、
障害を治すために学校に通うのではない。
ありのままの姿で、仲間と生きる心を育てる教育がある。

障害があることは、
人として恥ずかしいことじゃない。
障害があることで、
子どもでなくなるわけじゃない。

知的障害があっても、
子どもの学ぶ意欲と、共に生きる希望に、
障害も遅れもない。


勉強ができないなら、学校に来るな。
小学校にそんなことをいう人はいなかった。
みんなと一緒にたくさんのことを感じてきた。
小学校の教育の豊かな成果がここにある。

点数が取れないなら、学校に来るな。
中学校にそんなことをいう人はいなかった。
仲間と一緒にたくさんのことを学んできた。
中学校の教育の確かな学びがここにある。

それが0点でも高校に行きたいという、この子らの生きる声だ。




コメント一覧

虎虎
二ユースで「インクルーシブ教育」のことを知り、調べ
ていくうちに、こちらにたどり着きました。

自身の認識の甘さや、新たに学んだ点、「これでよかっ
たんだ」ということなど、大いに学ぶことができました


今後も、貴HPを拝見させていただくとともに、実践で
きるようになりたいです。
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