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ワニなつノート

《自分の「呪い」を解くための100のメモ》④

昔、「手をかすように知恵をかすこと」という文を書いた。

そこで、「見えない人」「聞こえない人」「歩けない人」と、書いた。

あなたが歩けないなら、あなたがみえないなら、あなたがきこえないなら。

あなたがよめないなら、「手をかすように知恵をかし」、「安全の手がかりになりたい」、という思いを書いた。

 

つもりだった。

 

いま、その思いを改めて書こうとして、そのようには書けないことに気づいた。

 

「あなたが笑えないとき、私が安全の手がかりになれるように」

そのあとに、あなたが歩けないなら、あなたがみえないなら、

あなたがきこえないなら、あなたがよめないなら、

あなたが息ができないなら、

ここまで書いて、手が止まった。

 

できない、できない、できない、できない、と私が書く。

私は、子どもたちの「できない」を一番の目印にして、何かを訴える言葉しか持っていないのかと。

              □

そこで、女の子の声が聴こえた。

「わたしは息ができる」その子はそう言った。

7歳の人生を閉じる前。

一年生になって「できるようになったこと」という宿題に、「わたしはいきができる」と書いた。

会ったことのないその子のことば、その声に、私はずっと耳をすましてきた。

その声を自分が聴けるようになりたくて。それはゆきみちゃんと同じように、一年生の終わりに人生を終えたゆうりちゃんとけいちゃんの声を、聴きつづけることだった。

        □

どうしたら「いきができる」ようになるか。

もちろん呼吸器も医療も必要なのは前提にある。

でもその子が教えてくれたのは、もう一つの「いきができる」話だった。

 

ふつう学級で一年生をおえたゆきみちゃんが教えてくれたこと。

学校や教育委員会の意地悪(危険の合図)があったにも関わらず、それ以上の「安全の手がかり」があった。

ふつう学級の、友だちの笑顔と安全のてがかりがたくさんみつけられた。

だから、わたしはいきができる、ようになったと教えてくれた。

 

「安全の手がかり」をみつける腹側迷走神経系は、まさに「心臓」と「呼吸」を調整する神経なのだという。心臓と呼吸を調整し健康的に生きるために不可欠なのが、社会的つながり、社会交流の神経そのものだという。

ゆきみちゃんは、最先端の迷走神経系研究を、ふつう学級で体験していたのだと分かる。

 

            □

 

私は、自分の言葉を、覚えなおそうと思う。

「あなたが歩けないなら、みえないなら、きこえないなら、よめないなら、息ができないなら」でなく。

医療的ケアもメガネと同じ。日常生活の補助に過ぎない。

だから、ただ「車いすユーザー」「呼吸器ユーザー」と。

「重度」という言葉ではなく、ただ、『より多くのサポートユーザー』と。

「車いすユーザー」(赤ちゃんも老人も)

「呼吸器ユーザー」(子どももASLの国会議員も)

「手話ユーザー」(コーダもソーダも)

「より多くの情報アクセシビリティ・ユーザー」(言葉を使わない子も外国人も老人も)

「より多くの日常サポートユーザー」(社会的養護の子たちも)

 

ここから自分の言葉を、出直してみようと思う。

(つづく)

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