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ワニなつノート

「守りたい思い」と「守られるもの」(その8)


「守りたい思い」と「守られるもの」(その8)


「私、ここへやってきて、フーっと楽になったような気がします。」

前回の、みつこさんの言葉の後に、浜田さんは次のように続けています。

       ◇

「こんなふうに言ってくれたのは、そこにつとめてから、1、2年たった頃だったでしょうか。ただそう言えるようになってからも、長くひきずってきたとらわれは簡単にほぐれるものではありません。二十年の呪縛を解くには、その呪縛をつくりあげてきた人間関係とは異質の、もう一つの人間関係を、同じくらい積み上げなおさねばならないのかもしれません。」

       ◇


私は、「みつこさんの右手」を毎年のように読みながら、ここのところがよく分かりませんでした。「もう一つの人間関係を、同じくらい積み上げなおさねばならない」というのは本当かな…と思うのです。「同じくらい」というのが、関係の量なのか、年月なのか。

でも、自分でも何にこだわっているのか、よく分かりません…。でも、分からないまま、続けてみます(>_<)


浜田さんは、みつこさんと違う「環境」として、「まいちゃん」の話をはさんでいます。
みつこさんとは違い、障害のある手を隠さずに育てられた子どもとして。少し長くなりますが、引用します。

         ◇

みつこさんとはちがって、生まれたそのときから手足の一部が欠損している子どもたちがいます。

…野辺明子さんは、娘のまいちゃんがあるとき遊んでいて、突然、自分の両手を突き出して、「ママ、こっちのおてて、へん」といわれたときの、なんていって言いのかわからないドギマギした思いを語っています。
(野辺明子『魔法の手の子どもたち』太郎次郎社、1993年)


まいちゃんは、うまれつき、右手の指がありませんでした。
そのことにこんなふうにして気づいたのが2歳半のころです。
ただそれも、…不思議に思っただけのことで、
とくにそれを気にしているふうでもなく、
あっけらかんとしていたと言います。

形の違いにきがつくということと、
本人がそれを気にするということとは別問題なのです。

本人が自分と他人のちがいをどう受けとめていくかは、
周囲の人たちがそれをどう受けとめていくかと密接にからんでいます。


…幼稚園に通い始めてしばらくすると…
「小学生になったら、まいちゃんの指、生えてくるか」
と母親に聞くようになったのは、そのころのことです。

まいちゃんが小学校に上がったときには、
手に指がない子が入ってきたということがうわさになって、
休み時間にわざわざのぞきにくる上級生もいたそうです。

そんななかで、まいちゃんは、
同じく四肢欠損の年上の友だちにこんな手紙を書いています。


《ともみちゃん、おげんきですか。
まいこもげんきです。おてがみありがとう。
いつもがっこうで、おともだちにてがないってことをゆわれたら、
しょうがいないでしょうってゆうの。
しつこくゆうと、じゃああなたのてととりかえてよっていうの。
ともみちゃんはなんてゆう? 
まいちゃんとおんなじ? 
そのおてがみまってるね。》


           ◇


浜田さんは、右手を手袋で隠したことで生じた、みつこさんの「苦労」を伝えるために、まいちゃんの話をここにおいたのだと思います。


            ◇

…手袋のジレンマを抱え込まずにすんだまいちゃんは、自分の手を異物として裁くことなく、むしろ大事な手として受け入れていきます。小学校4年生のときのまちやんの作文には、こんなふうに書かれています。


《いま、わたしにとって右手は、大切なたから物です。
右手のおかげで、友だちが増えたのだと思います。
この手は、一生なおらないけど、わたしは、
かえってふつうの手にかわらない方がいいです。

小さい時は、みんなとどうしてちがう手かと、
不思議に思ったり、泣いたりしたけど、
今、思ってみると、こうしてみんなと友だちになれたのも、
お母さんが父母の会をつくってわたしや、
父母の会の人たちのどうしてこんな体になってしまったのか
というげんいんをさがしているのも、
もとはといえば、みんな、右手のおかげだからです。

もし、右手が、ふつうの手だったら、
こんなに友だちも出来ないだろうし、
しょう害者の人たちのふじゆうのげんいんもわからないからです。

わたしは右手をとてもありがたい手だと思っています。
右手が人間だったら、何回おれいの言葉を言っても、
言いきれないくらいです。
わたしは、この右手が大すきです。》


まいちゃんの「たから物」の右手と、みつこさんの「異物」の手、同じ手がこのように大きく別れてしまう、この二人の生きてきた条件のちがいは紙一重です。

しかし、この紙一重のちがいが、その子の生きるかたちを大きく左右していくのです。
(P176)

          ◇



ここでは、親が子どもに与える影響の大きさが書かれています。
親が子どもの障害を隠さずに堂々と生きることができれば、
みつこさんが抱えた悩みは避けることができるのではないか…と。

確かにまいちゃんは、みつこさんが一人で抱えこんだ
「隠すこと」の苦しさに囚われることはなかったでしょう。
それは、お母さんの「受けとめかたの違い」、
「守り方の違い」の表れだと思います。

でも、まいちゃんには、まいちゃんの
「自分との向き合い方」の苦しさがあるはずなのです。

いまの時代に、障害を抱えて生きる子どもが、親の守りだけで、
現実に苦しさと出会わずにすむことはないと思うのです。

そのあたりが、私の考えたいことのようです。

(つづく)


(………さて、また「最終回」に行く前に、迷路にはまってきた感じがします…。ありんこさん、すみません。なかなか、「きょうだい」の話にたどりつけずにいます(>_<))
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