《か》かわいい子には、ふつう学級を旅させよ
先日、届いた会報のある手記を読んで気づいたことがあります。
私が探し求め続けてきたものは、やはり「発達のための教育」ではありませんでした。
子どもの成長=「できること」が増えていく段階を発達と呼び、それを中心に子どもを見る「専門家的」なまなざしが、この社会にはあふれ、私たちもその言葉に慣らされてきました。
でも、私たちが毎日を生活していく実感の中では、「できる・できない」とは違う実感が共通してあり、それは「子どもは誰でも、家庭のなかでは有名人」ということです。
《こ》「子どもはみんなふつうの子ども」といういろはかるたの言葉も、その生活実感のなかにあります。障害や発達段階に先ず目がいく人には、このカルタの意味を理解することができません。
障害のある子の親や家族だけでなく、保育園や幼稚園、小学校の子どもたちもまた、日常の生活のなかで同じ感覚を抱くのを見ていると、「障害の理解」とは「専門的な知識や情報」よりも、生活を共にすることだと分かります。
それは、教師や専門家が、障害のある子の何を「理解できないか」の答えでもあります。
発達や専門的な知識が多いほど、「子どもはみんなふつうの子ども」だということが、見えなくなります。
私自身、千葉大で養護学校教員免許を取るために受けた授業の知識や情報の99%が邪魔で使い物にならないものでした。
◇
わたしの目の前で、いまを生きている子どもが、笑っている
わたしの目の前で、いまを生きている子どもが、怒っている
わたしの目の前で、いまを生きている子どもが、泣いている
わたしの目の前で、いまを生きている子どもが、呼んでいる
その顔にあふれる喜びや悲しみは、同じ子ども仲間の間で生きているこの子の姿を現している
いつも、いまという地点に、この子は生きて、呼吸して、感じて、人生の真ん中にいる。
家ではいっしょに手をつないで遊んだり、笑ったりする子が、この子の娑婆では、つい「親」の手や口をだす私をうるさがる。
それもまた、この子が、この子の仲間とのふつうの子ども世界にいる証。
そうは思っても、おおらかな子育てを、などと、この子が寝ている夜中には思えても、夜が明けてしまえば昨日と同じにやりそこなう日々のくりかえし。
理解の遅れとか、進歩がないなんて思うことは、暮らしの中ではいくらでもお互い様がみつかる。
そうしたありふれた日常の暮らしのなかで、あるとき、ふと、この子の成長を感じる。
たとえば、学校の運動会だったり、新しい学年にあがったときに、さりげなく新しい教室に入っていく後姿だったり。
発達とか成長は、できないことができるようになる、という形とは別の実感が確かにある。
とべなかった跳び箱が跳べるようになったとか、逆上がりができるようになったとかでなく。
運動会の出番を待っているわが子を、「見つけられない」ことに、子どもの人生の味わいを感じることもある。
1年の時は、他の学年の先生が、探して手を引っ張ってきた。
2年の時は、逃げ出さないように両隣の子どもがさりげなく手をつないでいた。
3年の時は、4年の時は…、と思い出せる光景がある。
それが5年生のいま、どこを探しても見つからない。
いないのかと思ったら、いつのまにかゴールしてビリの旗の下で砂遊びしてる。
走ってる姿さえ気づかなかった。
そんなドジな自分がいやな訳じゃないけど、ただ涙がこぼれる。
それは、この子の発達とか何かができる、ということじゃなく、この子にはこの子の人生があり、この子は私とは違うこの子の人生を自分で歩いているという実感が伝わるから。
集団行動ができること、みんなと同じに並び待つことができること、ゴールまでまっすぐに
走ることができること、そんな「できる」のための「教育」が欲しかった訳じゃないと、今はよく分かる。
子どもたちが、ありのままの姿で出会い、その出会いを当たり前に受けとめあえる世界。
そこで、一人一人の子どもの人生が共鳴しあい、親から離れて自分たちの人生を始める日常の場所が、学校という場所にはある。
私が探せなくても、この子はこの子の人生を見失うことはなく、私が見えていなくても、この子の人生はこの子自身によって当たり前に生きられている。
子どもたちが出会い、共に生きることを楽しみながら大人になっていく。
その子どもたちの四季の風景をただ味わってほしい。
わたしはただそれを楽しみに見守っていたい。
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