ワニなつノート

ワニなついろはかるた 「と」


【と】特別な教育には、特別な生き方がついてくる


一昔前まで、特別な教育には、特別な生き方がついてきました。
6才で親や家族から離され寄宿舎や施設に入れられても、
それは「障害」があるのだから、当然のことと思われてきました。
また、就学猶予、就学免除という言葉で、「教育不可能」と見なされ、
教育と学校生活と、子ども時代を奪われてきました。

そうして分けられた子ども時代の先には,
人里離れた施設がありました。
ハンセン病の人たちが、
子ども時代から隔離され一生を過ごした施設と、
障害者の施設、そこでの扱われ方も、
世間の目と扱いも違いはありませんでした。

今は何が違うのでしょうか。
特殊教育が、特別支援教育という名前に変わりました。
でも、特殊学級や養護学校の日常も中身も、
なんの変わりもありません。

子どもたちは分けられたままです。
子ども時代の学ぶ場を分けられ、遊びの場も分けられ、
地域でのつながりも奪われてきました。

障害者への「偏見」も「差別」も「忌避」は
いまも変わってはいません。
「ダウン症」の赤ちゃんは、
そのことが命の最初に分かってしまったら、
かなり高い確率で殺されてしまいます。
それは産婦人科医や小児科医や看護士、
そして国のお勧めとお墨付きで、行われています。

「特別支援子ども時代」を生きることは、
「特別支援人生」を生きることにつながります。

一生、特別扱いしてもらえる財力と環境のある親子が、
そうした生き方を選択することは、
ひとつの生き方かもしれません。

でも、「障害」があるだけで、
一方的にふつうの子ども時代を奪われ、
「特別支援教育」を押し付けるやり方は、
子どもへの暴力だと私は思います。

ハンセン病の子どもたちが「隔離」されて、
夜汽車の貨物車で故郷を後にし、家族と離れ、
暮らした日々の作文は、子ども時代の痛みを、
いまも伝えてくれています。

特別支援は「隔離」ではない、という人はいるでしょう。
あくまでも、障害児のための場所だというでしょう。
たとえそれが隔離でなくても、それが善意だとしても、
子どもが感じる現実と感情は、ハンセン病の子どもたちも、
障害のあるふつうの子どもたちも同じです。

特別支援教育には、特別支援人生がついてきます。
それは、個別支援教育には、個別支援人生がついてくる、
ということです。

その世界では、障害児・者にとってすべての関わりが「支援」です。

私は、すべての関わりが「支援」である人生を生きたくはありません。

自分の人生でもっともイヤだったことを、
子どもに強いることはできません。

私は8才のあの時から、ずっとそのことを忘れようとしながら、
忘れていたつもりで、
でもそれはずっと体の一部、人生の一部でした。
40年たっても、それは変わりません。
たった一日の「分けられた時間」でしかなかったけれど、
たぶん死ぬまで、私の一部であり続けるでしょう。

児相で出会った小学校3年生のヒロキは、
「どうせ、おれはコベツだから」と泣きました。

最初は意味が分かりませんでした。
その市では、「特殊学級」を「個別支援学級」と呼んでいたのでした。
たとえ名前を何に変えようと、
子どもの分けられた自分への感じ方は同じです。

「KOBETU」も、子どもたちの間で、
すでに差別語になっていたのでしょう。
「コベツだから、べんきょう、わからないんだよ」
「コベツだから、ともだち、できないんだよ」
彼は、自分の評価を、「コベツ」と判断し、泣いたのでした。

私はその世界から一日で逃げ出すことができました。
でも、そこからどうあがいても逃れられない子どもたちがいます。

私にできることなら、
その子たちを逃がしてあげたいと思うのです。
自由に、苦労して、楽しんで、泣いて、
笑える子ども時代を感じてほしいと思うのです。

たとえどんなに苦労することになっても、
悲しい思いをする日があるとしても、
味方になってくれる人が一人でもいる、
ふつうの子ども時代を味わってほしいと思うのです…。
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